彫刻刀は知っている?
プロとかそういうのではないらしい。幼馴染の彼女はよく、「工房」と名づけた事務所の隅のスペースで、木彫りの像なんかを作っている。
「できた」
「おおっ。猫?」
「三毛猫」
ふふん、と自慢げに彼女は笑った。高さ10センチほどの、素朴なヒノキの猫が、なんとも愛くるしい表情を浮かべている。
事務所というが、業種自体は彼女の趣味である木彫とはなんの関係もない。一応は彼女が社長を務める、小規模な下請け会社だ。わたしは幼馴染のよしみでそこの使い走りとして働いている。大手との契約が複数あるため、雑用係でも年収は悪くない。
「なんか作ってあげよっか? 趣味だからお金取らないよ」
たまにそう誘われるのだが、その度に断っている。雇ってもらった身で悪いから……というより、無償で彼女に造らせて、それがわたしのお気に召すものでなかった場合が怖いのだ。わたしは嘘がつけない。感想を求められたとき、きっと彼女を傷つけてしまう。
だから、たまに彼女が彫った「作品」のうち、気に入ったものを100円とか200円で買うようにしている。敬意というか、あくまで形式上の話で、契約とかじゃないけれど。
「はいっ、これ」
「わ……かわいい! いいんですか社長⁉ いただいちゃっても」
「いいのいいの。持ってって」
給湯室のほうから、彼女と社員のやり取りが聞こえてくる。買い手がつかなかったらわたしが貰おうと思っていた三毛猫は、誰か他の人の手に渡ったようだ。
……ちょっと、悔しい。だったら始めから彼女に依頼なりなんなりをしておけばよかったかな、という、今更抱いても仕方のない感情。わたしはフッフッと首を振り、その雑念を振り払った。
どうしても欲しいのなら…というか、そんな変な嫉妬を覚えるくらいなら、はじめから依頼しておけば良いのだ。
「はい」
ある日の午後。いつものように「工房」に籠もっている彼女の背後から、500円玉を差し出す。
「えー、なにこれ? あっもしかして、やっと彫ってもらう気になった⁉」
「ふふ……まぁそんなところ」
「やったー。で、何がいい?」
「そうだなぁ……」
無難に動物とかかな。無機物は彫るの難しいって聞いたことあるし…考えを巡らせながら、わたしはどこか、心の隙間にぽっかりと空いていた孔が塞がっていくような心持ちを感じた。
わたしはインコを依頼した。実家で飼っている鳥だった。彼女は早速高さ10センチほどのヒノキを取り出すと、図面を引きにかかった。
最初からこうしていればよかったのかもしれないな。
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