流れで生きよう

 キャスター付きの椅子に座っていると、どうにもコロコロと転がっていってしまいたくなる。そういう衝動を一つずつ飲み込んで、人は大人になっていくのかもしれない。

やまさん、これコピー取っておいて」

「はーい」

 上司に指示されるがまま、文書の束を業務用のコピー機に運ぶ。もう5年近くなるのに出世欲がない、とは同僚の弁だ。彼女は既に他社との合同計画会議の議長を勤め上げられるほどの技量を持っているが、わたしはドサ回りが主たる仕事である。雲泥の差である。そのことは理解しているが、さりとて今の立場を抜け出す向上心など、ない。たとえかつての部下に追い越されたとしても、である。

 興味がないのだ。出世というやつに。稼いだお金で生活費とか少々の趣味代とか、あとは雀の涙ほどであっても貯金とかに回せればそれでオーケー。生きることに真剣になりなさい、と祖母から口を酸っぱくして言われたこともある。ごめんおばあちゃん、あなたの孫は江戸っ子気質の風来坊です。女の子だけど。


「小山さんって変わってるよねー」

 昼休みによくそんなことを言われる。なんとなく言葉の端にバカにするようなフシが含まれていることはわかる。しかしながらそいつをいちいち気に病んでいたら、わたしは明日から社内の心理カウンセラーに通い詰めなければなるまい。そんなの却下、つまんない。別に罵倒とも思っていないのだから、わたしはわたしの好きなように生きさせてもらいます。


 オフィスの中には花瓶がある。せいが飾られることあるが、たいていは造花だ。気づいた人が取り替える決まりになっているが、わたし以外が替えているのを見たことはほとんどない。最初はわざわざ花屋に寄っていたが最近は面倒くさくなり、百均の造花をそれっぽくアレンジしたものを挿している。

「まぁ、デスクが華やいだわねぇ」

 花を替えるたび、上司がそんなことを言う。本物の花を挿せというイヤミなのだろうとは思うが、わたしはわざと満面の笑みを作ってはいありがとうございますぅ、これ百均なんですけどぉ、すっごくキレイだと思いませんかぁ? とやる。察した周りはクスクス笑い、上司も呆気に取られつつ諦めたように笑う。バカだと思われているのは都合がいい。わたしにとっても、溜飲を下げたい周囲にとっても。


 金曜日に退社すると会社前のコンビニでプリンを買うのがルーチンだ。今週も出世とは程遠い日々だった。エクレアとプリンの値段を比較しながら、わたしはそんなことを考える。

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