もう一度
過去形なのは、私が……久保咲良が、現役引退という形でアイドル界から姿を消したためである。前日にメンバーにだけ伝え、そのあくる日にいつも通り行われたライブは盛況のうちに幕を閉じた。マネージャーやメンバーからの電話やメールがひっきりなしに来ていたケータイを解約し、私は予約していた飛行機で青森の寒村へ飛んだ。
私は、「久保咲良」とは関わりを断った。名前を変え、この
しばらく化粧もせず、いわゆる女の子らしさとは一切無縁で、第一次産業に従事していた。生活は豊かではなかったが、近所の人とも付き合いができて、楽しかった。
それでも。
心の何処かが、「久保咲良」を求めていたように思う。
秋のある日。私は借りた畑の見回りを終え、家に戻った。
「……あれ」
家の前にタクシーが停まっていた。来客の予定なんてあっただろうか。そんなことを思っていると、玄関チャイムが鳴った。
「はい、ただいま――」
戸を引き開けた瞬間、私の時間が止まった……否、また動き出した、というべきか。
「……咲良」
「……
そこにいたのは、『ラヴリイ♡パンナコッタ』のキーボードで私に続く二番目の古株にして私の一番の大親友、
「……調べたの。だってずっと……ずっと貴女に会いたくて」
追い返すわけにもいかない。だからって、今更戻れるわけがない。
「付き合ってた男にストーカーされてたって。家に脅迫状が届いてたって、あれは」
「……本当だよ。『ラヴパン』を結成する前、付き合ってた人」
「……捕まったよ、そいつ」
私は目を見開いた。
「ライブハウスに押しかけてきて、咲良を出せって暴れたけど、すぐお縄になった」
……私は『ラヴパン』のみんなに、マネージャーに、ファンに……これ以上迷惑をかけるまいと、身を引いたのだ。くだらない男なんかのせいで。
でも、その理由が消えたとしたら?
「咲良、もう一度――」
私はもう一度……あそこに、立ってもいいのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます