勧誘、失敗

 ──1933年 アーデルハイト首都「クリムシー」某所


 共に魔女ローズマリーの元、弟子としてあるいは配下として同じ時間を共有してきた2人、タイムとセージは向かい合っていた。片方は臨戦態勢を解かぬまま対峙し、もう片方は理性と知性をなくした様子で今にも遅いかからんばかりにこちらを睨めつけている。

 だが、それほど長い間ずっと一緒に居たわけではなくとも、タイムにはオグルと化した彼が必死に自分の欲望を抑えつけ堪えようとしているのに気付いてしまった。ぱたぱたと涎を垂らし、ぐるぐると唸りながらも走り出しそうになる足を踏みしめている。オグルにとって人を食わないというのがどれほどの苦痛を伴うかタイムは分からないが、酷く辛いのだろうとは察した。

 なぜ、ほんの少し離れていた隙に薬効が切れ、鬼化が進行してしまったのか。専門家ではないタイムには朧げにしか推測できないがおそらく、彼が収められていた培養器に理由があるのかもしれない。たとえばあの液体に鬼化を促進させる効果があったとしたら。この広大な実験室に安置された培養器に収納されているオグル達は、外へ出た瞬間、今のセージと同じように暴れ始めるのだろうか。

 だとするならば止めなくてはならない。彼も、ここにいるもの達も。これ以上、鬼が人を傷つけることのないように。


「……今、楽にしてやる。少しの間、ちょっと痛いかもしれないが……お前は男なんだから耐えられるよな? なァ、セージよ」


 僅かな時間、タイムは全身の力を抜き、ふっと一息吸い込んで再び力を身体中に溜める。巨大化するときと同じ要領で彼は自身の姿を変容させる。それまでの愛らしい猫の外見から一転し「本来の自分」に。

 見違えるほど高い視点、2本の足で立つがゆえの不安定さ、毛皮に包まれていた身体は布に覆われ、腰近くまで伸びた夜色の髪がぱさりと垂れ落ちる。

 培養器のガラス面に映るのは猫とは似ても似つかぬ青年の面差しだ。性差のはっきりしない中性的な美貌に朝焼けの太陽と同じ眩い金の瞳が煌めき、色素の薄い明るい肌となよやかな肢体を上等な仕立ての黒衣がくまなく覆い隠す。全身を金銀や宝石で飾り立てた、どこぞの公達のごとく気品に満ちた煌びやかなさまはだけは、猫であったときとほとんど変わらない。

 敬愛し信奉する魔女に仕え、彼女のために自分の全てを捧ぐと誓ったときから封印してきた己の本性をまさか、その弟子の前で晒すことになるとは当時のタイムだって想像すらしなかっただろう。


「正直、お前なんかに本当の俺を見せるのは癪なんだがな……まぁ、そうも言ってられないか。ちっ、元に戻るのはローズマリーと閨を共にするときだと思っていたというのに。こんなケツの青い小僧の前でなどと……この屈辱、筆舌に尽くしがたい」


 ぐちぐちと不平不満をもらしながらもタイムは手を止めない。滑らかな手さばきでぱっぱっ、と矢継ぎ早に印を組む。それは魔法ではなく、もっと根源的な別の「何か」だった。あるいはこう言い換えてもいいのかもしれない。「魔法の先にあるもの」と。


「──……我は時を統べるもの。この声を聴き届けよ、我が命に応えよ。遡れ、あるべきところまで──!」


 すぅ、と何もないところから一振りの巨大な「鎌」が現れる。刃渡りは人の背丈と同じ、柄も大人ふたり分ほどはあるだろう。茨と百合の花が絡まったような華麗な装飾を施されたしろがねの大鎌は、弱々しい電灯の明かりを受けて鈍く輝いている。剃刀のごとき刃に殺傷力はない。あの殺しを生業にさせられていた子供が扱うような、人の肉を切るのに長けた武器ではなかった。

 これは「象徴」だ。


「大丈夫だ、苦痛はない。ただ、ほんの少しだけ欠けてしまうだけだ。欠けたものはこの先、埋めていけばいい」


 言いつつタイムは、ほっそりした指に絡め持った鎌を振り下ろす。向こう側が透けてしまいそうなほど薄い刃は少年の身体を切り裂くことなくそのまま通り抜ける。そしてそれだけで充分だった。

 映像を逆再生したかのようにセージの身に起きた異変が巻き戻っていく。浅黒い肌は元の白に、色の抜けた髪は金に染まり、血の色の滲む瞳は萌え出た若葉の色へ、角も翼も爪も牙も尾も縮んでやがて見えなくなる。


「欠いた時はほんの一瞬。それ以上を望めばお前に対価を要求せねばならなくなる。そして俺はもう、人から対価いけにえを召し上げるような真似はしないと誓った……あの魔女の下に傅くと決めたときに。もう、2度と見たくない。人が神にひれ伏す有様など」


 無能でぽんこつと謗られようと今のおどけた使い魔としての有り様が今の自分なのだ、とタイムは思っている。多少のドジや失敗は己が神であることをやめた時にその「代償」としてさだめられたもので、単なる欠点とは違い直せるような代物ではない。ミスをするよう定められている、というのはいたく自尊心を傷つけるし歯がゆいが受け止めなければならない現実だ。

 それでも彼女が傍に置いてくれるから。いくら憎まれ口を叩こうとも、決して捨てたりなんかしないと信じられるから。完璧じゃない自分のことも認められるのだ。

 天上から降り注ぐ幽き光が自分達をあたたかく包み込むのを見て、悪夢は終わり迎えが来たことを知り彼は口元を緩める。気絶したまま意識を取り戻さない少年をやや乱雑に担ぎ上げ、微かに感じる主の気配を頼りに探し歩きながら静かにひとりごちた。


「……はやく良くなれ。あまり、あいつを心配させるな。お前だけが頼りなのだから」



◆◆◆



「……くっだらない。結局、あなたは自分の思い通りにならない世界が気に食わないから、自分好みに作り直したいだけなんでしょう。ガキのワガママに付き合ってる暇はないわ、私達は忙しいの。これからやらなきゃならないことがいっぱいあるんだから」


 ローズマリーはばっさりと男の「提案」を切り捨てる。だがそれに気を悪くした様子もなく、男はにこりと笑みを深めたままだ。


「そうですか……、残念です。あなたの『次』のを議題にのぼらせれば少しは興味を持ってくれると思ったのですが」

「おおかた、アレにかけた魔法薬の効果を解いて交渉材料にでもしようとしてたんでしょうけどね、タイムが到着した時点でこちらの勝ちは決定付けられてるの。私の使い魔を甘く見るな、あれは命じたことは必ずやり遂げる。だからセージは救われるわ」

「どうあっても……私の同志なかまにはなってくださらないと? あなただってこの世にはいくらかの不満がおありでしょうに」


 魔女は晴れやかに軽やかに笑い飛ばす。憂えることはなにもなく、男の言葉など瑣末なのだというように。


「えぇ、まぁ、そうね。気に食わないことはそりゃあるわ。異界を渡った者へ裁きを与えようとする『上』の傲慢とか。でもね、それも含めて私はこの世界が好きよ、守りたい。……そのためには、何をも擲ってみせる! だからお前の甘言に乗るつもりなんなない。もうここに居る理由はないわ」

「ほぉ……しかし、ここは魔法で作った仮想空間内の実験場ですよ? どうやって帰るというんです?」


「……Domine, mitte nos in benedictione tua benedicetur; Ingere cordibus nostris tui gaudium et pax; Dicamus ergo singuli, tuus amor possidendi, Et triumphus quod redemerit gratia: Domine vivificabis nos, Domine refoveo nobis, Hoc iter in deserto. ……♪」


 彼は意地でもこの場に留めようとするが、もうローズマリーは意に返さない。快活な笑みをキープしたまま聖句を唱える。美しい調べに乗せて奏でられる言の葉は、まるでひとつの歌のよう。思わず見惚れてしまい、男はそれ以上かける台詞が持てなかった。


「さようなら、哀れで虚しき人の子よ。もう2度と会うことはないでしょう」


 闇に浸された仮想空間へ一筋の光が差し込み、ローズマリーを照らす。光の当たる部分が空気に溶けて消えゆく。眩く神々しい、非現実な光景に、もはや二の句も継げず彼は見ているしかない。

 それは──かみからの恩寵だ。仮想空間に作られた脱出不能の牢獄さえ、祈りの前には無意味であるなど。奇跡という形容さえ生ぬるい、もはや祝というより「呪」とでも称すべきもの。

 ローズマリーという名を得た魔女は、しかし悪魔ではなく「神」に魅入られている。だとするならばその在り方は、もう魔女ではなく「聖女」と呼ぶべきなのか。


「今日のところは、素直に負けを認めましよう。あなたの美しさに見惚れた私が未熟だった、と。だが次はない。次こそ手に入れてみせる。──魔女ローズマリー、あなたの力と智恵、その全てを!」






 かくして軍国での波乱のひとときは瞬く間に過ぎ去り、彼と彼女は次なる目的地へ向かう。まだ見ぬ「その先」を求め、患い病んだ世界を癒すために──……。






 第一片「狂える少年と災厄の懐郷者」了

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