誓約と覚悟、あるいは不穏の先触れ

 贖罪がしたいんだ、とフェルデニウムはほろ苦く笑いながら呟いた。何かに耐えるような、痛みを堪えるような眼差しが架音に向けて注がれていた。空色の瞳は苦渋に満ち、笑顔というより泣き顔のようにも見える。


「……私は。とてつもない罪を犯した。この世界に対して、他でもない架音、あなたに対しても。その罪は残り全ての一生をかけても償いきれないほど、重い。それでも罪は贖わなければならない」


 その言葉の意味するところを既に架音は悟っている。他でもない、フェルデニウムこそが出会った当初に口にしていたからだ。なぜ架音をこの世界へ喚んだのか、その理由を。


「あのとき、他世界の者が異界を渡るための術式を編み出し、召喚の儀式が成るよう組み上げたのは私だ。もちろん何某かの横槍があって狙った通りの効果が望めなかったのは、研究チームに所属し主任研究員を務めていたのだから把握している。……けれど、そんなものは言い訳にしかならない。肝心なのは侵してはならない領域に足を踏み入れたこと、人道に悖る行いに手を染めたこと、そして平らに和やかに生きてゆけたひとりの女の子に過酷なさだめを課してしまったこと。その全ての責と咎は私にあり、他の誰にも背負わせるつもりはない。──だから」


 フェルデニウムは起立しその場に跪くと、床の上にこうべを垂れた。いわゆる土下座のポーズである。異世界の住民であるリコルダにはその行為の意味が汲み取れないだろうが、同じ国に生きていた架音には痛いくらいに分かってしまう。本来、自分達にとってどれほど屈辱的なものであるかを。


「私はこれ以上、架音に何も背負わせない、背負わせたくない。彼女が元の世界へ帰るそのときまで命を賭して守り導くと約束する。ゆえにあなたの『次』を担うお役目は私が果たします。私の全てを賭け、私の全てを捧げましょう。だからもう架音を巻き込まないでください、彼女には、一切の責も因もないのです……!」


 氷見山架音は被害者だ。彼女は望みもしないのに勝手の分からぬ異世界へ連れて来られ、自身に流れる血筋のろいが原因で来訪した世界へ破滅をもたらし、あらゆるものの敵と化してしまった。ある意味で架音は魔王的存在といえる。今後、架音が呪詛転変の要因と発覚すれば討伐隊が編成される可能性だってあるのだ。

 架音はそれに抗う力はない。なぜなら彼女に人は殺せない。生まれ育った世界で身に染み付いた倫理と良心と道徳と善性が人を殺めることを拒絶させるからだ。オグルを殺せるのは、殺す以外に相手を呪いから解放する術がないという現状があるゆえに過ぎない。そのオグル殺しだって架音の心に大きな傷をつけてしまう。当然だ、呪いさえなければオグルはオグルにならなかったのだから。

 フェルデニウムが良心の呵責を無視して淡々とオグルを処分できるのは、こちらの世界に生きてきた経験が自身にシビアな感覚を生じさせたからでしかなく、それは誰でも培えるものではないと理解している。まして召喚されてから一月も経っていない架音に、身につくはずがない。

 なにより先達としてフェルデニウムがそんな感覚を身につけさせたくなかった。人を殺してもなんとも思わなくなってしまう、そんな悲しいことがあるだろうか。果たしてそんな惨いことがあるだろうか。こちらの世界の住民の、手前勝手なワガママで無理やり引っ張り込んできてしまった普通の女の子に、どうしてそのような酷な仕打ちができようか。まだ彼女は子どもなのに。

 フェルデニウムには「大人」として果たさねばならない義務があり、架音には「子供」としての守られるべき権利がある。──幸福をあるがままに享受する、という。

 端的に言ってしまえば「そういうこと」だった。せめて架音には幸せになってほしい、幸せでいてほしい。たったそれだけのことなのだ、それ以上でもそれ以下でもそれ以外でもなく。

 あるいは代償行為なのかもしれない。フェルデニウムには今まで愛情を注げる庇護者がいなかったから。彼女は前世も今世もずっと誰かから守られる立場にいたから、今度こそは自分が誰かを守れる者でいたいという。それでも構わない。理由も原因も今はさして重要ではない、やるべきことをやらねばならない。それだけだ。


「──その覚悟、しかと受け取った。あなたの心の全てを私は見通し、言葉に偽りなしと確認した。だから、頭を上げて。あなたが屈辱に打ち震える必要はない、ここにあなたを裁ける者はいない。誰しもが原罪を背負い、私もまた『罪人つみびと』であるのだから。まっさらに生きるなんてできないの、命に縛りがある限り」


 椅子から降りてリコルダはしゃがみこむとフェルデニウムに視線を合わせる。至近距離からまっすぐ見つめられ狼狽える彼女の頬をぐいっと掴むと、強ばった顔をむにむにと揉みほぐす。


「さ、笑って。私はみんなの笑う顔が好きだよ。この地に生きる人の子に涙は似合わないよ、嬉し涙はとっても素敵だけれど。だから笑おう、明るい未来ハッピーエンドはね、笑顔の先にあるもんよ。たしか『そちらの世界』にも似たような格言あったよね?」

「……『笑う門には福来る』ですか?」

「そうそう、それそれ。いつだったかマリーに教えてもらったんだ、素敵な言葉だなぁってずっと思ってたの。いい言葉だよね、笑顔の向こうにさいわいがある、って」

「ふ、……ふふっ、そうですね。私もそのことわざ、好きですよ。なんだか勇気が湧いてくる気がするから……」


 フェルデニウムの、ずっと張り詰めていた顔がほころんで穏やかに笑みくずれる様子はまるで、蕾が開花する瞬間を目にしているようだ、と架音は思う。あるいは本当にこれはそういえば「咲く」は「咲う」とも書くのだったか、と思い出す。


「……あのっ、フェルさん。私はずっと守られてるばかりなのは嫌だよ。私の力じゃフェルさんには敵わないかもしれないけど、いつか隣に並べるようになりたい。それに臨時だけれど私はあなたの弟子だから、師匠が大変なときにはお手伝いしたい。いいえ、同じ荷物を背負わせてほしい。頼りにならないかもしれないけど、私はまだ未熟だけど……それでも、初めて私の味方なかまになってくれたから……っ、その気持ちに、報いたい!」


 ぽんぽん、と優しく頭が叩かれた。既に立ち上がっていたフェルデニウムが架音をそっと抱きしめ、まるで幼子にするように頭を撫でる。


「……良い子ね、あなたがここへ来てくれてよかった。架音に出会えてほんとうに良かった。あなたに課せられたさだめは確かに厳しく険しいものではある。だが、決してそれだけではないと他ならぬあなた自身が教えてくれたから……大丈夫、私は架音を『悪』にはさせないわ。絶対に」


 たとえばこの先、架音の身に受けた呪いに何か変化が起きて魔法使いや他種族さえ蝕むとしても。そのときは持てるだけの知識と全霊をかけて呪いを封じ込めてみせる、とフェルデニウムは自分自身に約束する。決してローズマリーひとりに丸投げになどしたりしない、負った役目は全て果たしてみせると。

 せめて架音の前でだけは、彼女にとって誇れる師匠としてありたいと願うから。


 この時点でまだ架音とフェルデニウムは知らない。同じ呪いを身に受けた「もう1人」は悪意と殺意を撒き散らし、世界全体を巻き込んで盛大な自殺を図ろうとしている、という酷薄な事実を。



◆◆◆



 ──1933年 シュバルツベルン首都「ロージア」某所


 そこは貧困と不幸を煮詰めて凝縮したような区域だ。貧民窟、スラム、掃き溜め、ゴミ捨て場……等々といくつもの俗称があるものの、町としての正式な名前はない。そもそもが違法な居住地区であり本来はここに住んではいけない法令が施行されている。ではなぜ「ここ」に人が暮らすのかといえば、まともな市民区画に住めるほどの金もなければ身分も低いからだった。

 廃材を利用して建てられたバラックに建築基準法も何もあったものではない強引に建て増しした高層建築、生ゴミや汚物が処理もされず放置され悪臭を放ち、ジメジメとした湿った空気とない混ぜになったそこに「彼」は訪れていた。

 背を流れる真紅の髪は燃え上がるリコリスを写し取ったよう、年齢も性別も定かではない美貌に嵌る瞳は鮮やかなアメジスト、魔法使いの証明である黒いローブを羽織り、その下に上等な衣服を着込んでいる。

 こつこつ、と革靴の音を規則的に鳴らしながら歩く姿は、貧民街の中で一際浮いてみえる。いや、悪目立ちしているとしか言えなかった。それでも襲われたりしないのはひとえに身にまとうローブが威力を発揮している。この国で魔法使いに喧嘩を売る馬鹿はそうそういない。

 やがて彼はとある建物の前で足を止めた。ひっそりとスラムの片隅にあるのは娼館である。歳若い者も老いさらばえた者も皆、スラムへ来た女人は皆ここで春をひさぎ、日々の糊口を凌いでいる。やがて梅毒にかかって死にゆくのがスラムに住まう女の運命だ。

 もちろん、彼がスラム街に来てまで女を買うほど切迫した状況にあるわけではない。ここへ訪れたのは目的があるからだ。コンコンと申し訳程度に備えつけられたボロボロの扉をノックすると、待ち構えていたように子供が「1匹」顔を出した。人間を1人、と数えないのはこの街の習わしのようなものである。


「……えらい優男やさだね、あんた。どちら様? こんな場末を利用するほど落ちぶれてるようにゃ見えないけど」

「はっはっは。来客に対してはもうちょいリップサービスをできるようがんばろっか。でないと客がつかないよ?」

「いいんだよ別に。アタシみたいなチビにはなから客なんかつくもんか、ってかただの小間使いだし……」

「おや、これは失敬。まぁボクはここに女を買いに来たわけじゃなし、気を遣う必要はないよ。……迎えに来ただけさ」

「迎え? 誰を? ……あんた、何者?」


 疑心と警戒を露にする子供の頭をそっと撫で、彼──焔上椎葉、またの名をシイバ・インフェソルニアは安心させるような顔つきで、ちっとも心の安らがない言葉を紡ぐ。


「おはよう、おチビさん。ボクはキミを『弟子なかま』として拉致スカウトしに来た魔法使いだよ、……さしずめ『白馬の王子様』ってところかな」

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