だからこの命は、きみのために。

「ねぇ、私の『次』にならない? きっとマリーの弟子は『次のマリー』になる。私もまた『次』へ託さなくてはならない、刻限は近い。だからお願い、あなた達の2人か、もしくは片方に『次の私』になってほしいの。偽りの理を保つために」


 拝火の魔女グノーシス、またの名を魔女長「リコルダ・フィオーナ」はいとけない顔に不似合いな、いやに大人びた笑みを貼り付けて問いかける。否、それはもはや問などいう甘ったるい響きをしていない。恫喝の意味を孕んでいると2人は即座に気付いてしまった。断ればその命脈を断つ、と。



 ──1933年 最果て「魔女の谷」



 手土産のケーキと手ずから淹れた紅茶をお供に世界の秘密を軽やかに明かしたリコルダは、相変わらず感情の読めない笑顔を保ったまま2人の答えを待っている。

 彼女らが了承するまでとことん待ち続けるつもりなのか、いつの間にか空になっていたカップにお代わりが注がれていた。並々と器を満たす茶から湯気が立ちのぼり、華やかな馥郁が周囲に漂っている。このまま逃がす気はない、と若葉色の瞳が告げていた。


「……なぜ、私達なのです? この通り架音は元々ただの学生ですし、いくら魔族の血を引いていて異能が扱えようとその本質は幼い子供に過ぎません。まして魔法の素養があるかなど分からない。私に関しても同様、単なる学者でしかなくあなたの要求に応えられるだけの実力などない。我々に、とてもそんな重大なお役目を果たせるとは思えません」


 否定的な意見を述べるフェルデニウムに架音もまた追従する。2人とも自分には荷が重いという件については同意だった。偉大な2人の魔女の力と技を継承し、後を引き受けるということがどれほどこの世界にとって重要な意味を持つか、フェルデニウムは魔法使いとして痛いほど理解できるし架音にしても肌感覚としてなんとなくは分かる。


「私もフェルさんと同意見です。抽象的でいまいち分かりにくかったけど、とんでもなかく難しくて大変なことなんだろうな、とは思いましたし……すごい魔法使いのフェルさんならともかく、私なんてどこにでもいる普通の学生だから無理です、できないです、そんな大事なこと……。なにより、私にはそんなに魔法が必要なものだとは思えない」


 対して彼女らがそう返答してくるとはリコルダも悟っていたのだろう、あまり驚いた様子もなく平然としている。魔法で注いだお代わりの紅茶をひとくち含み、舌を湿らせてから更に言葉を続けた。


「魔法がなくなっても、確かにこの世はあまり変わらないでしょう。元々この世界は魔法ありきで生み出されたわけじゃない、本来あるべき理によって動かされ、新しい歴史が紡がれるだけ。未来のありようは確かに一変するだろうけれど、魔法があろうとなかろうと先のことは読めないのだから考えたって意味がない。それはわかるの。とってもよく分かる。それでも私とあの子は、魔法を維持していきたい理由がある」


 そこで一旦セリフを切り、一呼吸置いてからリコルダは言い募った。


「魔法は、ひとを幸せにするためにある。ママ達はそう言って、私達に願った。みんなが幸せになれますようにって、そのお手伝いをして欲しいって。そのために私達はここにいる。だから、たとえ『いつわり』なんだと知っていても、守りたいと思うの。……でも、もう私達にはその力がない。私達はいずれ消え去るさだめにある、ミネルヴァやラヴァーナがそうだったように。その刻限がもうすぐそこに迫ってる。急がないとこの世界から魔法が消えてしまう、そしたら、私達……ママに会わせる、顔が、ない……」


 ガチャリと乱暴にカップをソーサーに戻して架音は吠えた。夜明け前の空に似た濃く深い青い眼が炎を灯したように光っている。


「まだ答えを聞いてない。私達でなければダメな理由はなに? あなたが自己憐憫の塊であることはもう分かった。でもそんなの、『外側』で生きてた私にはちっとも関係ないんだよ。この世界がどうなろうと、あなた達がどうなろうと。だって私は、初めからここにずっと暮らしてたわけじゃない。私は招かれてここへ来た『客人まろうど』に過ぎないんだから」

「そっか、知らないのか。あなたはなんにも『知らない』んだね。いいえ、誰も教えてあげなかったのか……。それとも隠したままにしておきたかったのか。そこは分からないけれど、人間というのはつくづく酷薄な生き物だよ、まったく」

「何が言いたいの。……あなたは一体、私の何を知ってるっていうの」

「全ては知らない。だけどたったひとつだけ気付いたことはある。あなたは外から来た人間じゃない、帰ってきたものだってことを。……もうあなただって分かってるんでしょ? この世界と無関係ではいられないって。架音ちゃんにとって、ここは未知の異世界なんかじゃない。遠い血筋に刻まれた、もうひとつの『故郷』なのだと」


 氷見山架音は懐郷者である、というフェルデニウムの発した言葉を架音はふと思い出した。それから自身にとりまく「ともくいののろい」についても。


「……リコルダさん。私、なんのためにここへ『帰ってきた』の……? 私は帰ってきちゃいけない存在だっていうなら、じゃあどうして今、ここにいるの……」

「分からない。誰かがこの世の終焉を……人々の終わりを目論んであなたをここへ呼び寄せたのかもしれない、あるいはあなたを産んだ遠い祖先が未来さきの者へ復讐を願ったのかもしれない、色んな思惑や理由や原因があって、それらが絡まり合って、今、あなたはここにいる。──けれど、たったひとつだけ言えることがある」


 テーブルを挟んで向かい合わせに座っていたはずなのに、気が付くとリコルダは架音の隣に立っていた。ぱちくりと目を瞬かせる少女の顔を両手でむんずと掴み、至近距離で視線を合わせて告げる。幼い妹が年の離れた姉へ話しかけるかのように。


「もうあなたはただの客人ではいられない。この世界に来たのなら、いずれ還るそのときまでは、この世界であなたとして生きていく義務がある。人は世界と無関係ではいられないの。もうあなたは傍観者でも観客でもない、同じ舞台に1人の役者として立っている。胸を張りなさい、最後まで人として生きていきたいのなら。自分を誇るの」

「自分を……誇る……? だって私は、この世界に何もしてあげられないのに。ただ厄介な呪いを振りまいて、せっかく良くしてくれた人も鬼にしてしまって。私に理由なんかない、私に価値なんかない! だってそんなの誰も教えてくれなかった。誰も言ってくれなかった……生きててもいいんだよって……!」


 ほろほろと涙をこぼす架音の横っ面を叩いたのは、それまで黙ってことの成り行きを見守っていたフェルデニウムだった。


「このバカ! あほ! 何を甘ったれたこと言ってんの、ふざけんな! 何が価値がないだ? 理由がないだ? んなもん、誰にだって無いに決まってんだろうが。自分で見つけんだ、自分で探すんだ、人に教えてもらうもんなんかじゃねぇんだよ! 命は誰にだって与えられるものじゃない、死ぬのは簡単で誰にでもできる、生きるのは限られたものでさえ難しい、そんなことも分からないのか! ……平等じゃないんだよ、この命も、この生も、全て!」


 フェルデニウムは──中富神楽は、自身に与えられた2度目の生がどれほど得がたく尊いもので奇跡であるのかをよく知っている。本来、転生なんて特典がただの人間に与えられるわけがない。人は何度も生死を繰り返すけれど、輪廻の記憶を留めておくことはできない。だからこれは恩寵なのであり贖罪なのだと彼女は骨身に染みて理解している。

 やり直しの機会を与えられたのだ、と。ありふれた人生、ありがちな人生、そんなくだらないものでも愛おしくはあったけれど、精一杯生き抜いたかといえばそれは否だ。最期の瞬間まで諦めずにいられたかというとそんなことはなかった。途中でさっさとこんな人生なんてやめたい、と幾度となく思った。治療が辛かった、延命の希望がないことに耐えるのが苦しかった。だから早くラクになってしまいたかった。死の瞬間、少しだけ気持ちが楽になったのを今も覚えている。あぁコレでやっと解放される、と。

 だから異なる世界に違う身体で生まれ直したことに、当初は落胆し絶望した。またあんな痛み苦しみを味合わねばならないのかと。神とはなんと惨い存在なのだろうか、と。確かにその側面は否めないのかもしれない、生きていくというのは辛く、人生は険しい道のりだ。だが。それでも、それだけじゃないのだとやっと知った。ただ苦痛なばかりではなく、そこには生きることでしか得られない幸福や安寧だってあるのだと。


「私は、この世界が好きだ、守りたい。家族に恵まれた、才能に恵まれた、そして生きる楽しさだってあるのだとわかった。けれど、それだけじゃなくて、授かったこの命を賭けてでも導いてあげなくちゃいけないものができた。──架音、きみだよ。たった数日しかまだ一緒に過ごしていないけど、あなたの抱える寂しさは少しだけ見えたから。その孤独を癒してやりたいと思ったんだ……傲慢なのかもしれないけれど、いつかあなたが心から笑えますようにと。……私は願っている。あなたが生きる理由や目的が見つかりますように、見つけられますように、と」


 誰の生も平等ではないけれど、例えばそれがマイナスからのスタートだとしても。目的地までの道程が個々に違うのならば、その過程において希望や幸福は必ずあるのだとフェルデニウムは今だからこそ思う。生をやり直した、それもまた1つの幸運であったから。誰しもに授けられる奇跡ではないからこそ。


「決めました。魔女リコルダ、あなたの『提案』を呑みましょう。私はあなた方の『次』を担います。あなたが祈る『幸せ』の在り方を継いでみせると、お約束します」

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