少年よ闘志を抱け、戦意を掲げよ

「『あのお方』はねぇ、すっごーいひとなんだよ。ぼくのこともちゃんと使いこなしてくれるんだ。仕事をくれて、お家もくれて、ごはんも食べさせてくれる。だから、ぼく、あの人のためならなんだってできるんだ。ねぇ、きみもそうでしょ? あの女の子のためなら、なんだってできるしなんだってするつもりなんだよねぇ? それならぼくら、仲間トモダチになれるね!」


 きゃらきゃらと無邪気に子供は笑う。すべらかな少年の瑞々しい肢体を備え、大量の刃物を縫い付けたボロ布をまとい、あどけない顔に狂気を湛えて。

 薄暗い実験室の中でもぼんやりと淡く光る髪は白銀、瞳は血の色に輝き、吹き出物ひとつない肌は褐色。そのような色彩を持つ生き物はこの世にたったひとつしかいない。オグル、そう名付けられた呪詛転変による産物。


「……その見た目。お前、その身にオグルの血を取り入れたか。完璧に気配を絶てる技術からして殺しが生業であり、しかも『ただの』雇われではないな」


 愛らしい猫の外見からは似つかわしくない冷静さと明晰さでもってタイムは推測を口にする。1番目立つ位置にあるセージの収まった培養器をさりげなく背に庇い、彼は臨戦態勢をとった。相手もそんなタイムの動きに気付いているようだが、瑣末なことと判じたのかいちいち指摘はしない。


「すごい! すごいすごい! きみ、猫ちゃんなのにすごいねー! 猫の使い魔さんってあんまり頭良くないイメージだったけど、見直しちゃった。ぼくも猫ちゃんほしいなぁ、あの人におねだりしたらくれるかな?」

「馬鹿にしているのか?」

「まっさか。そんなことしないよー! 人を馬鹿にしたり貶したり罵ったり嘲ったりしちゃダメだよって、あの人が言うから……そんなことしないもん。ぼく、えらいでしょ?」

「だが人は殺すのだろう。ならば『偉い』とは言えんな」

「ぼく偉くないの……? ひどいな、きみもそんなこと言うんだ。かなしいな、つらいな、くるしいな……なら、殺しちゃおうか。その実験体だって、どうせ死ぬんだ。だったら、ぼくが殺しちゃっても、いいよね……」


 平静を装いながらタイムは歯噛みした。何が地雷になったのかわからないが、自分は何かとんでもないスイッチを押し込んでしまったらしい。

 それまではギリギリ会話が成り立ちそうにみえた少年は、もう理性も知性もどこかへ落っことしてしまったような顔つきになっている。その「いかれた」表情は、もはや人というより鬼そのもの。くすくす、と不気味な哄笑をもらし、子供は──動いた。


 きぃん、と澄んだ剣戟の音が鳴る。


 電灯に照らされ煌めくしろがねの刃が神速ともいうべき速さで振りかぶられ、培養器の硝子を砕く寸前でタイムは自前の爪で弾いた。まさに紙一重のタイミングであり、もう少し反応が遅れていれば培養器はひとたまりもなく粉々にされていただろう。


「あははっ、すごーい、すごいねぇ、きみ! 鬼化したぼくの速さに着いてこられる人、あのお方以外にいなかったのに! ……きみさ、ただの使い魔じゃないでしょ? ホントの姿はなんなんだい? ねぇ教えてよ……教えろよぉ、……ぼくに、教えろ!」

「はっ、だぁれがお前のようなケツの青いガキに俺のクールビューティな本性を明かさなくてはならんのだ? ナマ言うのも大概にしとくんだな、人間!」

「もう、ぼく、『ニンゲン』じゃないよ……今度は、間違えないでね?」


 ゆらゆらと不安定に上体を揺らめかせ、少年は呪文を唱える。それにタイムは聞き覚えがあった。軍国アーデルハイトではなく王国シュバルツベルン方式の全兵共通攻撃魔法「屍山血河」──その扱い方や運用方法は国防の要たる王国魔導兵のみ把握しており、他国の人間が易々と知られるものではない。当然だ、機密なのだから。

 虚ろな、虚無感でいっぱいの顔にもはや人間味はなく、既に子供は殺戮だけを目的に作動するマシーンと化している。


「初期訓練課程で徴用兵が学ぶ、ただの初心者向け攻撃魔法がお前の『本命』という訳か。言っておくが、王国ウチの兵士なら誰でも扱えるしそれ以上に強力な魔法なんていくつでも使えるぞ。……お前、才能がないんだな」

「うるさい……うるさい……うるさい……うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさい、うるっさぁぁぁい! 黙れ、喋るな、害獣が、この毛むくじゃらめ! お前に何が分かる、なんにも知らないくせに、知ったような口を利くな!!」


 屍山血河に指向性を持たせてピンポイントで狙うような芸当はできない。あれは個人支援火器のようなもので使い手が自分の身を守る際、一対多の状況を想定して開発された魔法だからだ。全方位型の攻撃ならば室内にある全ての培養器が攻撃対象になる。

 タイムの小さな身体で守り抜くのは言うまでもく不可能だ。だから発動するより前に行動に移る必要があった。


「……はぁ。いい加減、いつまでも道化を演じているわけにもいかんか。お前みたいな物の道理もまともに知らぬ小童に本気を出すのも気が引ける、だから『数千分の一』で勘弁してやろうな。感謝せよ、人間」


 猫の姿を象った、その「何か」は切迫した状況にも関わらず、穏やかに静かに和やかに柔らかに笑う。

 その笑みのかたちをきっと「『かみさま』みたいな笑顔」と人は言うだろう。


「──時間よ戻れ。この者のさだめをあるべきものに」


 呪文ではない。ゆえにこの句は詠唱ではない。上位の存在による、自らが従わせられるものに対しての「命令」だった。

 時は戻る。全ての時間ではなく、あくまでこの少年が過ごしてきたある「過去」だけがなかったことになり、さだめの変わる分岐点まで。

 研がれた刃のような色の髪はミルクティのように柔らかな茶色へ、肌は明るい白へと、ボロ布の代わりに身を包むのは王国兵へ支給される紺青の軍服、大量の刃物は跡形もなく消え失せるが、腰に一振りの直剣を佩く。背はいくらか低くなり体格もやや華奢ではあるが、彼は一介の少年兵に間違いなかった。

 閉じられたままだった血潮のごとき瞳がゆるゆると見開かれる。もうその目は不吉な赤ではなく、甘くとろけるチョコレートのように深いブラウンをしている。


「……僕、どうして……こんなところに……? あなたは……誰ですか……?」


 高らかな声は変声期前の少年のもの。幼い容姿からして徴用されたばかりだったのだろう、だから魔法も新兵が最初に習う「屍山血河」しか知らない、使えなかったのだ。それでも殺しを生業とできる程には、才能があったのだろう──「共喰いひとごろし」の。

 哀れだった。幼い時分からこのようなさだめを課せられて生きていく人間のことが。だからせめてもの言祝ぎにと、タイムは祈る。


「安らかに。ただ今は、己が犯した罪の名をひととき忘れ。あるべきところで、あるべきものとして──眠れ、人の子よ」


 きょとんとした面持ちで、だが先程よりもずっと生気に満ちた顔つきをした少年に微笑みかける。何がなんだかわからないといった様子の彼はしかし再び目を閉じことんと眠りについてしまう。やがて空気に溶けるようにその姿は透けていき、ついに掻き消える。

 いずれあるべきところ……故郷の地で彼は自意識を取り戻し、時が経てば奥底に沈めた記憶も息を吹き返すだろう。人を殺めた惨い記憶とどのように向き合い、何を選ぶのかはあの少年次第だ。これより先にタイムが関わる余地はない。選択肢はいつだって、さだめに立ち向かう者にだけある。


「……さて。次は、こちらかな? まったくガキ共め、大人の手をいちいち煩わせやがって。覚悟しとれよ、あとでさんざんにこき使ってやるからな」


 わざわざ普段あまり使わない「力」まで解放して守ったというのに、培養器はとっくに割れていた。あの子供の魔法は発動前にキャンセルされたのだから屍山血河が原因ではない。ではなぜ破壊されたのか。

 床の上に吹きこぼれた透明な液体が蒸発し、もくもくと煙と化していく。淡い闇の中でライトの光を受け、ゆらゆらと立ちのぼる様は見ようによっては美しい。それを掻き分けるようにしてぴちゃり、ぴちゃりという足音と共に「それ」はこちらへ向かってくる。


 額を裂いて伸びる一対の角。

 腰のあたりから生えた尾。

 背に広がる巨大な革の翼。

 両手の指先を覆う鋭い爪。

 白髪、赤眼に浅黒い肌。


 ──あぁ、それは。「魔女かのじょ」が命を賭して封じ込めたはずのその姿は。


「ぐるる……ぐじゅ、ぐじゅる……グルルゥ……」


 もはや「人」の声ではない。遠吠えのような、嘶きのような、それはもう「声」ですらない、ただの「音」でしかない。


 セージが服用した薬の効果が切れるのはまだ当分先のはずだ。改良した解毒薬は1粒飲むだけでかなり長期間に渡りオグル化を抑え込んでおけるのだから。ではなぜこのタイミングで薬効が切れたのか。


「セージ……。お前、可哀想に。こんなにも運命をねじ曲げられて、それでも抗おうとするんだな。たったひとつの幸福に縋って、それでも懸命に生きようと足掻き、藻掻き、苦しみ、嘆き──今まだ、本能に耐えようとするなんて。殺したかろう、食いたかろう、けれど食べてはならぬ殺してはならぬと、自制するのは辛かろう。その勇気と矜恃に俺は敬意を表そう。解き放ってやる。しばし待て、だからどうか、……死んでくれるなよ」


 自分が主人に喚び戻される前の間に、彼の身に何が起きたか何をなされたのか、それは知らない。あの少年から実験体と称されていたのなら、何がしかの実験の被験者にされたのだろう。その結果として今の姿があるのかもしれない。

 確かにもはやセージに理性も知性もなかった。オグル化したのならそんなものはあっという間に吹き飛ぶ。だというのに唸り声を上げるだけで彼はタイムを襲おうとはしないのだ。どれほど堪えるのが苦痛なのか、その呻きに耳を傾けるだけで分かる。

 ゆえに、敬愛する魔女の使い魔の名にかけて必ずや間に合わせてみせる。


「なに、ちょっとばかり『ちくっ』とするだけさ。でもお前、男なんだし大丈夫だろ?」

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