子供の詭弁、子どもの理屈

 女神の使徒から「次」を託され、はじめてこの目で世界を見たときの感動を今も、余すことなく覚えている。鮮明に、鮮烈に、昨日のことのようにはっきりと。サファイアよりも明るく輝く蒼い星は綺麗だった。何にも喩えがたく、何とも比べがたいほどに。あぁ、この星と共に在れるのはなんたる僥倖だろうと。

 ──だから己は数多の命の咲き誇る、いとおしい世界を護ると決めたのだ。この身、この命に代えても。






「誰が、誰と、手を組むですって……? ほざくのもそれまでにせよ、人間。お前の言は許容範囲を越えている。これ以上の越境は認めない。次は──……奪う」


 部屋の中には相対すべき敵の他には誰もいない。大事な使い魔も愛しい弟子も、今は違う場所にいる。ならば、もう手加減する必要も我慢する理由もなかった。戦いの間に乱れてしまった帽子のつばの位置を直し、手元に「杖」を出現させる。


「ほう。『魔女の杖』ですか。本物は初めて目にしました。あなたのそれは素晴らしく精緻でありながら、華麗である……欲しくなってきました」


 男は感嘆のため息をもらし、義眼でもって食い入るように見つめている。偽物の目に浮かぶぎらついた光にローズマリーは眉根を寄せた。


「清貧という言葉をいい加減に学んでみたらどう? この業突く張りが、物欲しそうな目で私の杖を見るんじゃないわよ」


 魔法使いが用いる杖は発振器だ。龍脈と繋がり魂が無尽蔵にプールされる、世界の外側にあるエネルギー界と接続し魔法を発動させるための動力源を供給するための。そして扱う魔法が複雑で作動させるのに手間がかかる場合、術式を記録し、本来しなければならない発動に必要な儀式を省略カットさせるのにも使われる。

 対して、そうした煩雑な手続きとは無縁の立場にある魔女が杖を使うのは、それら魔法使いとは別の使用目的があるからだ。いわば奥の手、切り札、必殺技……とでもいうべきものに、魔女の杖は該当する。

 彼女の瞳と同じ色のエメラルド、セージの瞳とよく似た色のペリドット、他にもクリソベリルやフォスフォフィライトなど数多の宝石が散りばめられ嵌め込まれた杖は、石突に鋼を使っている以外は全て木で出来ている。トップは五芒星に絡まる蛇の意匠。いかにも「魔女」が持つに似合いの杖だ。


「で? それでこの私が倒せると? なるほど、確かに魔女の杖は基本的に使用の許されぬ禁じられた武器だ。黒姫の化身『ミネルヴァ』の使徒たるあなたが扱うのであれば、その杖の威力は……そうですな、『✕✕✕』に匹敵するでしょう。私が徒人であれば、木っ端微塵でしょうなぁ。遺体すら残らないでしょうね。……しかし、一国の軍を預かる者がまさか何も持っていないとは、あなたも思っていないでしょう?」


 泥濘を煮詰めて腐敗液に溶かしたような色の瞳がモノクル越しにローズマリーを睨めつける。ローズマリーはちっ、と童顔に不似合いな舌打ちのあと、渋々といった体で杖を描き消した。


「……手短に要件を述べなさい。あなたは私に何を望むの。人間が魔女を頼るというなら、では、一体あなたは私に何をさせようというつもり?」


 実験室の片隅に重ねられていた三脚椅子を魔法で手元に呼び寄せ、ローズマリーはどかりとマナーもへったくれもない様子で腰を下ろす。とりあえずは話を聞こうとしているようにみえる彼女に、男は深々と一礼して自らもまた同じく、いつでも立ち上がれるよう椅子に浅く腰掛けた。


「なに、簡単な話ですとも。ひずみを整えたいのです。いびつで異様なこの世界のひずみを正し、愛しい祖国と同じ素晴らしい世を取り戻したい。私が願っているのは、いつだってそれだけですよ」


 慇懃な口調のまま、男は理想に燃える青年のように青臭い言葉を紡ぎ出す。魔女は片眉を跳ね上げかけたが、すぐさま平静に立ち戻った。代わりに深く嘆息する。


「……確か、あなたが『こちら』へ来たのは『2019年』だったかしら。座標は……『エヌの骸』で、『ここ』とは非常に近い位置にある。列順はほぼ同数、行順は異なる、が」

「ンッフッフッフッ……、よくご存知で。どなたから私について訊いたんですか?」

「別に。世界を管理するのは『かみ』の仕事。私とあの子は大事な情報を時々共有させてもらえるに過ぎない。『上』は忙しいの、『中』である私達にいつでも構ってあげられるわけじゃない」

「ほほぉ、つまりあの方々にとって私の来訪は、共有しなければならない重要な情報というわけですか。なるほど、良いことを聞きました」


 にっこりと嬉しそうに笑う様だけを切り取ってみれば、最初のうちは好々爺に見えなくもないだろう。その眼の奥に潜む悪意にさえ気付かなければ。だが、身に染み付いている気配と同化した嫌悪や憎悪を見逃すほど、ローズマリーは耄碌していない。


「しかし、ちょっとばかり情報が古い。私は確かに『2019年のエヌの骸』から来ましたが、間にひとつ別な世界を挟んでいる。そちらはここから非常に遠いゆえ、おそらく『上』も詳細は知り得ぬことでしょう。滞在した経験がある私でもさして詳しくは知らない。とにかく、えぇと……とりあえず『A』と仮称しますか。その『A』で私は一生を終え、元の世界に帰還せずこちらへ『来た』のです」

「あぁ、そう。どうでもいいわ、お前の生い立ちなんか。それより言ったでしょう、手短にせよと。早く本題に入りなさい」

「おや、つれませませんな。ナンパは失敗ですか。せっかく仲良くなれるチャンスと思いましたのに」

「お前なんかと利害関係の一致によるとしても『仲良く』だなんて……反吐が出るわね」


 世界はひとつだけではない。違う次元に樹形図の異なる世界が無数に折り重なるようにして存在し、それらは「並行世界パラレルワールド」と呼ばわれる。

 男はそれらへのアクセスを「命を損なう」ことにより可能とした。己の生命を代償にした結果、各異界へ行き来できるようになった男がたどり着いたのがこの世界──「1933年・エムの屍」である。

 年数は西暦を基準とした概算であり、各世界に振られた管理番号シリアルナンバーを「エヌの骸」や「エムの屍」という。当然、他にも別な管理番号を与えられた他の世界があり、男が生まれ故郷の世界とこの世界に来るまでの間に過ごした世界にも、別な名前があった。とはいえ彼は魔女に明かすつもりがないので『A』と仮称したのだが。


「話を戻しましょう。私があなたに望むのは先程も申しました通り、この世界に置ける歪みを本来あるべきものに矯正すること。つまりは『魔法』の終焉です。そのためには、あなたの『次代』と成り得る『彼』が要る。だから、まぁ、そうですね……有り体に言ってこう言い換えましょう。『息子さんを嫁にください』……なんてね」


 男は思う。この世はゆがんでいる、と。どうしようもないところまで、もはや世界そのものを狂わせかねないほどに。

 予想として、この世界の住民は限られた者を除き世界の歪みに気付いていない。捏造された理によって動かされる魔法をただの便利グッズ程度にしか考えていないはずだ。それも致し方ないとは理解できる。誰も教えてあげなかったのだ、このままではいずれ世界そのものが瓦解しかねないほど「歪み」は酷くなってしまったと。

 だが、いくら理解はできているとしても、既に許容の範囲は越えている。かつて、自分なりの「正義」に生きた男には到底無視できない問題だった。なぜなら男は「正義そのもの」であり「正義の体現者」であり「正義の味方」だったから。

 ならば正せばいい。ならば直せばいい。

 壊れたなら修理を。どうしようもなく壊れしてまったなら、いっそ「再生」を。魔法の終焉でさえ歪みが正せないんだったら、新しく世界を作り替えてしまえばいい。

 男はそこに新たな「正義」を見出した。

 モノクルの向こうに光る義眼はいつも熱っぽく輝き、泥にまみれた傷だらけの「正義」を映す。そこにひと握りの殺気を込めて。


「ミネルヴァの魔女よ。互いの手を取りましょう? あなたの使命に意味はない。あなたの苦しみ悲しみ痛みつらみを愛する者に背負わせるわけにはいかない、でしょう? 魔法がなければ世界の歪みは正される。捏造された理を守護し維持し管理する必要なんかどこにもない。この世界に──魔法は要らない」


 しかし流暢かつなめらかな詭弁をローズマリーは鮮やかに蹴っ飛ばす。そんな言葉ものに耳を貸すつもりはない、というように。


「はんっ、何を言い出すかと思えば、結局は子どもの言い分ね! 世界が悪い、魔法が悪い、責任を全て他に押し付けて、挙句の果てには自己弁護! ガキの物言いなんざ身をもって知ってるのよ、こっちにも子どもがいるものでね!」


 あくまで表面上の感情を揺らがすことなく静かに魔女を睨み続けている男へ、ローズマリーは高らかにのたまう。


「言わせてもらうわ、魔法によって押し潰されるほどこの世界は脆くなんかない。魔法が魔法として機能し、幾多の生命が幸福と安寧を得られるようにと祈って、『上』は偽りの理を組み上げた。そこに何の意図もない、あるのは生まれたものへの言祝ぎだけよ。それも理解し得ないのなら、交渉の余地なんかないわ。あなたに倣って私もお決まりの台詞で締めることにしましょう。──『実家に帰らせてもらいます』っ!!」

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