そしてぼくらは夢から醒めた

 ゆるゆると意識が覚醒する。霧が晴れたみたいに五感はすっきりと明瞭で、目覚めてすぐに朝日に照らされたときと同じくらい、なんだか今は気分がいい。爽快だった。あぁこな胸がすくような気持ちになるのは、初めてのことじゃないなと彼は気付く。忘れもしない、最初の「転化」が自身にある変化をもたらした。それは、


「あぁ、たのしいな……サイコーだ……たまには戦うのも悪くない、……ねぇ?」


 両手を鮮やかな赤に染め、うっそりと笑う。視界に映る極上のエモノを見つめて。






 おいで、と腰にくる甘い囁きに導かれ、1匹の猫は敬愛する主人の元へと馳せ参じる。

 にっくき馬鹿弟子セージと共にいずこかへ消え去ってしまったときはさすがに焦りを禁じ得なかったが、なんのことはない、この世における至高の魔女たるローズマリーは当然ながら無事そのものだった。今も元気に正体不明の男とやり合っている。精鋭である王国魔導兵でさえ大隊程度の規模でなければ運用できないほどの大魔法を贅沢にも乱発し放題だ。

 本来ならば広大な実験室は壁も床も天井もズタズタのボロボロになってなければおかしいくらいだが、特殊な内装なのかそれとも魔法か何かで防護しているのか、ローズマリーがどれほど強い魔法をバカスカ打ちまくってもビクともしない。それをいいことに、彼女は人間なら30回くらい死んでいてもおかしくないレベルの高威力攻撃魔法を間髪入れず発動させ続けている。

 ドカンバキン、などという甘ちょろい擬音ですらない、凄まじい轟音が耳を劈く。本気の殺し合いが行われていた。それだけ相対する敵が油断ならない強者であるという証左であり、また大戦時代の主人を知るタイムの目には懐かしいものとして映った。戦争が終わってからの彼女は、人が変わったかようにいつも穏やかで温厚な様子だったから。


「我が君! 助太刀いたしますっ」

「バカタイム、おっそい! あいつが気がかりだから、早く様子を見てきて。可能ならこの空間を突破して早く逃げるのよ! あの子を少しでも安全な場所へ、運べ!」

「えっ……何をいうのですか! あんな小僧などどうでもいい、俺は我が君のために仕えているのです! ……見捨てればよいではありませんか! どうせ、どうせ……っ」


 ごっちん、と身体強化の魔法で膂力が底上げされた拳が振るわれ、タイムは横っ面をぶん殴られた。ころんころんと床の上を勢いよくローリングし、壁にぶつかってようやく止まる。目を回す使い魔の尻尾を踏んづけながら大魔王のごとき威圧感を醸し出し、ローズマリーは宣告する。


「あるじの命令が聞けないっての……? そう、なら契約を解消してもいいのよ、めでたくあなたは元の邪神へ戻り、二度とこの世に関われなくなる。かつての主である私に会うこともできず……。嫌でしょう? 嫌よねぇ? なら、馬車馬の如く働きなさい。つべこべ言わず言うこと聞け。否と応えるならば、次は──容赦しない」


 本気の憤怒だった。さっきまでは敵にのみぶつけられていた怒りがまっすぐにタイムへ叩きつけられる。タイムは、ローズマリーの瞳が爛々とエメラルドに輝いているのに気付き、命令に背けばすぐさま「し」にかかるだろうと予想できてしまった。

 魔法を使うとき魔女の目は輝く。形容や喩えではなく物理的に光るのだ。そして今、ローズマリーは敵そっちのけで発動させる魔法を待機状態にさせたままタイムを見ている。


「ヒェ……ッ、わ、分かりました! イエス! はい! OKです!! 否じゃありません!! すぐに行ってきます!」

「そう。分かればいいのよ、分かれば。さ、行ってらっしゃい。……万が一、ひとりで戻ってくるようなことあらば……分かっているわよね?」


 さらなる脅しをかけられ、完全に屈服されたタイムは泣きべそをかきながらするりと姿を消した。出入口がなくとも彼にはなんら関係ない。肉の器を持たない使い魔にとってはどこもかしこも「扉」になる。タイムは自分と馴染みある気配を辿り、それほど時間もかからずセージの元へ着くだろう。だから心配は要らなかった。

 優先すべきは目の前の「人間」だ。


「……邪魔が入って悪かったわね、ごめんなさい。では続きと参りましょうか」

「いえいえ、お気遣いなく。それよりも少し疲れた、老体には魔法合戦がしんどくてですね……。休憩しましょう、ちょっと私と話をしませんか?」

「はァ? 人のこと突然拉致っておいて、よくもまぁ自分の話を聞いてもらえると思えるわね。随分とまぁおめでたい頭をしていて何よりだわ。……お断りよ、あなたと話すことなんか何もない!」

「なるほど。確かに私は無礼なことをしました。その件については謝罪いたしましょう。ですが、私の話はあなたにとっては、決して無駄にも無意味にもならないかと。それどころか、むしろ『オトク』だと思うんですよねぇ……」


 他ならぬセージ君のことですよ、とおまけのように最後に添えられ、ローズマリーは目を見開いた。淡い燐光を纏っていた両の瞳が常の常磐色へ戻る。彼女が魔法発動時の予備動作をキャンセルしたと悟り、男はずっと湛えていた笑みを更に深める。


「ねェ、私と取引をしませんか? あなたに私は技術を提供します。彼……あなたの『次代』となる少年を元に戻す可能性のある、唯一かもしれない方法を伝授しましょう。その代わり、あなたに『同志なかま』になっていただきたい。この世を革変するために。──否、新しい世界を創るために」



◆◆◆



「まったく……なんで俺がどうでもいいクソ野郎なんぞを助けねばならんのだ……死ぬなら勝手に死ね、ゴミカスが……しかし、見捨てれば今度こそ我が君は俺を排除なさるだろう……それはイヤだ……ちぇっ、あいつさえ居なきゃ、俺はまだまだローズマリーを独り占めできたのにぃ!」


 ぶつぶつと恨み言を吐き、タイムは等間隔に蛍光灯が設置された薄暗い廊下をとぼとぼ歩いていた。この建物はおそろしく広大で、廊下の幅も馬車が通れるくらい広い。現在はまだ白熱灯が主流なのに蛍光灯があるところからして、シュバルツベルンとは文明の進みが1段階も2段階も違うと分かる。

 どうやら現在地は地下なのか少し空気はジメっとしているものの、空調が効いているので室温は快適だしかび臭いということもなかった。ただ、窓がなく灯りの間隔もかなり開いているので全体的に暗い。タイムは猫なので夜目が利くから移動に支障はないが、人間はちょっと辛いだろう。ちりんちりんと四足を飾る鈴を鳴らしつつ歩くうち、あっという間に目的の場所へ到着した。


「セージー? 馬鹿弟子ー? おら、迎えに来てやったぞ、返事しろー。じゃないと置いて帰っちゃうぞー……おい、いるんだろ?」


 廊下の突き当たりにあった巨大な扉に「中央ラボ・第2検査室」という札がかかっており、使い魔の勘がここにセージはいると教えてくれる。前足で半開きのドアをちょっと押して中へ入り、彼はぎょっと目を瞠った。

 ローズマリーが敵と戦っていた実験室の数倍は広い。広いというものじゃないくらい広い。王国魔導研究所にだってここまで巨大な空間は果たしてあっただろうか。やはり窓はなく、床と壁は打ちっぱなしのコンクリート製だ。壁紙のひとつも貼ればいいのにとつい思ってしまう。

 そこに、並んでいた。なみなみと何かの液体で満たされ、オグル化現象によって鬼化したと思われる生命体がしまわれた培養器が。ひとつ、ふたつ、みっつ……部屋全体を覆い尽くしてしまうように、いくつもいくつも。

 そして、最前列の中央に。

 彼は居た。他のオグルと同様に、培養器の中に収められた状態で。いつもギャンギャンうるさい口は真一文字に引き結ばれ、口ほどにものを言う眼は固く閉ざされたまま。溶液にゆらゆらと金髪がなびき、天井に設置されたライトが淡く照らす。


「セー……、ジ……? おまえ、こんなところで何を、なんで、こんなことに……?」


 自身が今見ているものが信じられない、といった様子で呟くタイム。そこへ、足音も気配も何もなく「だれか」が現れる。あまりにも唐突で彼は一瞬、反応が遅れた。


「ステキでしょ? キレイでしょ? おぞましくて、でも、とってもカワイイでしょ? これ、ぜーんぶ『あのお方』のコレクションなんだよ。運命が動いた日から、ずぅっとコツコツ集め続けてるんですって。ぼくもね、ちょこっとだけだけど……お手伝いしてるんだぁ。分けてあげよっか。あのお方は気前がいいから、たぶん許してくれるよ」


 にこにこ、と「彼」は笑っている。確かにその顔は笑みに似た表情を形作っているようにみえる。だが、タイムはそれを「笑顔」と認識したくなかった。それより遥かに尊く愛おしい「本当の笑顔」を知るがゆえに。

 醜悪な笑みを貼り付けたまま、少年の姿をした「それ」は身を包むボロ布の前をくつろげる。裏地にびっしりと縫いつけられているのは、どれも一目で業物と分かる肉厚の刃物達だ。電灯の光を跳ね返し、鈍く光るそれらを見遣り、タイムは被った猫を剥いで深いため息を吐く。


「……はぁ、クソガキを迎えに来ただけだというのに。なんだってこんな面倒くさい事案に巻き込まれなくてはならんのだ? あぁ、まったく……戦うのとかダルいから嫌いなのに。──……やれやれ」

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