くらい、くらい、やみのなか

 ──1933年 軍国アーデルハイト首都「クリムシー」


 厳粛なムードで進行していた式典の最中に突然現れた部外者の存在に、それまで整然と並んでいた兵士達はにわかにざわつき始めたものの、泡を食った元帥が命ずるとすぐさま平静を取り戻しローズマリーらを捕獲しようと動き出した。運の悪いことに軍事パレードが行われる「深紅の広場」へ集められていたのは全司令部からよりすぐられた精鋭中の精鋭達だ、態勢の立て直しも早ければ魔法戦闘技術も世界トップレベルの練度を誇る。

 つまりまともにかち合ってしまっては勝ち目などない。三十六計逃げるに如かずというように、ここはとにかく退避しなくては命が危うい。だが、先程の巨大化で残存魔力の大半を消費したタイムは、敬愛する主を助けたくとも為す術もなかった。


「おいっ、セージのクソ野郎! お前みたいなゴミカスでも役に立てるときが来たんだ、せいぜい我が君の肉の盾くらいにはなるんだな!!」

「はぁ!? 言うに事欠いてそれ!? 元はといえばお前が魔法をミスるからこんなことになったんだろーが! ふざけんな!」

「うっ……。うるさいうるさい、うるっさぁい!! 仕方ないだろうが俺は魔法が苦手なんだよ!!」

「つ、使い魔のくせに!? それでよくお前はマリーの配下になれたな!?」

「わ、我が君ぃ……申し訳ありませぬ……このタイムめがせめて、時間稼ぎをば……っ」


 真後ろでぎゃあぎゃあと喚き合う頼りにならない男共にローズマリーは嘆息したくなる。だが、いちいち彼らの漫才じみたやり取りにつっこみを入れる余裕などないので華麗に無視し、セージには耳慣れぬ言葉を厳かに吟ずる。本来、魔法使いの中でも特別な存在である魔女は呪文も儀式も魔法陣も必要としないが、この状況においては別だ。彼女が唄うように唱えたのは、


「Horum mutuo postulaverit lapide pretioso reginae uxori veniam nigro album lux hominum benevolentiam deam misericordiae

(貴き姫よ、尊き妃よ、我ら民を愛し給う至高の女神らよ、どうか我らを慈しみ給え。 麗しの光を今、この身に借ることを赦し給え。白妃と黒姫の名において)」


 ──それは、祈りの聖句だ。

 魔女は奉ずる神を持たない。魔女が信じるものはいつだって己が培った智識と智恵である。魔女という生き物は上位の存在、すなわちかみに縋らない、救いを求めたりもしない。……本来ならば。

 けれど彼女らは。聖句において祈りを捧げられる者である、二柱のとうといものは。神などいないこの星で、確かに神と呼ばれるものだった。

 白き妃と黒き姫──ふたりの美しい者達がこの世のかたちを創った「らしい」から。


 ただ美しい旋律に広場は静まり返る。甘く高らかな響きの声で紡がれる詩が人々から戦意と闘志をかき消して、優しい気持ちと穏やかな心に塗り替える。果たして魔法なのかどうかさえ疑わしいのに、けれど効果は絶大で抜群だった。

 突然奏でられた聖句に惚けている兵士達を横目にローズマリーは次の一手に出た。間髪入れず更に魔法を発動し、分厚い霧のヴェールで自分達を隙間なく包み込むとそのまま遥か高空へ舞い上がる。敵兵が我に返る頃には既に、2人と1匹は軍国の空を自由飛行していた。

 遠い地上で元帥が何事か叫んでいるが、雲を突き抜け風を切って飛ぶ彼女達にそれが届くわけがない。が、目の良いセージには顔を真っ赤にして部下達を怒鳴りつけるおじさんが、はっきりとよく見えた。


「あはははは! ざまぁねぇな、あれでほんとに俺達シュバルツベルンと戦争やらかす気かよ!? マリー1人にだって敵いやしないのに! 見ろよ、あんなに怒ってら」

「口を慎みなさいセージ。あんな小物は問題ではないの。ほら、自慢の視力を魔法で底上げしてご覧なさいな。1人、こちらへ視線を合わせているのが分かるでしょ」


 透き通る青の只中をぐるぐると旋回しながら、ローズマリーはほっそりした指を広場へ差し向ける。隊列を乱しあちこちへ散開する兵士達や地団駄を踏む元帥に混じって、たった1人だけが彼女らに標準を合わせていた。

 品良く着こなしたダークスーツはのりの効いたシャツもきっちり締めたネクタイも黒、ベルトのバックルさえも黒で統一され、唯一カフスだけが陽光を反射し輝いている。深い皺の刻まれた、東の民特有の彫りの浅い顔立ちに安っぽいモノクルが嵌め込まれ、広場の全景を透かしていた。綺麗に整えて後ろへ撫でつけた髪はロマンスグレー、感情の読めぬ虚ろな眼差しは不気味な黒曜の色。

 かさついた薄い唇がなめらかに呪文を詠唱し、にんまりと酷薄な笑みを浮かべる。

 あ、とセージ達が思う間もなくそら

 玻璃を砕いたように罅割れた空から紫雷が閃き、飛び回っていた2人を打ち据えようとして──……寸前、タイムがローズマリーの腕から抜け出し盾となる。


「……っ、タイム! 何してるの、この馬鹿!」


 たまらず叫んだ主人に対し、彼は慇懃に微笑みながらのたまった。


「すみません、我が君。ですが俺は、約を交わしたあのときから、ずっと心に誓っているのです。たとえ髪の一筋であろうと愛する主を傷つけてなるものか、と」


 なかなかに感動的な台詞だったが、しかし長年連れ添った主人には通じない。ローズマリーはあどけない顔に不似合いな舌打ちを連発し、す、と利き手を掲げる。


「もういい。あんたは下がってろ。あとは──わたしがやる」


 そしてノータイムで魔法が繰り出された。「対象」の足元から広場に敷き詰められた石畳で造られた蔓薔薇が伸びて、瞬時に鳥籠の如き檻と化す。しかし彼が呪文を唱えればすぐさま粉砕され、ほとんど間を置かずして自由の身となってしまう。

 そこからはもう目まぐるしい魔法合戦だった。魔女が捕え、男が逃げ、男が襲い、魔女は避ける。ただ後ろで庇われ護られているだけのセージには何も出来ない。助けるどころかむしろ、足手まといでしかなかった。


「いつまで鬼ごっこを続けるおつもりで? もう飽き飽きなんですよ。あなた、弱いし……どうせならもう少し強くなってから刃向かってくれませんかねぇ? あぁ、それとも……もしかしてまだ、私の正体にお気づきではないのかな?」

「馬鹿にしてるの? 始めから分かってたに決まってるでしょ。あえて無視してたの、しつこい野郎もめんどくさいオスも、私はだいっきらいなのよ」


 魔女と男の彼我距離は目算で20階建てのビルと同じくらいか、それより更に離れている。だというのに男の発する声は間近で聞いているのと変わらないくらいクリアに届く。おそらくこれも魔法なのだろうか、とセージは当たりをつけるものの、どういう術式で成立しているのか皆目検討もつかない。

 もしくは。別の法則を用いているのか。でも、どうやって?


「ああ、やはりつれないお方ですなぁ。だからこそ追いかけがいがあるというものだ。ねェ、面倒なしきたりや余計なしがらみの全てを捨て、私にひとつ委ねてはくれませんかねぇ? 具体的にはそこの面白い生き物とか、あとは……あなた自身を」

「きっもちわる。なんで私より何百も歳下のクソガキ相手にしなきゃなんないの、生憎とこの馬鹿弟子と駄猫で手一杯なのよ、悪いけれど他を当たってくれないかしら」

「いやぁ、他の塵芥の如き魔女共なぞ、私の崇高な目的の前には無意味ですので。あなたがいいんですよ、むしろあなたでなければダメなのです。いい加減、分かっちゃくれませんかね?」

「分かってなんかやらないわよ。私はこの世界が好きよ、白妃と黒姫が創世したこの世がお気に入りなの。だから、それを破壊したがるのなら、あなたは──要らない。この世界にとって、この私にとって、必要ない存在。消えてくれる? 目障りなのよ」

「嫌ですよ。まだまだこれからなのでね」


 男がにっこりと、まさに紳士というにふさわしい笑みを口元に貼り付ける。それが合図だった。


「……っ、なにこれ、悪趣味ね……!」


 足元──いや、ローズマリーとセージは空に浮いているのだから足元というのは不正確だが、しかしまさに足元と言うべき場所に、仄暗い穴が開いていた。穴というよりは、まるで見開かれたまなこのようにも見える。


「素敵でしょう? のろい、ですよ。あなたたち魔女が大好きで、大嫌いな」


 ごう、となまぬるい風がたなびいて。

 さしたる抵抗も許されず、彼と彼女は容易くあなの向こうへ呑み込まれていく。あるいは吸い込まれると言い換えてもいいのかもしれない。とにかく、ふたつのシルエットは暗い昏いまったき闇の彼方へと消えた。

 その場にいっぴきの猫を残して。




「わがきみ……? セージ? なんで、どうして、……っ、──ローズマリー!!」

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