そこは、世界の異端

 ──1933年 最果て「魔女の谷」


 1本の太く深い大河によって切り分けられた3つの大陸にそれぞれ「王」「軍」「帝」を名に冠する大国が君臨し周辺諸国を治める世界──その「領外」に緩衝地帯として、いにしえの大魔法により作られた地域「最果て」はある。

 遥か遠い昔、血で血を洗う地獄の大戦から得た教訓により人と魔物は互いに干渉するのを禁じ、物理的にも決して関われぬよう世界そのものを断ち割った。魔族は異なる位相にある仮想の世界へ越し、二度と元の位相に戻らないと人の王に誓約を交わす。誓いを遵守するため生まれた「最果て」へは、人も魔物もあらゆる種族が出入りを禁じられている。それが古きより伝わる世界のルール。……そのはずだった。


 数日前までは何の変哲もない女子高生だったが、今や世界の破壊者に等しい力と呪いを得てしまった架音は、未だ力の上手く入らない上体を背もたれに預けて、窓の向こうに見える町並みをぼんやり眺めていた。

 切り立った崖の下に広がる小さな町は、多くが2階建てから3階建ての背の低い建物が等間隔に連なっており、石畳を敷いた車も通れぬような狭い道がそれらを繋いでいる。架音の師匠に収まった魔法使い、フェルデニウムが焼き払ってしまったという辺境の町スフィールよりも閑静でメインストリートを行き交う人の数も僅かだ。

 ただ、町を歩く人々には共通点があり、大部分がとんがり帽子にローブを纏った魔法使いの格好をしていた。男女比も極端に偏っており、ほとんどが10代から30手前までの若い女性である。男性はあまり見られない。

 ここは西の最果てにある「魔女の谷」という秘境なのだそうだ。緩衝地帯としての最果てが生まれるよりももっと前からこの地に住まう旧い種族「魔女」が暮らし、魔法の開発や研鑽をしているのだという。

 ここに居を構える資格を持つのは同じ魔女か、あるいは魔女と血の契りを交わし夫婦になった男、その間に生まれた子供のみ。条件に当てはまらぬ者は、居住どころか谷への立ち入りさえ認められない。厳しいしきたりと魔女族の長による大規模かつ強固な守護結界に守られた町だ。

 当然ながら架音はおろか、同じ女性の魔法使いであるフェルデニウムも本来ならばここへ来ることすらできないはずだが、何事も裏技、もとい抜け穴はあるものだ。

 午後の気だるい空気に包まれた部屋で退屈を持て余していると、控えめなノック音がドアを叩く。買い出しに出かけていたもう1人の同居人が戻ってきたらしい。架音が応えるとぱんぱんに品物の詰まった買い物籠を片手にフェルデニウムが顔を覗かせた。

 亜麻色の髪を纏め上げたシニヨンはいつも通りだが、気張った白衣にスーツ姿ではなく麻の地味なスカートとチュニック、その上に黒いローブを羽織っている。ローブは魔法使いの証らしく、白衣を着ない時は必ずこれを身につける決まりがあるのだとか。学生が制服を着用するのと感覚は同じのようだ。


「おかえり、フェルさん。……買い物ありがとう。私も早く外出できるといいんだけど」

「ただいま、架音。町でお昼とか服とか色々買い揃えてきたから、あとで着丈が合うかチェックしましょう。ここは年中を通して気候が変わらないし、魔法を学びながら静養するには絶好の環境ね。ローズマリー様に感謝しなくては」

「ローズマリーさんが手配してくれたんだ……私、お礼するどころか顔も見ずに離れちゃった。いつかまたお会いする機会があるといいな」

「ポートヘブン経由で軍国へ向かわれると仰ってたから、しばらくこの国へは戻ってこないでしょうね。あちらで何をされるかまでは教えてくださらなかったけれど……きっとあの方のことだから、元気でやってるでしょう」

「……フェルさんはローズマリーさんと知り合いなの?」

「いいえ。私が一方的に見知っているだけよ。あの方はシュバルツベルンじゃ知らぬ者がいないといわれるほど有名だし、特に最近までは時折王宮へお見えになっていたから、王都勤めだった私にとっては馴染みのある方だったの。同じ魔法薬学の分野で研究している同輩は、マリー様がいらっしゃる度に質問責めにしていたわね」


 彼女にとっては懐かしい記憶なのだろう、くすくすと楽しそうに笑みをこぼしながら語ってくれた。気絶していたので人となりはおろか姿形さえ見ることなく旅立ってしまい、名前しか知らない架音としてはなんだか少しだけ羨ましくなるエピソードだった。


「ここ、ローズマリーさんの故郷なんだっけ。私達が来てよかったのかなぁ」

「魔女族の長に渡りをつけたから大丈夫、ってマリー様は太鼓判を押してくれたし町で買い物していても特に邪険にはされなかったけれど……不安なら、ご挨拶くらいしに行きましょうか? せっかくだもの、顔見せしておいた方が今後にとっても良いし」

「うん。そうだね……また途中でぶっ倒れないといいけど」


 架音の身の裡に宿っている魔族の力「異能」は、使えば使う度に生命エネルギーを摩耗してしまう非常に燃費の悪い武器だ。魔法も同じく術者の生命エネルギー、または龍脈から生命エネルギーを取り出して魔力に変換し使用するが、効率の問題で異能はより多くのエネルギーを消費する。

 使いすぎれば当然ながら寿命は縮むし、こうして寝込むことになる。架音の場合、慣れないうちに立て続けに異能を使い、しかも満足な休養も取れず、挙句フェルデニウムの魔法のダメージをもろに受けてしまったため、彼女を診たローズマリーから静養するようにとお達しを受けてしまったのである。

 その候補地として魔女の谷を薦められたのだ。他に行く宛てもなかったのでフェルデニウム達がぜひにと頼むとローズマリーが自身の生家を使っていいと許可を出してくれ、魔女族の長に架音らを受け入れるよう要請してくれたのである。

 という経緯の元、今に至る。

 フェルデニウムが購入した服にさっそく袖を通し、とんがり帽子こそないが魔法使いらしい見た目になった架音は、近くの菓子屋で売っていたケーキを手土産に、魔女族の長が住むという屋敷へ向かう。途中で何かあったら困るからと師匠も一緒だ。のどかな昼下がりの町を散策しつつ2人は歩く。

 ちなみに呪いの拡散は止まっている。ここに「人間」は誰一人いないからだ。


「でもさぁ、ローズマリーさんのおうちっていうからてっきりお父さんやお母さんもいるのかと思ってたけど、家の中に誰もいなかったね」

「マリー様は何も言ってなかったけれど、もしかしたらご家族は疎遠になってしまわれたのかもしれないわね。それか、鬼籍に入ってしまわれたか……。後者でないことを祈るけれど」

「きっと町を出て別なところで暮らしてるんだよ。ここは静かでいいところだけど、王都は賑やかなんでしょ? たぶん、そういう大きな街に住んでるのかもしれないよね」

「そうね、弟子を取る前はミネルヴァの暗き森じゃなくて王都にお住いだったし」

「そういえば、その『王都』ってどういうところなの? 私はしばらく行けそうもないから、気になるな」

「あぁ、そうか……。架音はここ以外の町へは立ち入れないものね。あなたにも分かりやすく説明するとしたら、産業革命直後のヨーロッパの大都市って感じかしら。石造りの大きな建物がたくさんあって、それから中心には立派な宮殿があって。……そんなまちよ。首都として整備される前は薔薇の名産地で、一面薔薇の木々が生い茂る風光明媚な街だったらしいけれど」


 だから今でも薔薇烟る都と謳われているわ、とフェルデニウムは付け足した。都市名の「ロージア」も薔薇ローズに由来しているとも。そんな人族の中心地たる麗しの王都も、今では呪詛転変によるオグル化現象の影響真っ只中にあり、人の出入りは完全に禁止されている。議会と軍部が中心となって隔離策に動き、呪いの蔓延を食い止めているのだ。

 現在の王都は魔法使いしか生き残れない街になってしまっている。だがたとえ魔法が使えても戦いの技術を身につけていなければ、あっさりとオグルに食い殺されてしまう。フェルデニウムの上司である所長のように。


「ねぇ、ひとつ気になってたんだけど……どうしてこの呪いは『人間』にしか影響を及ぼさないの?」

「やっとその質問がきたわね……、ちょっと疑問に思うのが遅いわよ。簡単に言うと、これは魔法使いではない人間を滅びに追いやるための呪詛きんじゅつなの。呪いは特定の制限や条件を設定すると威力を高めることが可能となる。だから、あえて魔法使いを除外する条件を課すことで、それ以外の人への効力を強くしている。ただ、文献に残されている『ともくいののろい』にしては、いくつか不可解な部分があるのよね……」

「不可解な部分? それって……たとえばどういうところが?」

「答えてあげたいところだけど、またあとでね。今はきちんとご挨拶しないと」


 会話しているうちに、いつの間にか目的地に到着していた。赤い屋根に漆喰を塗った壁が可愛らしい、小さな庭付きの一戸建てだ。周りが集合住宅ばかりなので浮いてみえる。これから顔見せを行う人物──魔女族の長はここに住んでいるという。

 敷かれた結界の効果で魔法を使ってコンタクトは通じないため、フェルデニウムは自慢の美声を張り上げて誰何する。ごめんくださいと何度か叫ぶと、ようやく玄関扉が開いて家主が姿を現した。


「うぅ、うるさぁい……休みの日くらい静かに寝かせなさいよまったく……って、あれ? 見ない顔ね。あなた、魔女……ではないようだけど。誰だったっけ?」

「昨晩よりこの地に留まらせてもらっております、王都の魔法使い、フェルデニウム・アポロニウスと申します。此度は長殿の寛大な心遣いに感謝しております。弟子の体調も元に戻りつつあるので、顔見せに参りました」

「……あぁ、そういやマリーから知り合いを送るから面倒見てやれって言われてたな。あなた達か。入ってどうぞ。なんのお構いもできないけど、おやつくらいなら出せるから」


 にこ、と微笑む少女──そう、どう見ても愛らしい幼い少女の姿だった──数千の時を生きる魔女族の長、リコルダは寝巻にとんがり帽子という珍妙な格好で2人に歓迎の意を示した。

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