滄海を渡れ/果てへと至れ

瑞碧の海を見はるかし、魔女は憂う

 黒猫──主人たるローズマリーから「タイム」と名付けられた使い魔は4つの脚を飾るアンクレットをシャラシャラ鳴らしながら顎をしゃくり、自分に着いてくるよう促す。


「あぁ……数日ぶりですね我が君! このタイム、一日千秋の思いでずっとお会いできる日をお待ちしておりました……! そこな塵芥はほっといて久方ぶりのティータイムと洒落こみましょう。我が君のお眼鏡に叶う良き店を探し当て、既に予約も済ませております。さぁ、さぁさぁ!! 行きましょう! 今すぐ!!」

「はぁ……あなたって子はもう、どうしてそう勝手なことをするの? お店の方に悪いから突然キャンセルなんてできないし、仕方ないから今回は許すけど……次また同じことをしたら、今度こそ2000年かけねば登頂できぬ峻険に送り込むわよ」

「わ、我が君が手ずからこのタイムめを躾てくださる……と!? ご褒美ですね!? なんという身に余る光栄……! 恐悦至極にござりますぅぅ!!」

「……ダメだこりゃ」


 今にも浮かれて空を飛びそうな使い魔にやれやれと肩を竦め、ローズマリーは頬を膨らませてむくれる愛弟子に手を差し出した。ぱっと弾かれたように顔を上げたセージは、ちょっぴり照れ臭そうな顔の師を見つめてにんまり笑いつつ、柔な手を握り返す。

 途端にご機嫌になる彼に、呆れるやら嬉しいやらといった様子でローズマリーは嘆息しながら足元の使い魔に尋ねた。


「で? どこに予約を取ったって? あんまり変な店だったら許さないわよ」

「ご安心なされませ! このポートヘブンでも随一の人気を誇る喫茶店にございます! 港で獲れた新鮮な魚介と南から仕入れたコーヒーなるハイカラな飲み物が頂けるとかで、あのデイリーグルメジャーナルにも取り上げられたんですよ!」

「あぁ、あのよく分からない美食家向けのマイナー雑誌だったっけ。あなた、あんなの読んでたの?」

「我が君の仰る通り、確かにデイリーグルメジャーナルはマイナー誌ではありますが、筆頭記者のノア・アラニエル氏はそれはもう素晴らしい舌の持ち主で、彼女が担当記事にて紹介しオススメした店はもれなく大盛況となるほどなんですよ」


 前脚(拳)をぎゅっと握って力説する黒猫に辟易としつつ、ローズマリーはさっさと案内しろとばかりにじとっと見つめる。が、妙なところでタフな使い魔は脂下がった笑顔でこちらです、とナビゲートをはじめた。

 旅行者の行き交う大通りから逸れて裏路地に入り込むと雰囲気は一変し、閑静なアパルトマンや古い町家がひしめきあう区画に差し掛かる。潮風に強い品種の花がベランダを飾り、青空の下で洗濯物がはためく。仮想の町にも生活があり、人々の営みが成り立っているのだと示していた。

 タイムがローズマリー達を連れて行きたいという店は、そんな住宅街の片隅にある古民家を現代風に改装した、こぢんまりとした店構えのカフェである。コアタイム中だというのに店内はがらんとしており、常連らしき客がぽつぽつといる以外は他に誰もいない。タイムは流行っていると言っていたが、この分だと誇張だったのかもしれないなとローズマリーは訝しんだ。

 とはいえ店の作りは古めかしさと真新しさの同居した彼女の好みに当てはまるものだった。古時計やビスクドールが品よく配置され、飴色の床は顔が映り込みそうなほどピカピカに磨き上げられており、アンティークのテーブルセットがカウンター席の向かいにいくつか並べてある。

 しげしげと店の内装を見つめる師弟へ、いらっしゃいと嗄れた声がかかった。


「見ない顔だねぇ。この町へは観光へ来たのかい?」

「いえ、これから長旅に出ることになりまして。その前に英気を養おうと、せっかくなのでポートヘブンの美味しい料理でも頂こうかと。えっと予約した者なのですが……席はどこにしたらいいのですか?」


 見た目だけならローズマリーより圧倒的に年嵩であるエプロン姿の老爺に問うと、被ったコック帽がズレたままの彼ははて、という顔をして首を捻った。愛想笑いをキープしたまま彼女は嫌な予感を覚え、ブーツに擦り寄っていた使い魔を軽くつま先で蹴る。

 どうやら予想通りこの黒猫はヘマをしたらしい。愛らしい顔立ちにてへっと誤魔化し笑いを浮かべたが、それでローズマリーの怒りが治まる訳もない。笑顔のまま額に青筋を浮かび上がらせる彼女に対し、店主らしき老人は残念そうに予約が入ってない旨を伝える。


「あぁ……やっぱり。この駄猫め、よくもやらかしてくれたわね。いっそ東の最果てへ飛ばして二度と祖国の土を踏めなくしてやろうかしら」

「ヒィ! 我が君、どうかお許しくださいませぇ! お願い申し上げます、どうか、どうかそれだけはぁぁ……! お考え直しください……っ」

「へぇ、そんなに私に逢えなくなるのが辛いの。なら仕方ない、私達は先に往くからあなたにはお留守番を頼むとしましょうか?」

「そんなぁぁ……わ、我が君……っ」


 ニヤニヤと意地の悪い笑顔でローズマリーが‎おっちょこちょいな手下をからかっていると、老人はにこにこと人の良い笑みでテーブル席の一角を示した。せっかくだから寄っていきなさいということらしい。

 確かにこのまま戻るにしても、時間をロスした事実は変わらない。それならいっそここで昼食を摂るのも悪くない、と彼女は考えを改めた。


「まったくタイムったらどれだけポンコツに成り下がるつもりなの? これならよっぽどセージの方が使えるわ。いい、次こそ絶対に許さないからね! 宿の手配や足の確保を万が一怠るようなことあらば、あなたを万年雪に閉じ込めてあげるわよ」


 床の上にこれ以上ないほど綺麗な姿勢で土下座しているタイムへ容赦なく宣告してからローズマリーは先に席に着く。後を追ってセージも向かい側に座り、紐綴じされたメニュー表を師に渡した。今時活版印刷ではなく1枚1枚手書きで記されたメニューには、誰が描いたか分からないがやたらに美麗な料理の挿絵が添えられている。

 現在はランチの時間帯なので夜のメニューは食べられないが、代わりに割安なランチセットが頼めるようだ。港町の食事処なだけあり、魚介がふんだんに使われている。今まで森の奥に引きこもって暮らしていた2人は、おっかなびっくり各々注文する。彼と彼女にとって馴染みあるシーフードといえば、せいぜい蟹くらいのものだ。

 ちなみにタイムは使い魔なので食事を必要とはしないが、気を利かせた店主が彼のために猫用のミルクを用意してくれたので、それを床上でちびちび舐めている。卓上で敬愛する主人と仲良く談笑するセージを時々睨めあげるものの、少年ときたらさっぱり気付かず話に夢中なのでそのうち諦めた。

 人に盗み聞かれて吹聴されたらまずいので隠語や符牒を織り交ぜつつ、2人が新しく開発した薬や千年草の薬効について語り合っていると、オーダーした料理が運ばれてくる。給仕は店主ではなく若い娘だ。顔立ちがどことなく似ているので孫か何かなのだろう。

 セージが頼んだのはスパイスを効かせたヒラメのムニエル、ローズマリーは真鯛の香草焼きを注文していた。付け合わせのスープも魚のアラで出汁をとったもので、ふわりと磯の風味が漂う。彼女達は普段パン食なため、主食として出されたライスに思わず目を丸くした。コメの知識はあるものの実際に食した経験はお互いにない。


「これ……おいしい? ほんとに?」

「なんだか不思議な食べ物ね……さすが仮想の港町、なかなか斬新……」

「コメって確か東の最果てではポピュラーなんだろ? なんで遠く離れたシュバルツベルンで食えるんだ?」

「さ、さぁ……? 店主が東の生まれなのかしら。外見からそうは見えないけれど」


 顔を見合わせながらこそこそ話し合う2人だったが、給仕の少女は咳払いして注意を向けさせると慣れた様子で説明を始める。彼女達の想像と違い、店主は東の人間ではなく昔からこの町に住む生粋のシュバルツベルン国民であり、コメを使った料理は外つ国からやってきた料理人に教わったのだという。その料理人と店主の間に生まれたのが、自分なのだと給仕はついでのようにつけ加えた。

 彼女の解説を聞いたのち、2人はやっと久しぶりのまともな食事にありついた。お互い無言で食らいつき、完食するまで言葉を交わさない。それだけ空腹だったことの証左だ、食事に夢中で会話どころではなかった。それほど時間をかけず食べ終わり、食後のお茶を片手にひと心地ついた師弟は「最果て」について雑談に耽る。


「最果て、って三大陸の外側にある不可侵の領域だっけ? 魔界との緩衝地帯だから、人族は入っちゃいけないんだろ」

「本来はね。王侯貴族や庶民、奴隷等いかなる身分の者も立ち入りが厳しく制限されている……と言われてるけど、実際のところ魔法使いだけはフリーパスよ、ただし西側に限るけれど。あそこには『魔女の谷』があるから。東は西ほど規制が緩くないから、渡航なんて無理なはずなのだけど……ま、何か抜け穴でもあるんでしょう」

「魔女の谷ってマリーの故郷なんじゃなかったっけ。確か、魔女族だけが住んでるんだよな? この世界に魔法をもたらした原初はじまりの魔法使い、ラヴァーナとミネルヴァも魔女だったんだろ。どんなところか気になるなぁ……行ってみようぜ、マリーだってたまには里帰りしてもいいんじゃないか」

「ダーメ。そしたら里心がついて旅を続けられなくなっちゃうかもしれないでしょう? それに、もうあそこと関わるつもりは……」


 言いさしてはるか遠くを見はるかすローズマリーの瞳は茫洋としていて、どこへ目線を向けているやら検討もつかない。仄暗い光を湛える深い緑の目はまるで沼の底のようだ。


「──マリー……?」

「安心しなさい。私はどこにも行かないわ。あなたを独りにするものですか、セージ……お前が一人前の魔法使いとなり、やがて巣立ちゆくまでは」


 微笑む魔女はどこまでも優しい。親のように慕ってきた弟子が切なさのあまり、泣きたくなるほどに。

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