阿鼻叫喚の狭間

 ──1933年 最果て「魔女の谷」


 巨大な3つの大陸が、大地を分断するほど深く長い大河を挟んで連なり、各大陸に1つずつ大国──王国シュバルツベルン軍国アーデルハイト・帝国がそれぞれ存在するこの世界において、絶対不可侵の領域と呼ばれている場所がある。文字通り世界の果てである「最果て」だ。

 最果ては人の住めるところではなく、当然ながら魔族を含めた他の種族も居住はおろか立ち入ることさえ許されない。遥か昔、まだ軍国が建国される前、二大大国だった帝国と王国が国際法によって定めたからだ。本来、人の決めた法に従う必要のない種族までもがこの決まりだけ遵守するのは理由があった。

 それは──……。


 鎮めの歌、眠りの魔法、それに髪紐まで使って三重に拘束された架音は、耳元で奏でられる穏やかな調べによって意識を取り戻した。封じられているのは両手のみなので起き上がることは容易い。腹筋を使って上体を起こすと、ピタリと歌が止んだ。

 彼女が横たえていたのはきちんとベッドメイキングされた清潔そうな寝台だった。広々とした室内には小さな絵画や花を生けた花瓶が飾ってあり、木製の床は隅々まで磨かれ埃ひとつ落ちていない。南向きの大きな窓からは燦々と昼下がりの日差しが差し込み、部屋の空気を暖めている。


「あぁ、やっと起きたの。強い魔法を使ったから目覚めるか心配していたんだけど、良かった……さっきよりずっと顔色もいいし、無用な心配はしなくて大丈夫そうね」

「あれ……あなた、スフィールの町にいた……ええっと、フェデル、さん?」

「フェルデニウム・アポロニウスよ、昨日も名乗らせてもらったけど。これからよろしくね。もし、呼びにくいのなら『フェル』でもいいわ。親しい人は、みんな私のことをそう呼ぶから」

「分かりました。じゃあ、フェルさんって呼びますね。私は氷見山架音といいます。改めてよろしくお願いします」

「こちらこそ。でも元は同郷の者だもの、敬語は要らないわ。どうぞ気兼ねなく話しかけてくれると嬉しいけれど……それより、あなたは自分の身に起きた出来事はちゃんと把握しているかしら?」

「私の……身に……? ええっと、正直まだよく分かってなくて。なんで私がこの世界に来たのかも、この世界のことも、何も……」


 昨夜、自分の手で命を奪ってしまった「元はパン屋の女主人だった人」から、大まかにシュバルツベルンという国名や簡単な地理は聞きだせた。しかしそれだけだ。無事に帰宅するにはなんとしてでも生き残らなければならないが、そのために必要な知識や情報を彼女は持っていない。

 ここがどういう世界なのか、なぜ自分にはよく分からない力が備わっているのか。……そして、ここへ来てから度々覚える違和感の正体をどうにか掴みたかった。おそらくフェルデニウムという女性ならば、その答えをくれるような気がした。


「はじめに言っておくわ。我々シュバルツベルンの民はあなた方現実世界の人間を利用す目的で、架音さんをこちら側へと呼び寄せたの。今、この国は隣にある軍国といずれ戦争になる。となれば当然多くの資源や兵士が要るのは、あなたも向こうで歴史を勉強したのだからわかるでしょう。ゆえに私達は上からの命令で異界から人工的に物や人を運び入れる実験を行い、あなたを連れてきた。けれど誤算があったの」

「……誤算? どういうことですか」

「あなたの血筋と、あなたが抱えていた問題と、それからもうひとつ、同じく2つの世界を繋げようと企む『誰か』の存在。それらが複雑に絡み合い、この状況となった」


 淡々とフェルデニウムが語る事情は、現代の漂白された倫理観と道徳を身につけている架音には到底理解できず、また受け入れ難いものだった。

 どうして戦争しなければならないのか、莫大なコストを自国で賄おうとしないのか、戦争の負債を「こちら」に押し付けようとするのか、何もかも納得なんてできない。それは「敗戦国」に生まれたからかもしれないし、これまで受けてきた教育による常識が否定させるのかもしれなかった。

 どちらにせよ、架音にしてみれば「だからなんなんだ」という話である。このままフェルデニウムを拒絶し遠ざけ、1人で問題の解決を試みる選択肢もあったが、そうもいかないのだと架音は既に悟っている。


「私が扱えている氷を操る力。それと、知らない文字なのに読める不自然さ、知らない言葉なのに通じる不可解さ。なにより、私が立ち寄った場所に、あの恐ろしい化け物が現れる理由。……全て答えてくれますか、フェルデニウムさん。でなかったら私は、あなたを信じていいのかわかんなくなる……」

「ええ、もちろん答えましょう。ただし私も全容を完全に把握しているわけではなく、一部推測混じりになってしまうけれど。それでも構わないとお約束できるかしら」

「はい。大丈夫です。だから教えてください、……今のあなたが知っていることを」


 はじめに、世界があった。

 それから、命が生まれた。

 時の針が進むうちに、生まれゆき育まれる無数の命はいくつもの種に別れ、やがて「人間」と「魔物」の2つが世界を分け合って暮らすようになる。

 人間は「人族」と、魔物は「魔族」と。それぞれに名乗り呼ばれるようになり、当初は互いに干渉することなく平和を保ち続けた。

 それから気の遠くなるような時が経ち、やがて世界に「魔法」という夜明けが訪れる。魔法は一気に世界の時を早め、人間に文化と文明を齎した。それが過ちの始まりだった。

 ──人魔大戦。

 はじめは不可侵・不干渉を互いに誓約し関わり合いを絶っていた人族と魔族は、利権と領土を求め、奪い合い、泥沼の戦争を始めてしまう。熾烈を極めた戦いは数年にも及び、多くの民の命が無為に失われた。

 戦いを制したのは人族である。肉の器からだに宿る力である「異能」を操る魔族に対し、生命エネルギーを使って様々な人為的奇跡を起こす、「魔法」の技術を究めた人間がついに勝ちを収めた。

 魔族に与する他の種族は数を減らし、勝者となって人間を避けて彼らの手の届かないところへ逃げ延び、息を潜めて暮らすようになる。魔族もまた同様に、魔族の領域である魔界に大規模な結界を敷いて人族が出入りできぬようにし、人との関わりをこれまで以上に禁じて生きるようになった。

 人と魔族は二度と戦争という悲劇を起こさぬため、世界に線引きをし「最果て」という緩衝地帯を作り出す。最果てへの渡航が国際法によって禁じられ、人族はもちろん魔族もそれを遵守しているのは過去の歴史に理由があるからだった。

 それは数百年前、実際にあった出来事。神話のような伝承のようなお伽噺のような、けれど本当にあったこと。

 だが、戦争関係者でさえ知らない、ある裏のエピソードがあった。

 逃亡者。戦いに死するのを恐れ、世界のどこにも逃げ場がないと知った、とある者達は禁断の術に手を染める。異界渡りの法という重罪を犯し、この世界を離れたのだ。

 彼らは確かに戦による死を迎えることはなかったが、代償はあった。


「架音さん、あなたが御先祖様から受け継いだ罰を『ともくいののろい』という。呪いは現実世界にあっては何の意味を為さないが、ひとたび故郷、この世界へ訪れるようなことあらば一気に牙を向く。呪いは無差別に人を媒介して村や国へと蔓延し、力を持たない平民をオグル……共喰いの鬼へと転化させる。鬼と化した者は人を喰い殺し、やがて人族は死に絶えるでしょう。私達、人という種は滅亡するの。それが呪い。……そして、現状、解呪の条件はまだ見つかっていない」


 氷見山架音は懐郷者だ、とフェルデニウムは告げた。

 大元を辿れば彼女の血筋はシュバルツベルンの民であり、禁忌を犯して異界たる現実世界へ旅立っていった者達なのだと。そして彼らの罪を世界は許さなかった。二度と故郷の土を踏めぬよう、たとえ世代を重ねてようとも薄まらない強力な呪いを身に宿らせた。

 ともくいののろい。

 人に人を喰わせる恐ろしい呪い。ただそこに居るだけで人間は鬼となり、人を食い殺してしまうようになる。呪いから逃れる術はなく、人であるならば抵抗もできずただ鬼と化すのみ。


「そんな……では、私はここに生きているだけで、みんなを鬼に変えてしまうの……? 望みも、しないのに。みんな、みんな……。そんな、どうして……」

「そう。だからあなたはもう人里に住まうことはできない。呪いの拡散は人族の住処から離れれば一旦は止まる。しかし再び町や村へ留まれば、スフィールの再来となるでしょう。それともうひとつ。知っていてもらわならないものがあるの」

「それ、もしかしてこの力のこと?」

「よく分かったわね。そう、あなたが使いこなしてみせたその『異能』のことよ。本来、異能は魔族の力。人である架音さんには扱えないはずなの。だから、それを使えているというのは……あなたの先祖は人でありながら魔族と交わっていたという事実を示す」


 異能は身体に宿る力だ。1人に1つ、その者だけが使いこなせる力。ゆえに子や孫には宿らない。だが、魔法は違う。魂に根付き生命エネルギーによって発動する魔法は、世代を重ねて進化し深化していく。

 氷見山架音の先祖は魔法の仕組みを利用し異能をリレーのように次の世代へ渡るように図ったのだ。だが、何故、何のために? 


「ねぇ……ねえ、フェルさん。それってつまり、私はここに来てはいけなかったんじゃないの? なのにここへ来てしまったってことは、それは、私は……」

「あなたの御先祖様はきっと、自分達を『追放した』この世界を滅ぼすという壮大な意趣返しがしたかったのでしょうね」


 こんな状況に置かれているにも関わらず、フェルデニウムは女神のように麗しい笑みを湛えている。まるで言祝ぎを授けようとするかのように。


「ようこそ地獄へ。無知蒙昧のクソガキさん。自分が正真正銘の『魔王』と告げられた気分はいかが?」

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