嘆きの河のほとりにて

 ──1933年 シュバルツベルン王都「ロージア」


 国王ジェラルドに異変が起こり、王宮が大混乱に陥っているとの報告が元老院に齎された。既に多数の被害者が出ており、このままでは王都全体に影響が飛び火するのも時間の問題だという事実もまた。というのも宮廷内部には外から業者が出入りしており、彼らを通じて異変が外に漏れてしまい封じ込めが間に合わなかったのだという。

 超高層の建築物である元老院には複数の施設が隣接しており、そこから裁判所を預かる司法長、元老院のトップたる元老院長、国防の要である国軍元帥、王家の盾となる王宮近衛騎士団長、更に王国の頭脳である王国魔導研究所長が招聘され緊急会合を行っていた。本来ならば国王もまた臨席するが、当然ながらここにはいない。


「……まずいことになったな、呪詛転変か。……おい、呪術に詳しい者は所内にどれほどいる?」

「呪いを専門とする所員は数名おりますが、現在はいずれも外部に出払っています。北方の白妃教『本拠地』へ」

「なんでまたこんな時に限って……!」

「地下の龍脈がのたうつとかで、その鎮めに。龍脈の制御術は呪いに長けた者といえど1人では荷が勝ちすぎますから」

「ちっ、どうする……『オグル化現象』の対策にあたれるエキスパートのあては他にあるのか?」

「いるにはいますけど……アポ取れるかが難しいですね。『あそこ』は禁足地ですし」

「おい、まさか……まさかそれは、『あの方』のことを言ってるのか……?」

「そのまさかですよ、元老院長殿。国家未曾有の事態に対処可能な魔法使いなど『彼女』をおいて他にいましょうや?」

「ぐっ……それは、確かにそうだが……。既に引退した者を引っ張り出すのは威信に関わるぞ、所長殿」

「とはいえこのままでは、長きに渡り大陸を支配し各国家を導いてきた我が国が滅びかねん。威信がどうのと言ってもな、国が無くなればそんなもの結局は意味がなかろう」

「今いる人員を再編して初動に当たっているようだが、結果はどうだ? 元帥」

「芳しくないな、魔導兵は対人戦において一騎当千の実力を持つゆえ、今回のような作戦は不得手だ。既に脱落者も出ている。……残念だが、彼らは処分せざるを得まい」

「死すと元に戻るのが呪詛転変の特徴だったか、……死体から伝染しないのは不幸中の幸いだな」

「やれやれ。どちらにせよ『アレ』に任せきりにしなくてはならないとは……面目立たないな、まったく……」

「仕方ないだろう。所長、どうにか連絡を取るのは可能か?」

「ウチの研究員が1人、スフィール近くへ別件で向かってますので、彼女に伝令させます」

「了解した。あとは研究所預かりということで任せよう。我々は引き続き治安維持にかかる」

「は、承りました。では……これにて」


 軽く頭を下げ、会議室をあとにする所長のほっそりしたシルエットを見遣り、軍服を着込んだ恰幅のいい長身の男──元帥は忌々しげに舌打ちする。シュバルツベルンが誇る武の象徴は魔法戦においてプロフェッショナルとされる魔導兵を抱える国軍であり、国の安寧と秩序を守るのは自分達だという強烈な自負があったからだ。

 ここにいる面子で最年少である所長とその部下らに全権を委ねばならない現状に、忸怩たる思いを抱えていた。前線に立つのはあくまで兵士の仕事だ、学者の役割は解き明かすことである。間違っても剣を握らせる訳にはいかない。


「騎士団長、陛下の容態はどうなっている」

「先程、我が配下達が捕獲に成功したとの報が入った。本部に運び込んで取り押さえてはいるが……いずれは封印を破って飛び出すだろう。あれには眠りの魔法も鎮めの魔法も効かん。解呪せねば身も心も怪物と化し、いずれは生命エネルギーを使い切って死ぬ。残念だが、陛下はもう末期だ」

「つまり、もう、長くない……と」

「ああ。となれば、王位の継承をせねばならん。国葬の準備もな。元老院長、その手筈は任せた」

「あいわかった。ところで、呪詛転変による殺人の罪はどう裁く。司法長」

「うむ。不問に付す──と言いたいところだが、なにしろ影響の拡大が懸念される以上、通常の殺人罪を適用せねばならんだろうな。少なくとも現時点では。とはいえ確実に治る保証もなし、議論するだけ無駄にも思うところではあるが」

「1度でも食い殺したならば死刑、か。……仕方なかろうな……なれば、陛下はどうする。侍従、女官、近衛兵、その他多くの犠牲が出ているのだ、罪に問わないわけにはいかぬだろう」

「王族としての身分を剥奪。身罷ったならば通常国葬ではなく被疑者死亡の書類送検とするしかあるまいて。同族を食らった鬼を偉大なる国主として葬送できるものか」

「そうだろうな……。……これ以上の議論は無意味。各々まずはやれることをやらねば。では、解散」


 それぞれ退席し各自持ち場へ戻る彼らは、この会議が最初で最後になるとは予想だにしていなかった。オグルと化した者達が建物の外、すなわち街へ出るのを食い止められなかった時点で迎える結末はただ一つ。

 この日以降、千年の栄華を誇った薔薇烟る都・王都ロージアは、人喰い鬼の住処へと変わる。



◆◆◆



 ──1933年 シュバルツベルン辺境「スフィール」


 ローズマリーとセージの2人の薬師が旅立ったのち、国境線の間近に位置する小さな田舎町は想像を絶する地獄と化していた。

 人が人以外の何かに変貌し、躊躇いもなく人間を食う。返り血に塗れ、恍惚とした顔でさっきまで間違いなく人間だったはずの鬼共は、うまそうに元同族を貪っている。家畜や農産物に見向きもせずに。

 たった1人、鬼にもならず鬼に食われもせず、架音は呆然と立ち尽くす。地獄絵図と化した町を瞠目し見つめながら──。


 話は一日前に戻る。

 沼地の戦いを制し自身に身を守る術があると知った架音は、鞄に入れっぱなしにしていた菓子パンとお菓子を大事に食べ繋ぎながらあてもなく彷徨い続けていた。なにせネットが使えない以上、情報を得る手段がまったくないので地理も分からないとなると、ひたすら歩く以外に方法がない。

 自分が本当に異世界転移したのかを確かめることさえできないのだ。あの戦闘を思い出すに、現実世界とは異なる法則が働いているのは確実だが。

 そのうえ鬼のようなあのバケモノが彷徨うろつくとなれば夜越えも厳しい。色々と勘案し、夜通し歩いて町なり村なりを見つけるしかないという考えに至ったのである。

 そして目標としていた人里はあっけなく見つかった。既にすっかり夜が深まり、草木も寝静まる時間帯ではあったが。

 町の名前はスフィールというようだ。架音は英語が苦手なので英単語や英文はちんぷんかんぷんだが、なぜか入口の門にでかでかと書かれていた文字を読み取れてしまい、名前が判明した。よくよく見るとアルファベットとは似て非なる字面なのだが、読めてしまったので架音はスルーする。

 遅い時間なのでさすがに表通りは人っ子一人いない。どの家も灯りが落とされており、訪ねるのは躊躇われた。だが安全的な理由から野宿は避けたいので、とりあえず門に近い家の門戸を叩く。まだ起きていたらしい家主と思しき優しげな女性が出迎えてくれ、若い女が独りでやってきたのを不憫に思ったのか快く泊めてくれた。

 そこで記憶がないフリをしていくつか質問し、やっと架音は自分がやはり異世界に転移してしまったこと、この国はシュバルツベルンという大陸で1番強大な国家であること、科学の代わりに魔法が栄えていることなどを知ったのである。

 ろくな食べ物を持っていない彼女を哀れみ、女性は自分も裕福な生活は送れていないだろうに長期保存食を分けてくれた。缶詰や堅焼きのビスケット程度だがないよりは断然いい。

 その後、明日の仕込みがあるからと家屋と一体化している店へ下がった女性と別れ、案内された寝室で一夜を過ごした架音は、翌朝から一宿一飯の恩義として女性、パン屋の女主人のお手伝いをさせてもらった。アルバイトの経験がろくにないので手伝いというより足でまといになった気がしないでもないが、くるくるとよく働く彼女に店へ来たお客さんも優しく接してくれた。

 お昼頃、やけに見目の整った男の子が大きな薬箱を担いで現れた。町の人達と親しげに談笑する彼は女性と付き合いが長いらしく、当店自慢のクラブハウスサンドとバゲットを持って帰っていく。

 代金を頂かなくていいのか訊いたら、彼は特別だからお代は要らないらしい。美形だったのとそうした経緯から、特によく覚えている出来事だ。

 夕方には店を閉め、明日の仕込みのためにと店舗に残る女性の代わりに夕食を作り、帰宅した町長も交えて賑やかな食卓を囲んだ。夫婦から、落ち着ける場所が見つかるまではと許可をもらい、昨夜と同じ寝室をあてがわれ、過酷な道程と慣れない環境もあってすぐに寝入り──喧騒で目を覚まし、今に至る。


 おっとりした町長も、良くしてくれたパン屋の女主人も、パンを買いに来たお客さんも、……皆、皆、皆「ひと」ではなくなっていた。彼ら彼女らの外見に、架音は見覚えがある。あの沼地で自分を襲った怪物に、驚くほど酷似しているではないか。

 アレらは郊外だけではなく各地の集落にさえ潜んでいたのだろうか。最初から人に化けていたのか、それとも人から鬼へと変わってしまったのか。

 彼女は、何も分からない。何も知らない。ゆえにただ、人だったものが人を食い殺す凄惨な光景を見ている他に何もできなかった。


「見つけた……やっと。ここに、居たのね……」


 獣じみた吠え声じゃない、人の言葉が聞こえて思わず振り返る。そこにいたのは──。

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