もはやこの身に救済は無く

 すべては数百年以上も昔に起きた、いにしえの「人魔大戦」まで遡る。




 ──1933年 シュバルツベルン王都「ロージア」


「お前……は、死んだはずじゃなかったのか……、インフェソルニア……!」


 齢数百を重ねてもなお若く美しい容姿を保ったままの青年王ジェラルドが驚愕に震える声で訊ねる。否、嫌悪と恐怖の滲む顔からしてそれはもはや、詰問といってもよかった。

 対してインフェソルニアと呼ばれた者は飄々とした態度で、どこか余裕さえ垣間見える。

 国王への謁見の場に似つかわしくない、質素な黒いローブにくたびれた革靴、光溢れる宮の中でも一際目立つ艶やかな長い髪は、燃え上がるリコリスの色。人種も性別も不詳の端正な顔立ちに嵌る、アメジストの如き瞳が意味深に笑んでいる。


「やだなぁ、昔みたいにシイバって呼んでよ。インフェソルニアだなんてよそよそしい呼び名じゃなくてさ。……で、王様、ボクはとっても可哀想なんだ。ただ戦が怖くて逃げ出しちゃっただけなのにさ、厄介な呪いなんかに罹っちまって、あげく何度死んでも力と記憶はそのままに無限に人生をやり直さなくちゃならないときた! あぁほんと、不幸だろ? 不幸そのものだろ? だから、さ。こんな可哀想なボクにお恵みをくださいよ。そんくらい、もう王様なんだしいいでしょう? ねぇ、ジル」


 王が正真正銘の若者だった時分にしか呼ばれなかった愛称で呼びかける彼は、不気味で不吉そのものではあったが……確かに、記憶に懐かしい戦友ともなのだろうと思わせた。古くなってしまった思い出の中にいる自分が、これは「本物」だと訴えている。

 もうジェラルドには目の前の人物が偽物だと疑えなくなっていた。


「お恵み……と言ったな、それはなんだ。シイバ、インフェソルニア一族の始祖よ。お前は私に何を望む。申してみせよ」

「キミが逃した鳥籠の華。それをちょうだい。まさか忘れた訳じゃないだろう? あんなに見事な技の使い手を外へ出すだなんてふざけてる。けどそれがキミの意思だってんなら仕方ない。でもさ、逃がしたんならもうボクの物にしてもいいよね?」

「ならぬ。アレは国宝であり、シュバルツベルンを守る礎だ。お前のような外様にやれるほど安くはない」

「へぇ。じゃあ、分かったこうしよう。もうひとつ、きっとジルは断るかなって気がしてたからさ、別な切り札カードを連れてきたんだけど……それを帰してあげる。そしたらキミは助からないけど、民は命を留める。幾万の民と『アレ』のトレードだ、条件としちゃ悪くないと思うよ?」

「シイバ、お前のいう『アレ』が分からぬ限りは許可出来ぬ。たとえ天秤に乗るのが我が国に生きる者達であるとしても、だ。それほどにアレは重いと他ならぬお前こそ理解しているだろう、1度命を救われたなら」

「そうさ、あの子の価値を知っているのは誰でもない、このボクだ。だから欲しいんだ。あぁでも、キミが許してくれないんじゃあ仕方ないな……力ずくでぶんどるしかなさそうだ。残念だよ、まったく。──朋友ともよ」

「あぁ、私も残念でならないよ……戦友ともよ」


 矢継ぎ早に交わされる応酬を傍に控えていた侍従達はわけもわからず見守るしかなかった。客人まろうどが何か交渉をしようとして決裂したのは分かるが、一体何が交渉されようとしたのか。何よりかつての名家である魔法使い一族「インフェソルニア」の名を騙るこの客人は何者なのか。

 だが、それらに思索を巡らせる前に異変は起きた──視線の先、玉座に在す王に。


「かは、ァ、……くっ、皆の者……私が、理性を保てる間に……避難、せよ。そして……しばらく、この宮にあれらを……我が子らを、近づけ、させ、る、な……!」


 咳まじりのか細い声だったが、青紫に染まる酷い顔色にぎらついた眼を見開いた王が息も絶え絶えに叫んだ。

 瞬間、長きに渡り決して外見の変わらなった王が遂に一変する。

 灰金の髪は真っ白く色が抜け逆立ち、くすんだ青い目は血走り禍々しい赤へ、すべらかな白い肌はもはや浅黒く、耳まで裂けた口には牙が、剣を握るのに慣れた無骨な手には鋭い鉤爪が備わっていた。

 天井を貫くのではと思うほど体格は増し、腕も足も隆々としている。腰骨の辺りから太い尾が伸びて鞭のようにしなり、たしんたしんと音を立てて威嚇してきた。

 その醜悪な姿は、魔族において最も旧く最も恐ろしい種、オグルを象っていた。


「にげ、ろ……みな、の、も……の……」


 嗄れた声は既に王のものとは言い難く、怪物の発する鳴き声としか聞こえない。あまりにも突然かつ凄まじい変わり様に、侍従達は揃って腰を抜かしへたり込んでいる。

 とうとう僅かに残されていた理性が吹っ飛んだのか、「王だったもの」がのそりのそりと四足で歩き、角砂糖でも摘むかのように人間の首を掴むとそのまま、と咥えた。次いで、ばぎん、ぐちゅ、と聞くに耐えない咀嚼音が鳴る。

 「それ」は頭を食い終わると、残った胴も食べやすいよう丸めてから口の中へと放り込み、そしてまた味わうようにゆっくりと噛み締め始めた。ようやく生き残り達から悲鳴と絶叫が迸り、必死に逃げようと足を動かそうとするもののもう遅い。

 ぶぅん、と太い尾がぞんざいに振るわれ、立ち上がりかけた生き残り達はまとめて床に引き倒された。その後また同じように「食事」が再開される。骨を、皮を、肉を、臟を、人の身体を容易く喰らい飲み込むそれはもう、人とは呼べぬもの。


「言ったろ、厄介な呪いなんかに罹っちまった、ってさ。悪いね。ボクら『あちら』へ渡った奴らはみぃんな、こんなものを抱えて生きてきたんだよ。里帰りしようものなら、ふるさとを粉々にしちまう恐ろしい呪いをさ」


 呪詛転変。あるいは「ともくいののろい」と彼らは言う。ただ居るだけで全ての人を人以外のものに変え、人喰いの狂気を齎す罪深き呪い。越えてはならぬ境を越え、理を破って「異界」へ逃れた者への運命なのだと。

 異界を渡った者、あるいはその子孫、例外なく全ての者へ与えられたかみからの罰だ。二度と故郷の土を踏めぬように。踏んだが最後、懐かしきふるさとは見るも無惨な有様と化すように。

 人魔大戦を制した祝福として、長命と常若の恩寵を授かった人族の長はもはや癒えぬ病に侵された。もう元の美しい青年王には戻れない。たとえ解呪がなされても、燻る人喰いの狂気が永遠に心を蝕み続けるだろう。死の許しを得ることもできずに──。


「死ねないってのはさ……哀れだよね。ほんとの意味では『死ねない』からこそ、ボクは余計にそう感じるよ。死は最後の救いだ。ボクもキミも、そして『あの子』もそれを取り上げられた。かみから『ギフト』と称して。──あぁ、だからボクは、死が憎く、死が愛おしい。ゆえに死にたい。ねぇ死なせてよ……故郷シュバルツベルンなら、いつかボクを殺してくれる人が、きっと来てくれるはずさ。そうだろう? ここは『神に魅入られた土地』なのだから……」


 シイバ・インフェソルニア──または、焔上椎葉えんじょうしいばは端麗な面差しに憐憫の笑みを湛えながら言い残し、転移魔法を使って脱出する。あとには侍従達では飢えを満たせず、王宮にいる他のエサを探しに出た王の成れの果てのみが、たったひとつ残された。



◆◆◆



 ──1933年 シュバルツベルン王都「ロージア」


 今日もまた憂鬱な仕事が始まる……と思ったら、慣れ親しんだ職場はしっちゃかめっちゃかなことになっていた。なぜこうなったんだ、とフェルデニウム・アポロニウスこと「中富神楽」は深々とため息をつく。

 研究所内にあるラボにて「擬似・異界召喚」という本来は魔族のみ可能である「異界あちら」と「こちら」を繋ぐ魔法を発動させたところまでは成功だった。

 更に人や物の移動もできるかどうか試そうとしたのだが……「あちら側」に不具合が起きたのか、それとも「こちら側」に問題が発生したか。リンク先からなにかは来たはずなのに、ラボへ現れないのだという。探査の魔法をかけた結果、異界から「なにか」が訪れた痕跡はあるのに、だ。

 その後更に追跡調査を行ったところ、シュバルツベルンの辺境に該当のものはあるようだという結論が出たと、出勤してきたばかりの神楽は下っ端の研究員から報告を受けた。


「で……えっと、つまり、今すぐ出張しろって? うそでしょ、本気で言ってる? 王都の外なんか1回も出たことないのに!」

「えーでも、所長曰く適任が他にいないとのことで……他の班員はフェル様ほど実践的な魔法は使えませんし」

「あーもー、分かった! やる、やります! でもその代わり、今年のボーナス倍額ねって所長に伝えて!」


 言うが早いが彼女は転移魔法によって旅立つ。特別なことをせずとも対象の座標に位置を合わせるだけでいい、あとは魔法が目標地点へ導いてくれる。


「……やれやれ、前世の方がよっぽどホワイトな職場だったっつーの。まったく人遣いが荒いんだから……!」


 そして神楽は降り立った。もう1人の「客人」の元へと──。

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