いざ、故郷へと凱旋せん

 魔界にしか育たぬと言われている伝説級の効能を持つ薬草、千年草は万病に効きあらゆる傷をも癒すという。飲めば寿命が千年伸びるという謂れから千年草と名付けられた。

 それだけに薬効をコントロールするのは薬のプロたる典薬師ですら至難の技であり、現状使いこなせる技術を有するのは人界魔界問わずただ1人──そう、天才薬師の魔女・ローズマリーだけだった。


「セージ! 治れ、戻れ、頼むから……心を保て! お前は薬師になるんでしょう、この私を越える、世界でいちばんの薬屋に!」


 千年草が呪詛転変に効くという根拠エビデンスなど聞いたことがないし、恋茄子マンドラゴラと違って魔法に関する逸話も残されていない以上、これはただの賭けでしかなかった。理論と経験に基づき行われる医術とはとても言えない。だが、一刻の猶予もない今は分が悪いとしても賭けるしかない。

 これでダメならセージが一般の人々を傷付け食い殺す前に、ローズマリーこそが「責任」を果たさねばならないのだから。……首を落とし、亡骸を焼き、決して蘇ることのないように。


 かくして、ローズマリーは賭けに勝った。


 野獣さながらに吠え、言霊の魔法で屈服させてもなお暴れようとしていたセージがだんだんと大人しくなり始め、やがて吠えるのをやめて動きの一切を止める。

 浅黒かった肌は元の明るい白へ戻り、ブラッドストーンのようだった赤い目も見慣れたペリドットへ。背中を覆わんとしていた翼は立ち消え、額を貫く角も見えなくなる。やがて、青ざめていた頬に赤みが差し、ほぼなくなりかけていた彼の理性が息を吹き返した。


「……ま、りー? 俺、今、あんたに……、何を……っ」


 丸い瞳がゆるゆると見開かられ、ぱたぱたと透明な雫がこぼれ落ちた。透き通るように綺麗な高い声は震え、ひっひっと浅い呼吸が絶えず繰り返される。彼女は痛々しく血に汚れた愛弟子の背中をさすりながら、痙攣する身体を抱きしめた。


「大丈夫よ、大丈夫……お前はまだ、何も、誰も、傷付けたりなんてしてないわ。もしもお前が何かを殺めようとするなら、その時は必ず、私が命を張って止める。何度だって止めてみせるから……もう、泣くのはおやめ。御天みそらの向こうであの子も心配するでしょう」

「マリー、ごめん……呪いなんかに負けるなんて、俺、魔法使い失格だね……」

「馬鹿。呪いというものは相手に強制するから呪いなの。抗えられるようなものは、はなから呪いだなんて言われたりしないのよ。……薬の効能はまだもう少し続くけれど、切れたら再び先程のように転変の影響が現れるでしょう。その前に大元を絶たねば、お前はいつまでもそのままよ」

「そんな……また、あんなふうになっちまうのかよ。嫌だ、俺、元に戻らなきゃ……」


 千年草の効果持続時間は一般の薬とさほど変わらない。短くて半日、長くても1日保てばいい方で、運が悪ければ体質次第では数時間と経たずに効果が切れる可能性もある。しかも今回は、薬として精製する前の原材料をそのまま服用させたので尚更すぐに切れる危険があった。

 何より、千年草は既に収穫しストックとして保存している分も合わせても1年分にもならなかった。1回の服用に必要な量が想定より多ければより早くストック切れを起こす不安もある。

 もし、読み通りこの呪詛が無差別伝染型であり市井の人々にも影響が出るかもしれないとするのなら。すぐにでも封じ込めを行い、呪いの根元を絶たないと国そのものへの大きなダメージとなる。多くの国民が怪物に変じて人を食い殺す生き地獄と化すだろう。

 そうなればもはや人類に未来はない──この国は人族の中心だ。次は軍国、更に帝国へも波及しやがて人間の国は残らず滅びる。待ち受けるのは人という種の滅亡だ。

 ミネルヴァの魔女として、シュバルツベルンの薬師として、ローズマリーはそんな最悪のシナリオを看過できない。なんとしても呪いを解く術を見つけ出し、この国と愛弟子の未来を取り戻さなくては。


「……セージ。今から私は半日ほど工房に籠るわ。この先しばらく鬼とならずに済むための薬を作り、そして呪いの拡大を防ぐため森を焼くの。残念だけど選択肢は、……このまま森と共に逝くか、それとも私の旅に着いていくか。二つに一つよ」

「は……? どういうことだよ、説明してくれよ、マリー!」

「お前の罹ったのろいは呪詛転変の一種である『オグル化現象』というもの。薬の効き目が切れたその瞬間、同族だろうと躊躇いなく手にかける共喰いの化物に戻ってしまう。更に、対象を定めずあらゆる者に害の及ぶ無差別伝染型ならば、セージだけでなく多くの人々がお前と同じくオグル化しているでしょう。私にはそれを「治す」義務がある。セージ、お前にその覚悟はある?」


 彼は──押し黙ってしまった。無理もないなとローズマリーは思う。

 彼女はかつて王宮に仕えた者として、呪いの蔓延を止め国と民を救うさだめにあるが、セージは違う。彼は他の人々と同じ、ローズマリーが守るべきこの国の民だからだ。覚悟の有無を尋ねはしたが、そんなものがあるはずないと分かり切っていた。

 なによりそんなつらく哀しい覚悟を定めてほしくなかった。こんな緊急事態においてもまだ、セージには安穏とした平和を享受するひとりのままでいてくれないか、と彼女は願ってしまう。

 ……どだい無理な話だと理解っていても。


「マリー、その役目はさ……マリーだけが負わなくちゃいけないものなの?」

「いいえ。1度でもあの宮に仕えた経験のある者は、たとえ職を辞そうとも死ぬまで『お役目』がついて回る。だから、王宮に関わった私以外の魔法使いは皆、例外なく同じ立場にいるわ」

「なら……ならさ、その『お役目』を課せられてるマリーの弟子もまた、同じように課せられていなくちゃおかしいよな」

「……私の旅に着いてくる覚悟はあると。そう、受け取ってもいいのかしら」

「当たり前じゃないか! 焼け野原になっちまう『故郷ここ』で、マリーが辛い仕事をこなすのをひたすら待ち続けるなんていやだ! 俺達は師弟なんだ、お前の痛みをどうか、背負わせてよ……!」


 春先に芽吹く若草のように淡い緑に輝く瞳がまっすぐローズマリーの目を見つめた。彼女の深い緑の眼と絡み合う。……あぁ、この目には敵わないなと思ったから、彼を弟子に摂ることにしたんだったなと、彼女は遠くなってしまった過去きおくを思い返した。


「セージなら、きっとそう言うと思ってたわ。待ってて、すぐに支度するから……今は少し休んでいなさい」


 既に日は陰っていた。今のうちに薬を作り終え、可能な限り早く発たねばならない。おそらく辛い旅路になる。セージに眠りの魔法を掛けて体力の温存をさせ、彼女は畑に植えている残りの千年草を摘む。加えて更にストック分も全て精製するため、家の奥にある工房へと踏み入った。



◆◆◆



 ──1933年 シュバルツベルン王都「ロージア」


 齢数百を重ねても尚、若々しい極上の容姿を保ったままの青年王「ジェラルド」が目の前にいた。

 代々フォンテーヌ家に継がれるアッシュブロンドにくすんだ青い瞳、すらりと細い肢体を紺青の豪奢な外套に包んだ姿は、記憶にあるものと全くといっていいほど変わらない。何百年も昔、人魔大戦の折からずっと。

 あのとき、同じ轡を並べて戦っていた一介の武官から王にまで出世しているとは、一体誰が予想できただろうか。彼こそ薔薇の都を魔族の手より守りきり、千年続く強国を作り上げたのだ。……まぁ、それも今日で「おしまい」だけれども。


「そなたが遥々この世界へ渡ってきたという『客人まろうど』か。この国──シュバルツベルンの国主として歓迎いたす。顔を見せ、名を告げよ」

「……、いいんですか? 私の名をあなたに教えても? 本当に?」

「何を遠慮することがあろう。そなたを賓客として迎え入れるにあたり、ぜひともその名と姿を確認しておきたい。やむにやまれぬ事情があるなら、配慮するが」

「……いえ、王様がOKだっていうなら、別にいいですよ」


 目深に被ったフードを乱暴に剥ぐと、ローブの中にしまわれていた長い赤毛が、ばさりとこぼれた。あれから何度生まれ直そうとも、この不吉な真紅の髪は変わらない。どれほど忌々しく思ったことか。

 だが、彼の驚愕に染まる顔が見られるのならば、この不気味な赤も悪くない気がした。


「やぁ、久しぶりジェラルド! ボクだよ、シイバだ! 数百年の時を経て、遂に帰ってきたよ──この国へ!」




 ゆえに、長きに渡り続いてきた平穏はようやく打ち砕かれる。

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