ともがらよ、報いを受けよ

 ──1933年 シュバルツベルン王都


 大陸最強の国家シュバルツベルンが誇る、薔薇烟る都と謳われる首都「ロージア」の中枢たる王宮の傍、華麗にして荘厳な意匠が目を引く高層のビルディングが屹立している。現国王ジェラルドが即位するより更に昔、遥か千年も前に建立されたそこはまつりごとの場である元老院だ。

 内部には法案を司る議会、法の番人である裁判所、更に国家防衛の要を担う中央軍司令部が置かれており、ここが堕ちるようなことがあればシュバルツベルンは終わりだと言われていた。もっとも元老院には代々王宮に仕える名門の魔法使い一族が強固な結界を敷いているため、そのような事態に陥る可能性は非常に低い。

 王宮周辺には魔法に関する研究を行う王国魔導研究所や王宮近衛騎士隊の本部があり、それらもまた元老院同様に重要度の高い施設だ。要するに「ここ」は、政治経済軍事外交その他全ての中心地なのである。

 そして「彼」または「彼女」の職場でもあった。


 お天気予報の魔法でチェックしたところ、本日の王都は生憎の空模様だった。濡れないよう仕事着の上にコートを羽織り撥水加工したブーツを履き、それからちゃんと傘も持って官舎のアパルトメントを後にした。

 雨避けの魔法は消費魔力も少ないので国民なら大抵が使用している。だが、彼女の仕事は残念ながら魔力を大量に駆使する以上、僅かな魔力も無駄にはできない。

 お気に入りの黒無地のこうもり傘は「前世」に居た時も使っていた馴染み深いものだ。うら若き乙女の姿にそれは似つかわしくないけれど、誰に言われようとも手放すつもりはない。

 早朝の王都中心部はまだ夜が明けたばかりなのに通勤中の労働者や各地区にあるカレッジへ向かう学生で溢れかえり、早々に降り出した雨に濡れた石畳の上を憂鬱そうに歩く様子が目に映る。自慢の景観もこれでは人混みで台無しだった。

 こればかりは「異世界転生」しても代わり映えしない光景だなぁ、と彼女は思う。


 彼女──または彼でもあるが、「前世」での名を「中富神楽なかとみかぐら」、こちら側での名前は「フェルデニウム・アポロニウス」という。

 元老院直轄の研究機関「王国魔導研究所」の職員だ。そして「アポロニウス」は国内に点在する魔法使い一族の中でも代々王宮に仕える名門であり、音魔法を操る術に長けていることから、宮廷音楽家一族としての一面も持ち合わせていた。

 魔力は魂に宿り、魂は血に宿る。

 中富神楽あるいはフェルデニウム・アポロニウスも例外なく一族に伝わる血筋と力を受け継いでいた。ただし、死ぬ直前までの記憶も伴って。


 彼だった頃の神楽は、ごく普通のサラリーマンだった。大学を卒業したあと地元の中小企業で事務員として働きながらたまの休みには友人ツレと飲み歩き、三十路に差し掛かる前には結婚したいなぁ、と願望を抱くような──本当に、どこにでもいるような。

 しかし妻を見つけるよりも前に彼は命を落としてしまう。ありふれた人生の終わりは決してありがちなものではなかった。全国でも症例が十に満たないような極めて珍しい難病に罹り、治療のかいなくあっさりと息を引き取った。

 あるいはその病がきっかけだったのかもしれない。いよいよ死に瀕し、看取りに来た両親へ別れの言葉を告げたあと、そのまま眠るように逝ったかと思えば──気が付くと、女の赤子として再び生を受けていた。ただし30手前まで過ごした現実世界ではなく、虚構のものと思っていた「異世界」で。

 前世、神楽が育ったのは会社員の父とキャリアウーマンの母だけの平凡な家庭だったが、此度生まれたアポロニウス家は貴族身分ではないものの充分な財力と地位を備えた立派な家だった。

 音を操る魔法を得意とする宮廷音楽家の一族として今のフォンテーヌ朝に仕えており、代々の当主はジェラルド国王の覚えもめでたいという。そして国内でも優秀な血筋を今に残す、名門の魔法使いの家系として広く知られていた。

 年々貴族の影響力が薄れつつあり、魔法使いの存在感が増す王国において、アポロニウス家は最も元老院議員の席に近いとも言われる重鎮なのだ。

 現当主の父、次期後継である年の離れた兄、亡くなって久しい祖父もまた元老院に所属し働いていた。父は宮廷音楽家という官職を兄に譲り、もう引退して悠々自適の老後生活を楽しんでいるが。

 神楽はそんな家の末娘として生まれ、兄と共に分け隔てなく育てられ、兄同様に魔法使い一族の一員として魔法を学び、成人の儀式を終えたのち全てを思い出した。自身が別な世界に生きていたことを。加えて、可愛いお嫁さんを迎える前に逝ったこともまた。

 だがしかし、困ったことに今の神楽の性自認は女性であり肉体の性別も女である。お嫁さんになれてもお婿さんにはなれない。前世からの夢が叶わぬと悟った彼女は生前にも類を見ないほどがむしゃらに働き、いつの間にか魔法使いにとって名誉である「王国魔導研究所」の正規職員になっていた。

 つまりはかつての母と同じキャリアウーマンというやつである。今度は素敵な婿を捕まえるという目標も絶たれた。なぜならその辺の貴族より社会的立場と生涯賃金が上だからである。平民としては最高の地位と富を得てしまったのだ、嫁の貰い手が見つかるわけもなかった。

 全てを諦め、こうなれば死ぬまで魔法使いとして知識を深め技術を磨き、自立した1人の女として生き抜いてやる、と心に誓い──今に至る。


 そんな現代における至高の魔法使いたるフェルデニウム・アポロニウス、あるいは中富神楽は現在、ろくでもない実験に加担させられていた。現実世界で培ったマトモな倫理観を持つ彼女にしてみれば、人権を無視した人道に悖るとんでもない実験である。

 それは、別次元にあるという異世界から生命体をこちらに移動させ、来たる軍国との戦争における「使い捨ての」兵士として活用する、というものだった。

 異世界の人間を拉致し、コストのかからない安上がりな兵士に仕立て、戦争での自国の損害を軽微なものにしようという計画だ。神楽の常識では一発アウトだがここは異世界、なんでもありである。戦争で勝つためには。


「馬鹿馬鹿しい、戦争なんかしない方がよっぽど低コストだっていうのに」


 とはいえ戦争の主役は全軍を率いる王家であり、神楽の立場はその王家に忠誠を誓う一族のすえだ。いわば神のような存在である王家の意向に逆らうなど、とても許されるものではない。しがない1人の役人として粛々と従うのみである。

 雨降りの月曜という更に気持ちを萎えさせる状況の中、サボりたい気持ちを堪えて神楽は職場へ登院し、いつものように保安検査(手荷物のチェックとボディチェックである)を済ませると、コートを脱いで仕事着であるスーツの上に白衣をまとった。

 職員一人一人に与えられた四畳半程度の狭苦しい私室に荷物と持参した昼食を置き、ここへ来るまでに少し濡れてしまった髪を魔法で乾かし、整える。

 前世は洒落っ気のない黒の短髪だったが、今は亜麻色の長い髪をきっちりと纏め上げてシニヨンにしている。姿見に映る自分は生前の己なら思わず見蕩れていたであろう、綺麗な女の容姿だ。

 鼻筋の通った彫りの深い顔立ちに切れ長の瞳は鮮やかな空色、引き締まった身体はメリハリの効いたモデルのごときスタイルで、スーツもドレスもよく似合う。白衣効果も相俟って、いけない女教師っぽく見えるが。

 けれどもこの見た目は、こちら側の男の受けが良くない。ふんわりした雰囲気のお淑やかで愛らしい若い女が人気なのは、次元が変わっても世界共通らしい。

 ふぅ、と浅い嘆息の後に目を保護する分厚いゴーグルをかけて私室を出る。これから行うのは道理も無理も引っ込んだ、外道そのものの実験だ。願わくば、あちら側でも誰にも必要とされていないような者が召喚されてほしいと思いながら、彼女は研究所の最奥へと踏み入る。




 そのささやかな願いさえ、叶わぬのだと今は知らずに。

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