ともくいの鬼

 魔法とは、とても素晴らしい技術である。

 ──魔法学第一人者 名誉博士「ラヴァーナ」の手記より、一部抜粋




 ──1933年 シュバルツベルン郊外「スフィール」


「客人? なんだい、それ」

「セージは知らないのね。まぁ若いし仕方ないか……。あのねぇ、昔は世界との境界が曖昧で『あちら』側からひとが渡ってきてしまうことがあったのよ。彼ら彼女らを俗に『客人まろうど』というの。人族は寿命が短いから、最後に現れた客人を見たことのある者はもういないんじゃないかしら」


 店にやって来たお客さん達の世間話をなんとはなしに耳をそばたてて聞いているうちに、興味深いワードが飛び込んできた。つい食い気味に訊ねると、親切な客の1人が説明してくれる。


「客人なんてほんとにいるのかい?」

「さぁ……偉い人の書いた文献には、一応客人と遭遇したときのことがちゃんと載ってるらしいけど。さてねぇ……」

「客人の来訪が真実だとして、そのうちスフィールにも来るかしら」

「まっさかぁ。こんなド田舎に客人がやってくるわけないだろう」


 わいわいと騒ぐ大人達もまた客人を直に見た経験はないという。最後にこの国へ客人が現れたのは、いにしえの人魔大戦が起きるより遥か前のことらしいから当然といえば当然なのだが。いかな魔法の恩恵があろうと、人はそんなに長く生きられない。

 だとするならば、一応は人間であるはずのジェラルド国王やローズマリーが若々しさを保ったまま長命である秘密はなんなのか。

 いくら魔法薬学を勉強していてもセージには分からなかったが……もしかしたら国王や師匠は混ざり物なのかもしれない、と疑っていた。もちろんさすがに、その疑念を問い質すつもりなどないけれど。


「マリーが待ってるし、そろそろ俺は帰ります。クラブハウスサンドありがとうございました。きっと師も喜びます」

「あら、もう帰っちゃうのね……、せっかく来てくださったのにあまりおもてなし出来なくてごめんなさいね。よかったらこれ、魔女様に。セージ君の分も入ってるから」


 町長の妻であり「くろつむぎ亭」の女主人である女性がバゲットの入った紙袋を渡した。付け合わせのマリネが入った使い捨てのケースも同封されており、これだけで今日の夕飯とするにはちょうどいいくらいだ。


「えっ、サンドももらってるのに悪いですよ、参ったな……今日は予備のお金、持ってきてないや」

「何言ってるの、これはほんの気持ちよ。魔女様にはいつもお世話になってるもの。魔女様が森に来てくださってから、病や傷が元で亡くなる人は激減したわ。あの方がいなければ、とっくにこの町は廃れていたことでしょう」


 そんな風にしみじみと言われては、もうこれ以上セージが何か言うのは躊躇われた。精一杯の謝意を込めたお辞儀をひとつして、他の客に別れを告げてから店をあとにする。すれ違う町の住人に挨拶しながらやや駆け足で進み、やっと帰路に着いた。

 暗き森、と呼ばれるくらいなので当たり前だが森の中はとても暗い。昼間でも折り重なる枝葉によって陽光が遮られ、灯りを持たなければ躓いてしまうほど。

 そのためセージはいつも魔法を用いてここを通らねばならなかった。適当な棒切れや何かの先端を光らせるだけの簡単な魔法だ、消費魔力も少ない。

 彼の専門はあくまで魔法薬学ではあるが、日常で頻繁に使うような魔法は修めている。ちなみにローズマリー曰く、彼女なら森全体を余すことなく人工光で一両日中照らすのだって余裕らしいが。

 とはいえそこまで大規模な魔法を使う必要もなく、彼は獣道を散歩でもするかのようにてくてくと歩いていく。行商に出るのは不定期なうえ数もそう多くないけれど、セージが大きくなってからずっと彼の役目なので慣れてしまった。むろん灯りがあればこそだが。

 ──しかし。


「あれ? なんだろ、全然家に近付いた気がしないんだけど……。むしろ、なんか遠ざかってるような……?」


 歩けど進めど自宅へ辿り着かない。普段ならばもうとっくに帰り着いていなくてはおかしい。それほど時間が過ぎている。何か呪いでもかけられたか、と彼は訝った。魔法使い見習いらしい発想であり、おそらく師匠も同じ立場ならそう思い至るだろう。


「ったく、せっかくもらったサンドもバゲットも悪くなっちまう。防腐のまじないをかけておこう……って、アレ? 魔法が、使えない……?」


 何度呪文を唱えようと魔法は発動してくれなかった。灯りの魔法が問題なく稼働しているのにこれはどう考えてもおかしい。なにか異常事態が起きている。


「マリー! ローズマリー・サトゥルヌス! 返事をしてくれ! 頼む、緊急事態だ! 俺のこの声なら……届くはずだろう!」


 声と言葉に魔力を込め、全霊で叫ぶ。言霊の魔法といい、難易度は高いものの呪文を使う通常魔法よりも強い効果が期待できる。言霊の魔法を用いれば、たとえ新規の魔法が封じられた状況下でも魔女に異常を伝えられるはずだった。


『セージ! 無事!? あぁ、良かった……生きていたのね。待ってて、今すぐそこから連れ出してあげるから』


 脳裏に直接ローズマリーの呼びかけが届く。離れたところにいる相手へ話しかける、まだセージが未習得の上級魔法だ。こんな時ではあったが、改めて師の魔法技術の高さに感服してしまう。

 聞き慣れた彼女の声が不安に浮き立つ心をすっと落ち着けてくれる。意思の疎通が図れるのであれば、もう過剰に不安がる必要はなかった。あとはローズマリーが救い出してくれるのを待つしかない。

 そしてセージが祈るような心地で待機していると、急激に景色が森の中から自宅のリビングへと切り替わる。同じく上級魔法の1つである転移魔法だ。これもセージはまだ習ってないので使えない。


「あぁびっくりした……、急にあんなことになって。一体何が起きたんだ?」

「どうも、森に棲む魔物のうち誰かがいたずらをしたみたいね。惑わしの魔法をかけるだなんて、まったく厄介な……。いい加減、本気でお灸を据えてやらねばならないかしら」


 愛弟子を害されて憤慨するローズマリーだが、実際に彼女が森の魔物を退治した事例は1度もない。

 歴代のミネルヴァの魔女には、魔物を見るや残らず倒していったような血気盛んな者もいたようだが、悪さをするにしても森の外でなければ構わない、というのがローズマリーのスタンスだ。命を扱う職業だからか彼女は命を奪う行いを嫌う。

 おそらくこのあと、いたずらした魔物にお説教でもしに行くのだろう。殺しはしないが悪さをしたら容赦なく鉄拳を振るう、それが穏健派の魔女のやり方だった。


「あ、そうそうお昼は買ってきた? だいぶ遅くなっちゃったけどランチにしましょう。今日のお茶はレモングラスのブレンドティーにしてみたの」

「えっ、ほんと? わーいやったぁ! そうそう、くろつむぎ亭からバゲットもおまけしてもらったんだ、今日の夕飯はこれにしようよ」

「それちょっと早く言いなさいよぉ! もう夕飯の支度に取り掛かってたのに!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら2人はキッチンに並び立ち、お昼の準備にかかる。といっても朝食の残りのスープを温め直し、2人分の飲み物を用意するだけだったが。手早く料理を食卓に置き、席に着いた師弟はいただきますをしてさっそく口いっぱいに頬張る。


「んー、やっぱりくろつむぎ亭のごはんが国1番のおいしさねっ。これのために頑張ってお仕事してきたような気がするわぁ……って、どうしたのセージ。浮かない顔をして」

「……。なんか、味がしない。サンドも、スープも、バゲットも……。おかしいな、朝ごはんの時はなんでもなかったのに」

「変ねぇ……前触れのない味覚異常なんておかしいわ。まだ検査キットの在庫があったから、とりあえずそれで簡易検査を、」


 ぐぬぬと眉を寄せてローズマリーが言いかけたその時、異変は突如として起きた。


「あ、あ、……あ、やだ、助け……て……ま、りー……」




 明るい金の髪は錆び付いた銀に。

 滑らかな白い肌は煤けた灰色に。

 とんがり耳は縦に伸び、翠玉の瞳が血玉石に変わる。身にまとった衣服を裂き、背中に生えるは蝙蝠のごとき皮の翼。額を突き破る一対の角から、ぽたぽたと血の雫が垂れる。

 ──“それ”は、紛うことなき鬼の姿。

 妖精の血筋を引いた子は、理性なきまなこで微笑んでいる。


「にげて、マリー」


 精神こころ衝動ほんのうに食われる前に、最期の言葉を言い残して。

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