まろうどの噂

 ──1933年 シュバルツベルン郊外「スフィール」


 薔薇烟る都と謳われる麗しの王都から遠く離れた、魔力に満ち魔物の住まう「ミネルヴァの暗き森」を隣に置いた小さな田舎町、スフィール。農業と牧畜で糊口を凌ぐ寂れた村落だが、国境線に近いため軍事の要衝であり日頃から物々しい雰囲気が漂っている。

 ミネルヴァの魔女たる国一番の薬師ローズマリーを師と仰ぐ、薬師見習いセージにとっては懐かしの故郷だ。彼はここで生まれ、そしてローズマリーに拾われ育てられた。


「ただいまー、みんな、薬持ってきたよ」


 引き戸のついた大きな薬箱を担いで現れた少年をわっと町民たちが取り囲む。

 ミネルヴァの魔女謹製の薬は傷に打ち身にあらゆる病によく効き、たちどころに治すと評判だ。王宮には魔女が鍛えた薬の使い手が何人もいるが、彼ら彼女らでさえ時にはかつての師匠の元へと参じ、研究や修行のため薬を買い求めていくのだ。

 鍬で打ちつけて手を怪我した農夫から風邪で寝込んだ子の母、リウマチに苦しむ老婆まで様々な病や痛みを抱えた者が集い、我先にと必要な薬を贖っていく。時たまこうしてスフィールへ来る度、魔女の薬は飛ぶように売れ、ぱんぱんに詰まった薬箱はすっかり軽くなってしまう。

 ちなみにまだセージが作った薬は卸していない。お前のような若輩の代物など苦しむ民に下賜するわけにはいかない、というのが師匠の言だ。それは翻ってみれば、もっと良いものができたら卸してやるという意味を持っているのだが。


「いつもありがとう、セージ。魔女様にみんなが喜んでいたと伝えてくれ。それと、いつまでも息災に、とも」


 セージの顔を見にやってきた町長が柔和に笑みつつ言った。彼はスフィールの片隅に居た捨て子のセージを見つけ、魔女に引渡した者だ。町長がいなければ今頃少年は寒さと飢えの果てに死んでいただろう。

 ちなみにセージを魔女の後継に、と推挙したのも町長である。そのおかげで彼はローズマリーの弟子となり、今は薬作りに励む日々を送っていた。


「町長! 久しぶりです。お元気そうでなによりです」

「久しいなセージ。魔女の元でうまくやっているか?」

「えぇまぁ。こき使われまくってますが。あいにく、土産となりそうなものがなくて……千年草のひとつも持ってこれればよかったのですが」

「何を言う。あれこそミネルヴァの暗き森にしか咲かない至宝ではないか! それを土産だなんて……」

「いやいや、うちの畑に山ほど生ってますし、年中穫れますし。別におすそ分けくらいいつでもいいですよ」


 千年草とは名の通り煎じて飲めば千年生きられるという、伝説級の効能を持つ薬草だ。市場では最高値で取引され、各国の王族が喉から手が出るほど欲しがる貴重な代物である。実は、ミネルヴァの魔女がどんな傷や病も治す秘術の使い手と称されるのは、この千年草にあった。

 彼女は本来、魔界の秘境にしか根付かない千年草をミネルヴァの暗き森にて植え育てる術を見つけ出し、また薬として加工する技をも編み出した。ただそうした秘密を知るのはスフィールの民とセージのみである。


「何を言うか。頼むから千年草については他言無用で頼むぞ。それからいざという時以外は使うな。いくらお前のところの畑で穫れるといっても、貴重なものであることに変わりはないのだぞ」

「はーい。それじゃあ、これ。俺が作った匂い袋です。中には干したハーブと呪符があります。お守りにでもしてください」


 薬師を目指すセージであるが、彼は薬作り以外にも色々と特技や趣味があった。特技はテイミングであり、動物や魔物と言葉を交わし親しくなることができる。

 趣味が呪符作りだ。式符に特殊効果を付与させる魔法を使い、呪符を作成する。これのおかげで薬ではどうにもできないこと、たとえば呪いを弾いたり、襲いかかる獣や魔物を退けたりできた。

 これはセージに流れるある血筋が理由の一つではあるのだが、今は割愛する。


「おお……ありがとう。助かる。近頃は色々ときな臭くなってきてな、ここが要衝であることはお前も知っているだろうが……あのな、戦端が開かれるかもしれない、という話が出てきていてな。何、本当にそうなるかはまだわからんが。ただそうなれば、戦場になる……この町は」


 スフィールは国境の町だ。すぐそこには他国──軍国という新しく建った国があり、王国兵が常に相手方に動きがないか確認し歩哨を立たせて牽制している。


「戦争が……、始まるんですか。やっと平和になれたのに……? 今度は、人間同士が争い合うさだめにある、と?」


 世界を二分した、いにしえの大戦「人魔大戦」が勃発したのは遥か数百年以上も昔のことだが、終わったのはセージが生まれるついこの前。この世界が一応の平和を取り戻してから、まだ生まれた赤子が死ぬまでくらいの時間しか経っていない。

 血で血を洗う、凄まじい生き地獄と化した戦場の記憶を未だ、生々しく心に残す者達は多い。特に魔族と魔族側についた種族は。人族では世代交代が始まって、そろそろ風化してきているようだが。


「うむ……まぁ、今すぐという訳ではなかろう。軍国は出来て真新しい。シュバルツベルンほどの国力はまだない。それが僅かな猶予となるだろうな」

「そうですか……でも不安ですね。スフィールの人達はどうなるんだろ」

「ここにいるのは戦えぬ者達ばかり。戦端が開けば疎開するしかないな。王都か、さもなくば帝国側にある町か。考えうる限り最悪な未来は国家間大戦に発展する展開だが、さてどうだろうの」

「そうなったら、スフィールの人達にまた会える可能性はひどく低いんだろうな。俺にできるのは、みんなが健やかでいられるよう祈るくらいだ」

「はは、セージはその頃には魔女をも凌ぐ素晴らしい薬師になっているさ。そしたらやることなんて山積みだろうよ。それこそ、王宮へ召喚されるかもしれないな……魔女の後継として」


 セージは王宮勤め時代の師匠の姿を知らない。なぜ彼女が栄光を約束されたに等しい典薬師を退き、辺境の森へ引っ込んだのかも。そして、本来の齢は九十九を超えているにも関わらず、今なお魔女が若々しい美姫のままであるのかも──。


「……さて。少しばかり長話をしてしまった。いい加減公務に戻るとしよう。愚痴に付き合わせてすまなかったな、駄賃代わりに『くろつむぎ亭』のクラブハウスサンドを奢ってやる。奥に言付けておくから」

「えっ、そんな、悪いですよ! だいたい愚痴だなんて、結構重要な機密を教えてもらったし、お礼しなくちゃいけないのは俺の方です。クラブハウスサンドだってマリーのわがままだし……」

「よいよい。ポートヘブン産の活きのいい蟹が手に入ったんだ、せっかくだからお前も食べて行け。あれもお前の顔を見れて喜ぶし」


 いつだったか町長はセージを倅同然に思っている、とこぼしたことがある。

 実際、行商でスフィールを訪れる度にこうして顔を見にやって来るし、彼の奥方が営むパン屋の品物を奢ってくれるのも1度や2度ではない。というか毎回だった。その度に遠慮しているが、結局は押し切られて受け取ってしまうのが常だった。


「すみません……。ありがとうございます。マリーにもちゃんと味わって食うよう言いつけておきますんで」

「魔女はあれのパンが大層好きだったな。いずれミネルヴァの暗き森が徒人ただびとも来れるようになれば、届けさせてやりたいものだが」

「そんな悪いですよ。そのうちあの引きこもりを連れて買いに行きます。今度こそちゃんと客として。……では、そろそろ行きますね」

「ああ。また今度も薬を頼むよ、セージ」


 そこで町長と別れ、彼は空っぽの薬箱を背負って歩く。町はいつもと変わらず閑散としていた。

 材木を組み合わせて作った簡素な家々が立ち並び、その周りに畑が広がり、あちこちで牛馬がのんきに草を食んでいる。そうした人の営みは、森の奥で引きこもって薬と向かい合う毎日では見られないものだ。

 もちろん魔女と共に暮らす日々をセージは尊く、また愛おしく思っている。だがここで人に混じって生活していたら、一体どんな人生を送っていただろうか、とこの町の風景を見遣る度にふと考えてしまう。

 さて、目的地へ着いた。

 町長の奥方が女主人を務める、町の中にある古びた店構えのパン屋「くろつむぎ亭」へ訪れた少年を店内の客や、カウンターに立っていた店主があたたかく出迎える。

 彼はここでも人気者だった。町では少ない若者であるセージはみんなにとっての子であり孫なのだ。

 いつものようにクラブハウスサンドを渡してもらい、店の隅にあるイートインスペースで他の客と談笑する。他愛ない世間話や時事ネタまで、代わる代わる客が持ち寄ってくるのでこの店では雑談の話題に事欠かない。

 たまに会話に交じりつつ、町人の話をなんとはなしに聞くのがセージは好きだった。


「……あぁ、そういえば……数百年ぶりに客人まろうどが来たらしいよ」


 ──その何気ない噂が、全てのさだめを変えるとは、予想だにせずに。

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