異世界ひとくい物語

荷葉詩織

第一片 狂える少年と災厄の懐郷者

魔女と弟子/少女と同胞

魔女の予感

 「彼女」が来るそのときより前は、世界はたしかに安穏であり平和だった。

 ──オグル。

 のちの世においてそう呼ばれし人喰いの怪物が跋扈するまでは。



◆◆◆



 ──20xx年 東京


「……でさー、またそのクソ教師がさぁ、今日も田中くんのことを怒鳴ったりするわけよー。もう、教室の空気ほんと最悪。あいつ早く別な学校に転勤しちゃえばいいのに」

「わかるー。村井でしょお? あいつ、教えんの下手くそなくせにエラそーだよね! マジでウザイし、あとなんかこっち見てくるときの目がキモイし」


 放課後。西日の差し込む教室には何人かの女子生徒が集まってはくだらないおしゃべりをしながら、本来校則で禁止されているはずのネイルやメイクに勤しんだり、これまた持ち込み禁止のはずだがお菓子の袋を開けていた。抜群に偏差値が高いわけでもない自称進学校なんて所詮こんなものだ。

 髪型をせっせと整え、化粧直しに熱心な彼女達は、これから繁華街にでも遊びに行くのだろう。なにせ金曜日だし。羨ましい話だ。そんな余裕などどこにもない人間だって、ここにはいるというのに。


「はぁ……いい加減、向かわないと」


 机の引き出しに読みかけの文庫本を雑に突っ込み、テキストや参考書などの中身がぱんぱんに詰まった愛用のリュックを背負って氷見山架音ひみやまかのんは憂鬱そうな顔で席を立つ。

 死ぬほど予備校なんて行きたくないが、月謝を無駄にするわけにもいかず、結局ほぼ毎日のように通っている。仕方なかった。架音はクラスでも下位の成績であり、志望校に受かるためには他の誰よりも勉強しなくてはならないのだから。

 都内の高校生は今どき大学を出ていて当たり前、高卒で就職など以ての外という不文律がある。まして自称進学校ともなれば尚更。仮にその辺の会社で働きたいなどと口にしようものなら、進路指導の担当教諭からキツい説教と説得が待っている。

 さして勉強好きでもない架音だが、そうした事情もあって普段はこつこつ努力を重ねているけれど……結果は芳しくなかった。そして業を煮やした両親の言いつけで予備校に通わされているのである。

 教室を出ようとする架音に、彼女と違って受験シーズンでも余裕のあるクラスメイト達が声をかけた。明らかにバカにしたような顔で、内心むっとするものの表にはおくびにも出さない。


「バイバーイ、カノンちゃんベンキョー頑張ってねえ」

「志望校、國學院だっけぇ?」

「ばっか違うよぉ、学習院でしょー?」


 ……もはや訂正するのも面倒くさい。架音が受験する予定なのは関東近郊にある女子大で、彼女達があげるどの学校名も当てはまらない。でもわざわざ教えてやる気にはなれなかった。今度はそのネタでからかってくるにきまっているからだ。

 この学校は成績の悪い人間に人権がない。だからこうした子供じみた行いさえもまかり通ってしまう。ケラケラと背後から聞こえてくる笑い声を無視しながら、早く卒業したいなぁと架音はしみじみ思った。


 昔昔、架音の生まれた氷見山一族は地元でも名の知れた旧家だったという話だ。特に大戦時代は広大な土地を有する地主でお金持ちだったようだが、戦後のゴタゴタで没落し今では一般庶民と変わらない生活を余儀なくされている。

 ただ、旧家特有のしきたりというのは未だに生き残っていて、子供につける名前にも決まりがある。それは跡取りとなる長子(男女は関係ない)には必ず「架」の1文字を当てるというもの。

 このせいで架音は要らん苦労をするはめになる。というのも「架音」という名はどう考えてもキラキラネームそのものだからだ。からかいのネタにされるくらいならまだマシで、過去にはイジメの原因になったりした。

 一度は本気で改名しようかとも考えたのだが、手続きが色々と必要ということもあり、結局は改名せず今に至る訳だが。

 全く、旧家生まれなんてろくなものではない。旧家という割にお金持ちでもないし、それなら普通の家に生まれていればどれだけ良かったことか。挙句、好きでもない勉強を無理やりやらされるハメにもなるし。


「……あ、今日、新刊の発売日だった。帰り、本屋に寄る時間、あるかな……」 


 いつもブレザーのポケットに入れっぱなしにしているスマートフォンを取り出す。時間を確認するも、さすがに寄り道する余裕はなさそうだった。

 あれもこれもそれも、全て予備校通いなのが悪い。今日はずっと楽しみにしていた小説の発売日なのに。受験さえなければいつでも楽しい読書三昧な日々が送れたはずだ。

 ……だが、頭さえ良かったら予備校に行かなくても済んだし本屋へ行く時間は作れた、という事実に架音は目を背けることにする。世の中、直視する必要のない事はあるものだ。


 氷見山架音、18歳。キラキラネームと受験が悩みの高校三年生。趣味は読書と本屋のハシゴ、特技はなし。黒髪黒目のごくありふれた日本人顔の少女は──この日、自分の運命がことごとく変わってしまうということをこの時点では、まだ知らない。



◆◆◆



 ──1933年 シュバルツベルン郊外「ミネルヴァの暗き森」


「セージ! おーい、セェェェジ!! おいちょっとこら、無視するんじゃないわよ馬鹿弟子!! 返事をしなさい!!」

「るっさいマリー! なんなんだバカデケェ声張り上げて! はっ、まさかまたトイレの排水溝詰まらせたか!? 勘弁してくれ、この前修理したばっかなんだぞ!」

「は!? ちっがうわよ! ちょっと頼みがあるから早く来なさいって言ってんの!」


 1人の少女が引き戸のついた大きな薬箱を片手に、きんきんと頭に響く金切り声を轟かせた。月桂樹を飾ったとんがり帽子にフリルをたくさんあしらった黒いワンピース、その上に白衣を着込んでおり、陽光の下で輝くプラチナブロンドを短く切りそろえている。

 彼女の名前は「ローズマリー・サトゥルヌス」という。ミネルヴァの魔女にして、過去に王宮に仕える典薬師でもあった魔法薬学の権威である。見た目は幼い子供のようだが。

 現在は使い魔のタイムと一番弟子のセージと共に、シュバルツベルンの辺境に広がる広大な森林地帯、ミネルヴァの暗き森にて悠々自適の隠居生活を送っていた。


「セージっ、あんたを優れた癒しの術の使い手と見込んで頼みがあるわ。出来上がった薬をこれに入れておいたから、ちょっと街まで行商してらっしゃい。で、ついでに私のお昼も調達してきてちょうだい」

「は? んなの自分でやれよ。行商には行くけど」


 不揃いな長さの明るい金の髪と新緑の色をした瞳に、簡素なシャツとズボンを身につけた少年「セージ・リヒト」はあからさまに面倒くさそうな顔をした。

 彼は魔女ローズマリーに師事しながら1人前の薬剤師を目指して日々修行と勉強に励む良い子だが、基本的に師匠に対してあまり忠実ではない。むしろ常日頃くだらない口喧嘩ばかりしている、絶賛反抗期中の子供だった。


「ええーっ、いいじゃないついでよついで。私、『くろつむぎ亭』のクラブハウスサンドが食べたいのよ。でもおいそれと森の外に出るわけにもいかないし、ちょっとくらいワガママ聞いてくれてもいいじゃない!」


 シュバルツベルンの魔女には、誰か1人は必ずこの森で生活しなければならないしきたりがあった。ミネルヴァの暗き森は莫大な魔力を秘めた土地であり、数々の魔物が潜んでいる。

 そこを異常がないか監視し、何か起きれば被害を水際で食い止めるという重要な役割をこの少女にしかみえない魔女は課せられている。そのためやむを得ない場合を除き、普段は森から出られない。本業である薬屋の仕事は、どうしても弟子に一部を任せなくてはならないのが現状だ。

 とはいえそれとパシリこれとはまた別だ、というのが弟子の言い分だったが。


「しょーがないなぁ……。わかったよ、買ってくりゃいいんだろ」

「やったぁ! セージったら優しいんだからぁ! もちろん蟹はポートヘブン産じゃなきゃダメよ、輸入品の蟹なんか水っぽくて食べられたもんじゃないもの」

「ばか、くろつむぎ亭が輸入の蟹なんか使うわけないだろ。あそこの店主、とにかく妥協ってもんをしないんだから。じゃ、行ってくる! 留守番頼むな、マリー」

「はぁい。セージ、気を付けて行ってくるのよ。何かあったら、必ず私の名を呼んで。絶対に駆けつけるから」


 よいしょと大きな薬箱を担ぎ、元気よく森の奥にひっそりと佇む小屋を出発するセージ。小さくなっていく愛弟子の、しかし拾った頃に比べればすっかり広くなった背中を見つめ──ローズマリーは嘆息する。


「……何事もないのが一番、なのだけど。なぜだろう、なんだかとても、嫌な予感がする……」


 魔女の予感はよく当たる。だが、このときばかりは思い違いであってほしい、と彼女は信じる神を持たないくせに祈った。




 ……──かくして、その「予感」は見事に的中してしまうことになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます