第314話 (偽)彼女さんは俺の部屋に上がりたい

「行ってきます!」

「ああ、俺たちも後で行くからな」

「小森さん、頑張りなさいよ」

 午後3時半頃、早苗はしっかりとおやつを食べてから、イベントの準備をするために早めに家を出た。

 ちなみに、笹倉はイベントの開催場所が俺達の最寄り駅周辺のため、こちらで待機するために来たらしい。ちょうど早苗と入れ替わる形になったわけだ。

 見送りが終わり、リビングでゆっくりしようかと思っていると、笹倉がトントンと肩を叩いてきた。

「ん?どうした?」

 振り返ってみると、彼女は伝えたいことがあるけど少し言いづらいと言った顔をしていて、それを察した俺はその表情から頭に浮かんだことを聞いてみる。

「トイレならここだぞ?ってもう知ってるか」

 家に上がって廊下の右側にある扉、そこを指差しながら言うと、笹倉の顔からロウソクの日を吹き消すみたいに表情が消えた。

「碧斗くんって、時々デリカシーがないわよね。普段はかっこいいのに……」

「よ、喜べばいいのか、悲しめばいいのか……」

 笹倉は深いため息をつくと、ほんの少しだけ先程の表情を滲ませた。

 そして、そっと俺の手を握ると、玄関の扉にチラチラと視線を送りながら小声で呟く。

「ひ、久しぶりに碧斗くんの部屋に行きたいなぁ……なんて」


 …………こりゃ、俺を殺しにかかってきてるな。いや、物理的にじゃなくて精神面で。

 恥ずかしがりながら『部屋に行きたい』とか、可愛すぎて死ねる。キュン死しちゃうよ、キュン死。


「碧斗くん、大丈夫……?」

 心配そうに顔を覗き込んでくる笹倉。少し自分の世界に入り込みすぎたらしい。

 俺は右の頬をぺちぺちと叩いて正気を取り戻すと、「大丈夫だ」と答えて彼女を見つめ返す。

「ダメならいいのよ?でも、数ヶ月ずっと小森さんの部屋じゃない。それだと彼氏の家に遊びに来た感があまりないのよ」

「まあ、彼氏の幼馴染の家に遊びに来ちゃってるもんな」

 笹倉からすれば、敵陣に単身で乗り込んでいくようなもの。好きな人の部屋に行きたいという願望は、きっと誰もが持っているものだと思うし、叶えてやりたいとも思う。

「わかった、行くか」

 そう言って頷くと、彼女は表情をぱっと明るくした。余程俺の部屋を楽しみにしてくれているらしい。

 しかし、部屋というのは使わなくてもホコリが溜まったりするものだ。おまけに俺の知らない間に早苗が何度か進入しているっぽいし……。

「俺も久しぶりだから、どうなってるか分からないけどな」

「その時は私が綺麗にしてあげるから大丈夫。どうせ将来はそれが仕事になるんだから」

「そ、そうだな……」

 暗に嫁感を見せてくる笹倉の横顔に少しドキッとしつつ、「よろしく頼む」と小森家の玄関のドアを押し開いた。


 そして徒歩5秒ほどの自宅の玄関の前に立つ。

 鍵穴に鍵を差し込み、ガチャリという音が鳴るまで回し、元に戻して引き抜く。この動作さえ久しぶりすぎて、手元が少しおぼつかない。

 鍵はポケットにしまい、おそるおそる扉を開くと、その直後、懐かしい匂いと景色が目の前に広がった。

 いくら帰ってこなくても、これだけで不思議とここが我が家だと実感させられる。家って偉大だな……。

「本当に久しぶりね」

 笹倉はそう言うと、靴箱の上に置いてある写真立てを手に取った。

「『さあや』ちゃんとの家族写真。私が初めて碧斗くんを迎えに来た時もここにあったわよね」

 懐かしむような目で眺めながら、笑みをこぼす彼女。そんな姿を見ていると俺も自然と同じ気持ちになる。

「あの時の笹倉は早苗のことを敵視しすぎて、俺も見るに耐えなかったんだよな」

 笹倉という大きな敵を前にして、怯えている早苗の姿が今でも頭に残っていた。あれが半年以上前の話だなんて少し信じられないけど。

「今でも敵視はしているわよ。あの頃とは少し見方が変わっただけ」

「どう変わったんだ?」

「そうね……私としては対等に言い合える相手になったわ。初めは碧斗くんの周りを飛んでるハエくらいの認識だったけれど」

「随分と昇格したんだな」

 早苗、良かったな。虫から人間になれて。


「まあ、そんなことはいいわ」

 笹倉はそう言って写真立てを元の位置に戻すと、俺の横をすり抜けて家に上がる。早く俺の部屋に行きたくて仕方がないらしい。

「俺は飲み物を取ってくる。まあ、小森家からになるけど」

「わかったわ、先に部屋で待ってるわね」

 俺はそう言って彼女に背中を向けると、早足で早苗の家まで戻る。

 俺が小森家に住ませてもらうようになってから、冷蔵庫の中身なんかは全部咲子さんに使ってもらったし、飲みきれないものは処分したりもした。

 だから、関ヶ谷家の冷蔵庫は絶賛空っぽ中なのだ。何も冷やすことがないのに電気だけ食っていく白い箱ってことだな。

 まあ、コンセントが裏側にあるから抜くことも出来ないし、そこはどう嘆いても仕方ないんだけど。ちなみに冷凍庫の方も以下同文だ。

「りんごジュースもらっていきますね」

 一応仕事中の咲子さんに声をかけておく。集中しているみたいだから返事はないが、そもそも俺用に買ってくれたものだからきっと問題は無いだろう。

 コップは自宅にあるものを使うとして、冷えたりんごジュースのペットボトルを抱えて再度小森家を出る。

 道路に出たところで歩いていたおばちゃんと目が合って、『この人はどうしてりんごジュースなんて持って出てきたんだろう』という顔をされてしまった。

 確かに客観的に見てみれば、この状況っておかしいんだよな。でも、客人に何も出さないのは失礼だし、主観的には何もおかしいことではない……と信じたい。

 恥ずかしさもあって、俺は駆け足で自宅に戻ると靴を脱いで家に上がり、キッチンからコップを2つ取って二階への階段を上った。

 その先を左に曲がってすぐそこに見える扉が自分の部屋で間違いない。俺は久しぶりという感覚に少し緊張しつつ、ゆっくりとドアノブを捻った。

 軽く扉を押せば、あとは勝手に開いていく。それとともに徐々に明らかになっていく部屋の全貌。そして笹倉の後ろ姿。


 自室と感動の再会……なんて、現実はそんなにドラマチックな展開にはならなかった。


 カチッ……パチッ……

「ふふ、ヒットね」

 独り言を呟いている笹倉の前に回り込んで見てみると、彼女は部屋にあったBB弾を撃つおもちゃの銃を構えて何かを狙っていた。

「笹倉、何やってるんだよ」

 的に跳ね返った弾が足元に転がってくる。踏んだら地味に痛いやつだから、あまり散らかさないで欲しいんだが……。

「何やってるのか?それは私のセリフよ」

 笹倉はそう言って立ち上がると、的にしていたそれらを拾い上げて俺に突き付けた。

「なんだよ、これ…………って、え?」

 渡された5枚の四角い板。全て開封済みのそれらには、確かに見覚えがある。というか、俺がずっと前にアマソンでポチッたやつだ。

 表面にいかにもエロい絵が描かれているそれは、紛れもなくPC用エロゲーのディスクだった。

「笹倉、違うんだ。これはかなり前に買ったやつで……」

「いいのよ、買ったことを怒ってるわけじゃないわ」

 つい反射的に言い訳を口にした俺に、笹倉はそんな言葉をかけてきた。

 優しい笹倉様は俺の所業を許してくださると言っておられるのか……と感動しそうになったところで、彼女は俺の手からエロゲーを奪い取ってベッドの上にばらまく。

 そしてそれらを順番に指差しながら、タイトルを読み上げていった。


『幼馴染と密着24時』

『俺と幼馴染は一心同体?!―物理的に繋がっちゃって㊙︎大惨事―』

『死んだと思ったら幼馴染と体が入れ替わって(以下略)』

『幼馴染と親友の行為を見てしまったので、それをネタに脅してみた』

『幼馴染ちゃんがヘラり過ぎて俺の貞操が危ない!』


 普通なら恥ずかしがるところを、笹倉は淡々と真顔で言い切り、それから俺に視線を戻した。

「これ、共通点は何かしら?」

「え、えっと……なんだろうなぁ……」

 笑って誤魔化そうとするも、怒りの込められた瞳で睨まれれば、蛇を前にしたネズミのように体が縮こまってしまう。

「……わかるでしょ?」

 笹倉はワントーン低い声でそう言うと、震える俺の体を押して壁際に追い詰めた。あまりの迫力に腰が抜けて座り込んでしまっても、許さないとばかりに俺の顔スレスレの壁を右足でドン!と蹴る。

 壁ドンは壁ドンでも、手ではなくて足ドン……スカートを履いている彼女がこんなことをすれば、俺の目の前にどんな景色が広がっているかは容易に想像出来ると思うが、今の俺にはそれを楽しむような余裕はなかった。


「『幼馴染』って……どういうつもり?」


 笹倉さんが……す、すごく怖いです……。

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