第309話 俺は幼馴染ちゃんに遠慮して欲しくない

 笹倉や双子たちが見つめる中、早苗はゆっくりと顔を近づけてきた。そして。


 ―――――――――――――――ちゅっ。


 笹倉のしたのとは反対側の頬に、彼女の唇が触れた。少しして離れたと思えば、追撃のようにもう一度その感触が伝わってくる。

「お、お前……」

 2度目のキスを終え、ゆっくりと顔を離した早苗は下ろしていた瞼を開くと、絞り出すような声で言った。

「どうでもよくなんてないよ?あおくんと離れてる間、ずっとあおくんのこと考えてた」

「早苗……」

「本当にずっとだよ?あおくんの裏垢がないか探したり、あおくんの部屋に私似のえっちな女優さんのDVDがないか探したり、あおくんとの思い出の写真を見返したり……」

「……あれ、3分の2に恐怖してるんだけど」

 何この幼馴染、俺の裏垢とえっちなDVD探してたの?俺がいない間に?普通に怖いんですけど!?

「それでもね、あおくんが隣にいてくれるのと比べると全然満たされないの。思い出の写真のあおくんに好きって伝えても、全然満足出来ないの」

「3分の3になっちゃったよ!」

 もはや怖いことしかしてないよ。茜たちが俺を恋しがってたのって、早苗のそんな奇行があったせいなんじゃ……。

「本当はいきなり抱きついたりしたかったよ?でも、疲れてるかもしれないし、今日くらいは迷惑にならないようにしようって決めてたの」

 なのに、茜ちゃんと葵ちゃんがあんなになっちゃってるのを見つけちゃって、どうしようかと思ってたのに、いつもの癖で笹倉さんとイチャついてるのを止めちゃって……。

 謝罪と申し訳なさと悔しさがごちゃ混ぜになったような表情になりながらも、なんとか言葉を紡いでいく早苗。

 俺に気を遣ってくれていたという事実に、彼女の本心に気が付かず、軽率にからかってしまった先程の自分が最低に思えてきた。


 謝りたい。


 心からそう思ったから、自然と言葉が出た。

「ごめん、早苗」

「……うん」

「それと、ありがとう」

「……」

 彼女はただ小さく頷く。反応としてはそれで十分だった。

「でも、もうひとつ言わせてくれ。……バカ野郎め」

 俺の言葉に、早苗は少し顔をしかめた。どうしてそんなこと言うの?と言いたげな瞳も向けてくる。

 もちろんこれは悪意を込めた言葉じゃない。むしろ、善意100%だ。

「だってバカだろ。俺がお前の気持ちを『迷惑』なんて思うわけないのにな」

「そ、それは……信じてたけど……」

「あと、キャラに似合わず気を遣ったりするな。俺だってお前がいつもと違うと、ちょっとは寂しくなるんだよ」

 少し照れながら言うと、暗かった早苗の表情に一筋の光が差した。それはたちまち全体に広がり、やがて満面の笑みへと変わる。

「なら……遠慮する必要ないの?」

「ああ、倫理観さえ守ってくれればなんでも受け入れるつもりだ」

「じゃあ―――――――――」

 早苗は少し背筋を伸ばすと、両手を大きく広げたまま、俺のいる方に向かって倒れてきた。

 反射的にその体を受け止めれば、自然と彼女を抱きしめる形になり、満足そうな「むふふ♪」という声が耳元で聞こえてくる。

「少し遅くなったけど……おかえりなさい!」

 これでもかと言うほど、思いっきり抱きしめてくる早苗。それでもそこまで力は強くないので痛みは感じない。

 むしろ、柔らかい感触に頬が緩みそうになって、慌てて笹倉の方を見てしまった。

「…………」

 彼女は腕組みをしながら不満そうな顔をしていたが、少しすると仕方ないわねと言いたげに肩をすくめてそっぽを向いた。

 今日くらいは勘弁してくれるってことだろうか。そういうことだと受け取っておこう。

 俺は心の中で笹倉に感謝を述べると、躊躇って浮かせていた腕をしっかりと早苗の背中に触れさせる。それから負けないくらいの力で抱きしめた。

「ああ、ただいま」


 早苗の体は相変わらず俺より一周り小さくて、それでも俺より少しだけ体温が高い気がする。

 一定のリズムで聞こえてくる鼓動の二拍子が、不思議と心を落ち着かせてくれた。気を抜くとずっとこうしていたいと思わせられてしまいそうで、それでもいいかな?という気持ちもあったりなかったり。

 彼女の体は、俺と違って柔らかくていい匂いがして、でもその匂いは彼女への気持ちを意識するよりも前から知っているもので……。


 彼女の言葉が、温もりが、音が、匂いが、小森 早苗の全てが包み込んでくれるような気がして、俺は今すごくしあわ……せ……――――――――。




「――――――――あおくん、寝ちゃったね」

 私はあおくんの体をそっとソファーに寝かせながら、堪えきれずに頬を緩める。

 変に隠そうとしたからか、笹倉さんに「ニヤニヤしすぎよ」と言われてしまった。でも、今ばかりは仕方ないと思う。

 今年になってから、丸1日あおくんと会えないなんてことはほぼ無かった。

 1年前と比べて私の好きって気持ちも大きくなったし、その分だけ……ううん、その何倍もそばにいられないことに対する喪失感みたいなものが膨らんでいて、自分でも驚くくらい心が落ち着かない。

 たった一日、24時間とちょっと離れていただけ。それなのに、あれほどまでに物理的な距離に苦しさを覚えるなんて……思ってもみなかった。

「幸せそうな寝顔ね。余程小森さんの抱きしめ心地が良かったのかしら?」

 そう言いながらあおくんの頬を撫でる笹倉さんを見ていると、考えたくなくても考えてしまう。


 あおくんは今、誰のことが好きなの?


 やっぱり笹倉さん?それとも他の誰か?もしかすると……私?いや、それは自惚れすぎかな。

 距離で言えば、私が一番近い。学校でも家でも、横にいるのはいつだって私。……まあ、学校では笹倉さんもいるけど。

 だけれど、今回あおくんが旅行に行ったことで気が付いた。

 物理的な距離なんて、いくらでも大きくなる時がくる。 そのタイミングで入り込まれたら、簡単にあおくんは奪われてしまう。

 私が主張してきたあおくんとの距離の近さなんて、恋愛をする上でなんの手札にもならないんだ。

「じゃあ、私はもう帰るわ。碧斗くんが起きたら、メッセージの1つでも送ってくれるように言っておいてちょうだいね」

 笹倉さんはそう言いながら、私の横を通り過ぎようとする。

「…………!」

 気がつけば、私は彼女の腕を掴んでいた。

「……何?」

 笹倉さんもさすがにここで敵意を見せるような人じゃない。むしろ、突然のことに少し戸惑っているらしかった。

 それでも、私の体を突き動かす感情を止めることは出来ず、自然と言葉になって口から溢れだしてくる。

「私、嫌だから……!」

「……何が?」

 笹倉さんは掴まれた腕を振り払うことはせず、ただいつも通りの声で聞き返した。

「決まってるでしょ……あおくんが笹倉さんに取られるのが嫌なのっ!」

 私の言葉に、笹倉さんは聞き飽きたという風にため息をつく。それから眉をひそめると、私のおでこを人差し指で小突いた。

「私が碧斗くんを取る?勘違いしているようだから教えてあげるわ。彼は元々私の彼氏よ、取ろうとしてるのはあなたの方じゃないかしら?」

「でも、私の方が前から好きで……」

「何度も言わせないで、好きに時間は関係ないのよ」

「うぅっ……」

 わかってる、わかってるのにそれしか言えることがない。いくら私があおくんのことを長く好きでも、笹倉さんは私と同じくらいあおくんのことを好きだ。

 そんな状況で時間の長さでマウントを撮ろうとしても、私がずっと告白できなかった臆病者だということをアピールしてしまうだけ。

 もしもそこに優劣を付けるとすれば、すぐに勇気を出せた笹倉さんが『優』で、ピンチにならないと動けなかった私が『劣』。

 結局、笹倉さんに勝っているところなんて何一つ存在していないのかも知れない。あるというのなら、逆に教えて欲しいくらいだ。

 運動もできない、頭も悪い、あおくんのそばにいると手を煩わせてばかり。彼を助けてあげられる笹倉さんのことが、ずっと前からすごく羨ましかった。

 羨ましくて努力しようとしたけど、どうすればいいのか分からなくて挫折して、それでもやっぱり力になりたくて……。

 何の役にも立たない私だけれどけれど、やっぱりあおくんのことが好き。絶対に取られたくない…………ううん、奪い取りたい。

 あおくんを私のものにしたい。私以外見れないようになって欲しい。私があおくんを必要とするのと同じくらい、あおくんにとって私も不可欠な存在になりたい。だから。


「私、そろそろ本気出しちゃうから」


 これは何度目かの宣戦布告。恋敵に不意打ちなんて卑怯な真似はしない。全力でぶつかって、全力で叩きのめす。

 二度と私の恋路の邪魔を出来なくさせてあげなきゃ。

「……せいぜい頑張りなさい。私は碧斗くんを離さないから」

 薄い笑みを浮かべた後、笹倉さんは部屋を出ていった。少しして、玄関のドアが開閉する音が聞こえてくる。さすが笹倉さん、私と違って最後まで余裕たっぷりだ。

 緊張感が解けて脱力した私は、あおくんの足元に腰掛ける。一部始終を見ていた茜ちゃんと葵ちゃんが、おそるおそる私に話しかけてきた。

「さなねぇ……少し怖かった……」

「早苗、兄貴のこと……本気で奪うつもりなのか?」

 怯えたように茜ちゃんの背中に隠れる葵ちゃん。私は彼女に「怖がらせてごめんね」と謝ってから、茜ちゃんの言葉に頷く。

「あおくんは私の全てだから。手に入らないくらいなら、無理矢理心中しちゃうかもしれない」

 冗談ではない。終わり方によっては、本当にそうなる可能性がある。それほどまでに、私はあおくんが好きだ。


 その本気度を肌で感じたのかもしれない。茜ちゃんは腕を擦りながら、苦笑いで「私じゃ叶わねぇや……」と呟いた。

 その言葉の本当の意味を、私はまだ知らなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る