天造ゲームズ 編その2

第220話 俺は顔を洗いたい

 昨日の夜は、鷹飛先輩がプレゼントしてくれた金色の腕輪を、早苗が鼻につけて「モーモー」なんてしたせいで寝るのが遅くなってしまった。

 そのため俺も早苗も、月曜日特有の重苦しい表情で学校に向かうことに……。校門あたりで会った唯奈からは、「昨晩はお楽しみでしたね」なんて言われる始末だ。


 いつまでもそんなゾンビみたいな顔をしている訳にも行かないので、男子トイレの手洗い場で顔を洗ってスッキリさせる。

 これでどうにか1時間目は眠らずに済みそうだな。

 ちゃんと持ってきたタオルで濡れた顔を拭き、教室に戻ろうと体を反転させる。……が、その瞬間俺は思わず後ろにのけぞった。

「おわっ!?」

 その拍子に腰を洗面台にぶつけたのが痛かったが、それよりも音もなく後ろに立っていた人物に、俺は驚きを隠せない。

「天造さん!?なんでここに……」

 そこに居たのは白衣を見に纏った天才少女、天造さんだ。どことなく表情が不満げに見えるんだが、何かあったのだろうか。

「先輩、最近私のゲーム遊びました?」

 顔を寄せるようにしてそう聞かれ、一瞬思考が停止する。ゲームというのは、天造さんが作ったハーフダイブゲームのことだろうか。

「あ、ああ……最近色々あったからやってなかったかもな……」

 俺の返事に彼女はやれやれと言いたげに深いため息を零す。

「データを取るために機材を渡してるんです。プレイしてもらわないと」

 言われてみればそうだったな。俺たちは単に楽しむだけでなく、テストプレイヤーとしての役割も持っているんだった。

「今日は放課後暇だから、帰ってからプレイするよ」

「約束ですからね」

 相変わらず表情は少ないが、怒っていることは何となくわかる。忙しかったとは言え、引き受けた手前申し訳ないことをしたよな。


 この埋め合わせはこれからのプレイで何とかさせてもらおう。


 そう心の中で呟いて、俺は教室に戻ろうと歩き出す。……が、扉の外から聞こえてきた男子生徒たちの話し声を聞いて、俺はふと足を止める。

 ……ここって男子トイレだよな。

 ゆっくりと後ろを振り返ると、当たり前だがそこには先程まで話していた天造さんの姿があった。

 もちろん彼女は女子だ。男子トイレとは、言わば男子の聖域である。

 ここでは、どんなに女子に嫌われるようなことを言っても、男子だけの秘密になるはずの場所なのだ。

 だが、そんな聖域に天造さんがいる。彼女があまりにも平然としていたせいで、すっかり抜けてしまっていた―――――――――。

「や、やべぇぇぇぇぇぇ!」

 女子が男子トイレの中にいることの異質さが。

 俺が声を上げたすぐ後、聖域への扉はゆっくりと開かれた。



「……あれ、誰かの声しなかったか?」

「気のせいだろ。そんなことよりさ――――――」

 扉の外から、変わらず声が聞こえてくる。だが、この扉は先程とは別のものだ。

 俺たちがいる場所、それは率直に言って『個室の中』だ。男子生徒が入ってくる直前、天造さんの手を掴んだ俺は、なんとかギリギリで個室に隠れることに成功した。

 ……しかし、個室とは本来1人で入る場所であって、2人には狭すぎたらしい。

 そもそもトイレの個室は単独で入り、オマケに便座に座ることを想定して作られているからな。そこまで広さは必要ないのだ。

「先輩、近い……」

「仕方ないだろ?人が出ていくまでじっとしていてくれ」

 だが、今の状況は2人とも立っており、その狭さゆえに体が密着した状態だ。普段は主張してこない彼女の女性らしい部分が、やたらと俺にアピールしてきているのを感じる。

 どうやら天造さんは着痩せするタイプらしい。意外にもいいものをお持ちなようで……。

「先輩」

 って、いかんいかん。後輩で変な妄想をするなんて、万死に値する罪だぞ。

 俺は首をぶんぶんと横に振って、その邪な妄想を振り払った。

「先輩」

「……ん?」

 耳元で呼ばれ、首を傾げる。

「どうしたんだ?」

 そう聞き返すと、どことなく顔の赤い天造さんはモジモジとしながら、目を泳がせた。

「えっと……その……」

 なんとも彼女らしくない姿だ。もしかして俺みたいにイケナイ妄想を……ってんなわけないか。きっと体勢がキツいのだろう。

「もう少しの辛抱だから、そのままじっとしていてくれ」

 俺はそう言って、そっと彼女の背中に手を回す。こうして支えてあげれば、あと少しくらい我慢できるはずだ。だが……。

「ひぅっ!?」

 彼女はなんとも女の子らしい声を上げ、俺の手を彼女自身の手で跳ね除けた。

 その声が聞こえたのか、外からは「ん?なんの声だ?」という話し声が聞こえてくる。

「わ、悪い。触られるのは嫌だったか」

 小さな声で謝ると、天造さんはそっぽを向いたまま「そうじゃないです……」と呟いた。そうじゃないというのはどういう意味だろう。

「せ、先輩……少しご相談が……」

「どうした?」

 目の前の人物は本当に天造さんなのだろうか。双子と入れ替わってたり……そう疑ってしまうくらい、今の彼女はらしくなかった。

「耳、塞いで貰えますか」

「あ、ああ……」

 俺は言われた通りに耳を塞ぐ。

「あと、壁の方を向いて貰えますか?」

「ああ、いいけど……」

 彼女は気付いていないのだろうか。この指示が聞こえている時点で、耳が塞げていないことに。

 まあ、逆らう理由もないので壁の方を向き、そのままじっとしておく。すると、背後で布の擦れる音が聞こえてきた。

 そして次に聞こえたのは、おそらく便器の蓋を開く音。それからそこに腰を下ろした時の軋む音。

「天造さん、まさか……」

「っ!?ちゃ、ちゃんと耳塞いでください!」

 バレたか……。天造さんは怒っているのか、軽く蹴ってきた。悪いのは俺なので素直に謝っておく。

 でも、まさかのまさかだよな。


 今、すぐ後ろにいる女の子が、トイレをしているだなんて。


 様子がおかしかったのは、尿意が催して我慢できなかったからだろう。誰だってトイレが漏れそうな時は、普段とは違う自分が出てくるものだ。

 俺だって早苗がトイレを占領した時、焦りからもう1人の碧斗が顔を覗かせたもんだ。

 まあ、俺の場合はそのもう1人が、限界まで我慢することの出来る悟りを開いたお坊さんだったわけだが……。

「先輩、聞こえてませんよね?」

「……」

 彼女の質問に、俺は無言を貫く。彼女を安心させるため……ではなく、俺の男としてのロマンのためだ。

 数秒後、背後からはチョロチョロという水分同士がぶつかり合う音が聞こえてきた。どこか控えめに感じるあたり、俺になるべく聞かれないように抑えているのだろう。

 視覚は閉ざされているが、それ故に研ぎ澄まされる聴覚。それで味わうこの状況というものが、なんとも俺の心をくすぐってきた。


 少しして、トイレットペーパーを巻く音、そして天造さんのため息、それから布の擦れる音が聞こえてきた。

 どうやら用が済んだらしい、トイレだけに。

「先輩、もういいですよ」

「ああ、スッキリしたか?」

「……聞いてましたね?」

 うっかり口にした言葉で、あっさりとバレてしまった。やっぱりいつも通りの天造さんに戻ると、そのあたりの感覚も元に戻るんだな。

 顔からも一切の表情が消え、まさに天才少女と言った感じだ。


 俺が盗み聞きしていたことを天造さんに謝りまくった後……。

「もう外に人はいないみたいだ、今のうちに出るぞ」

 彼女の手を引いて、俺は男子トイレを脱出する。これでさっきまでの緊張から開放される、そう思っていたのに……。


「あおくん、なんで天造さんと一緒に……?」


 俺を待っていた早苗と鉢合わせすることになるとは、思ってもみなかった。

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