第13話 趺喬の話

「ここやここや。荒れ放題の貧乏寺やが、住めば都ちゅうもんや。遠慮はいらんで好きに過ごしたらえぇ。」


趺喬の言葉に促され門らしきものをくぐった朱であったが、残念なことに趺喬の言葉は全く正しかった。かつて門だった構造物は破風板の瓦は殆どが割れ落ちて周り散乱したままになっており、かろうじて残った瓦も朽ちるに任せて風化して苔に覆われている。門扉は腐り落ちたのだろうか残されていない。壁もところどころにその名残が見えるのみで、敷地の境界はあやふやになっている。何年放置されたらここまで荒れるのか。廃墟より遺跡という言葉のほうが似つかわしいほどであった。

門をくぐって正面に大きな建物があるだけで、門から建物までの空き地は全て畑として使われているらしい。芋やら大根らしい様々なものが栽培されている。趺喬が寺と言い張らない限り、寺だとは判らない状態である。相変わらず飄々とした足取りで趺喬は建物まで歩いていく。朱は趺喬に手を引かれたまま大人しくついていく。朱の手を掴んだ趺喬の大きな手から広がる温かみは朱の心をくつろがせていた。朱は趺喬の飄々とした足取りを真似て歩いた。趺喬は玄関なぞ知ったこっちゃないわ。という風情でわらじを脱ぐと縁側に上がりこんで早々、ごろりと寝転がった。朱も趺喬を真似、紅葉のような小さい手を頬に当て、肘枕で横になる。趺喬は朱のこましゃくれた寝姿を見て満足そうに微笑んだ。どうやら、寺の本堂に面した縁側らしい。本堂とは言え、壇はあるものの、何もない。よくよくみると、縁側と本堂を隔てる襖もない。吹きっ晒しだ。


「わしと朱は長い付き合いになりそうだからの。わしの話もせねばならんの。わしゃの寺の倅として産まれたんや。でな。跡継ぎになるために修行に出された先で僧兵の訓練を受けた。槍や組討術を習ってみたら性に合ってなぁ。同い年ぐらいの仲間内ではわしに勝てるやつはおらんくての。毎日が楽しかったで。それである戦に駆り出された。わしは仏罰を下してやるわ!などとアホなこと言うて勇んどっての。今思えばわしはなんもわかってへん、ただのアホガキやった。わしの本名は鉄心いうんやけどな。よっちゃんと呼んだ幼馴染がおってな。よっちゃんはわしのことをてっちゃんと呼んでな。ちんちんの比べっ子をするぐらい仲のええ兄弟のような感じやった。ところがなんとそのよっちゃんとな。大雨がザンザン振りの戦場でばったりや。わしもよっちゃんも呆然としとったわ。お互い固まったまま、よっちゃん、てっちゃんてな感じでな。次の瞬間仲間の槍がな、よっちゃんの頬からこめかみを貫いたんや。驚いたようにわしを見よる、よっちゃんの目ぇが未だに忘れられへんわ。わしはいつの間に叫んどったわ。ただその場につったってな。皆が殺し合いしている戦場でな。今考えるとアホやと思うわ。で、喉が枯れるまで叫んだわしはその場に槍を放り投げて、踵を返したんや。槍を捨てた時、わしは全てを捨てたんや思うわ。命も家族も全てや。なんやもう全てのことがどうでもようなってな。どれ位歩き続けたかもわからへんわ。気づいたら雨もやんでおってな。腹がぐうとなった。その音を聞いてわしは腹がたったんや。大好きなよっちゃんが死んだというのに、ぐうやないわ!と思ったわ。そんで、何もすることのないわしは、そのまま歩き続けたわ。で、暗くなってまた明るくなったあたりで目を回して倒れてしもたんや。あんさん、あんさん、と呼ぶ声が聞こえてわしは正気に戻ったんやが、呼んでたのは通りがかりの婆さんやったわ。蒸した芋を差し出されてな。食えと。婆さんは事情も知らんし何にも悪くないからな。わしは礼を言うて婆さんと別れた。なんや照れくさい気がしてな。そんで、芋を囓ってたんだが、喉が詰まってなぁ。息もできんで苦しゅうてな、そのうちしゃっくりがとまらんくなってな。死ぬかも知らんと思ったわ。慌てて歩いておった山道を水場を探して走り回ってな。やっと湧き水を探して飲んだときの旨さがなぁ。旨すぎて死ぬかと思うたわ。でな。家族も命もいらんと投げやりになったはずなのにな。というかこれが本当の投げ槍よなぁ(笑)投げやりになったはずなのにな、腹が減ったら芋も食うし、喉が詰まって死にそうになれば命が惜しくて走って水を探すし、見つけた水を飲んでみたら死ぬほど美味いと思うしな。なんや馬鹿らしくなって、笑いだしてなぁ。ひとしきり笑いころげておったら気づいたときには泣いておった。よっちゃんよっちゃんと言いながらわんわん泣いた。気が済むまで泣いたらな、なんやさっぱりした気分になってな。そいで、この寺を見つけて住み着いた。その時な。わしは決めたんじゃ。もうなんもやらんと。極力なんもせんで生きていこうと。とは言え、人間食うていかねば死んでしまうやろ。最初は山芋掘ったり茸取ったりして凌いどったが、そのうち畑もやりだしてな。今じゃ敷地を全部耕して色々作りよるわ。だからな。わしのやることは、畑仕事と、山で薪集めと、水汲みと。掃除もやらん!このお気に入りの場所だけ雑巾がけするくらいや。雨の日は雨を眺め。晴れの日は日に当たり。そうやってもう二十年以上一人でおった。で、たまに托鉢に回ってな。頼まれたら説教もする。そうやって小銭を集めてな。山で取れたしいたけを干したやつとかな、金になりそうなものを持って街に出て売って最低限のものを買うて帰ってくる。今日もたまたまそうやって街から帰る時に朱にあったんや。」

「そうやったんやー」


ひどく間延びした声が、朱が心底寛いでいるのを物語っていた。朱がこの空間に馴れて来ていることを嬉しく思いながら趺喬は続けた。


「まー、わしの話はこんなもんや。話しきれてへんことは、おいおいな。でや。これからは、朱がこの世界で生きていく楽な方法ちゅうもんを考えていかなあかん。当分の間はわしの血を飲んでおれば大丈夫やろ?こんなおっさんの血やけど我慢しいや(笑)朱は外見は変わらへんのやろ?」

「そうやねー。今の所、変わってへん思うわ。」

「問題はそこやな。朱のことは戦で親を失った子を育てとる。といえば周りは納得するじゃろう。やけど、何十年経っても成長せえへんとなれば、怪しむものも出てくるかもしれへん。やから、なるべく他の人間との接触は避けぇ。寂しいやろうけどな。我慢せえ。それで、ぬしも畑仕事とか手伝おってや。」

「わかったわ。うちは手伝いが上手いってよくお母はんに褒められたんや。うちは力持ちなんやで。畑仕事も薪拾いも任せてやー。」

「おぉ、そうか。それは頼もしいのぉ。わしは朱と出おうて、ほんまによかったわ」


朱は気持ちが楽になるのを感じていた。今まで拙い倫理観で、長いこと自分を責め続けてきたのだ。それが急に趺喬に出会って、五十年ぶりに笑い、五十年ぶりに人に触れ、五十年ぶりに屋根の下で寛いでいる。人を殺めずとも生きていく方法がわかったし、趺喬に自分の存在を喜んで貰えている。そうや、この気分は懐かしいで。お母はんやお父はんに褒められたりした時に、この気分にようなったわ。朱は人間だった頃の記憶を笑顔とともに思い浮かべた。

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