うっかりさんですエルフさん

「いやな天気だな」


 僕は弁当箱を片手に、窓の外を見上げた。朝はあんなに晴れていたというのに、今はもうすっかりと灰色の雲に覆われている。


「……天気予報が当たりそうね」


 真木さんが溜息をつきながら、卵焼きを口に運ぶ。


「夕方の降水確率ってどんなだっけ?」


「えっとね……あーやばいね、結構降りそうかも」


 そう言って宮原さんが、手に持ったスマホを見せてくる。青い傘のマークがパタパタと雨に打たれているアニメーションが恨めしい。


「寒くなりかけの時期の雨は嫌だなー」


「雨に濡れて風邪なんかひかないでよ、弓塚」


「何で傘忘れてる前提なの、真木さん。ちゃんと持ってきてるよ。というか、こういう怪しい天気の時に傘忘れてくるうっかりさんいたら逆に見てみたい」


 僕が真木さんにそう言葉を返したときだった。


「そ、そうだね。うっかりさんだね」


 ……江藤さん。


 ちらりと視線を横に向けてみれば、卵焼きを幸せそうにモグモグエルフしてた江藤さんが、挙動不審になっている。


「江藤さんもそう思うよね? 傘忘れるなんて信じられないよね?」


「うん、そ、そう思う、よ?」


「やっぱり。江藤さんはしっかり者だから傘なんて忘れるはずないよね。さすが江藤さん」


「え、えへへ」


「時々、弓塚って意地悪な時があるわよね」


 真木さんがぽつりと漏らした声は、焦って誤魔化し笑いしている江藤さんには聞こえない。意地悪ではないです、愛でてるだけ。


「……ごめんなさい、忘れました」


 途中で江藤さんがペコリと頭を下げる。ペコリ可愛い。


「……非常用の置き傘って余ってたかしら?」


「どうだろ、この天気じゃもう残ってないかもね」


「とりあえず、放課後考えましょ。もしかしたら、降らないかもしれないし」


「そうだね」


 天気の話はそこで終わり、文化祭の準備の話に移っていく。


 大丈夫かな、と江藤さんが外を見ながら呟いた。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


「大丈夫じゃなかったー」


 昇降口で江藤さんが悲しい声を上げた。


 午後から降りはじめた雨は思いのほか強く、放課後いつもの勉強が終わって帰ろうとした時も止みそうな気配はなかった。


「これは傘なしじゃ無理そうだね」


 傘立てに置いていた自分の傘を開きながら、江藤さんに声をかける。


「江藤さん、帰ろうか。いつもの公園までは、とりあえず僕のに入っていこうよ」


「いいんですか?」


「うん、江藤さんを雨から守るのが今日の僕の使命だよ」


「……ふふー、なんかその言い方騎士っぽいです」


「そうかな」


 笑いながら江藤さんが僕のさした傘の中に入ってくる。江藤さんには何でもない風に見えているであろう僕の脳内は、今「相合傘」というキーワードで埋め尽くされています。「相合傘」で埋め尽くされたい人生だった。

 例え今夜グループ会議で非難を浴びようとも後悔はない。死んでもいい。死なないけど。


「濡れないように気を付けてね」


「はい」


 江藤さんが僕を見上げながら、そっと身体を寄せてくる。


「あ、あの、ちょっと雨が肩にかかりそうなので! 風邪ひいたら駄目なので!」


「う、うん」


 照れくさそうに言う江藤さん可愛い。えーと、今日の運勢なんだったかな。もしかして「幸せ死」とかフラグたってない? 大丈夫、僕?

 心臓の鼓動が激しい。

 寒くなりかけの時期の雨って最高ですね。これはもう365日雨にすべきでは?

 いつもの帰り道、雨が降っているせいか時間が流れるのが遅く感じる。雨を避けているこの空間が、なぜか周囲に誰もいない二人きりのような感じがして、すごい。


「あのね、弓塚君。思うんだけど」


 江藤さんが雨を見上げながら目を細めて言う。


「不思議だよね、なんか傘の下って外なのに外じゃない気分」


 そして僕を見上げる。


「こうやって話してるのも内緒話してる感じしない?」


「……そうだね」


 僕は、思わず漏れてくる笑みを止められなかった。自分がふいに思った事と同じような事を考えていた江藤さんに、わけもなく嬉しさがこぼれた。


「僕も同じ事考えてた」


 僕の返事に、江藤さんも嬉しそうに微笑んだ。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 雨が降り止まないまま、いつもの公園までやってきた。雨足は弱くなることもなく、傘から出た途端にずぶ濡れになってしまいそうな、そんな雨だ。


「これはちょっと、ここで別れるのは無理そうだね」


「そうだね、悪いけど、もう少しつきあってもらえると……あ!」


 江藤さんが、キョロキョロと周りを見て、何かを見つけたのか声を上げた。

 コツコツと、音を立てながら誰かが近づいてくる。


 雨の中、傘をさした長身の女性が近づいてきた。手には、若草色の傘を一本持っている。


「ララーシャ! ……じゃない!」


 近くまで近づいてきた女性の顔を確認して嬉しそうに声を上げ……失言に気付いたのか、江藤さんはゴホンゴホンと誤魔化した。


「ララ~ララ~シャ~って踊りたくなるぐらいにビックリしたー。迎えに来てくれてありがとう、ララ姉さん」


 江藤さんのその手をグネグネしながらの誤魔化しに超ほっこりしながら、目をほそめて豪快にスルーする僕。うーん、さすがに厳しいけど「ララ~」とあくまで誤魔化し続けるエルフ超かわいい。にっこり笑って僕もその手つきを真似していると、江藤さんが恥ずか死しそうなほど顔真っ赤になった。かわいい。


 ララと呼ばれた女性はひどく警戒した表情で僕を見ていたが、僕が江藤さんの失言を全力スルーしている様子をみているうちに何かが変わったのだろう。そのうち申し訳なさそうに、軽くこちらに頭を下げてきた。いえお構いなく。


「……エル、傘忘れちゃダメでしょう。風邪をひきますよ。濡れて帰ってくるのかと思いました」


 そう言って女性が傘を江藤さんに渡す。江藤さんと同じような金髪が、さらりと肩を流れる。雨で軽く湿気ていてもおかしくないはずなのに、彼女の髪の毛は不思議と乾いていた。まるで雨が彼女の周りを避けているように。


「あなたはエルのお友達ですか?」


 女性が僕に語りかける。


「はい、弓塚と言います。クラスメイトです」


「私に日本語の読み書きを教えてくれてるんだよ。いつもね――」


 江藤さんが紹介してくれているのを聞きながら、女性の様子を窺う。身長が高めの金髪女性。少しほっそりとはしているが、なぜだろう彼女からは何か力強さといったものが感じられる。


「そうでしたか。あなたが、エルの読み書きを……」


 そして女性が頭を下げる。


「江藤ララと言います。エルの姉です。いつも有難うございます。エルが、こんなに早く文字を覚えるなんて思ってもみなかったものですから不思議に思っていました」


「それはひどくない?」


 江藤さんが不満そうに頬を膨らませる。プクーエルフかわいい。


 ほっぺたを指でつついてやりたい衝動を堪えながら江藤さんを眺めていると、女性が僕の様子を見て、すこし眉を下げた。それは、見間違いかもしれないが微笑んでいるような気がした。


「じゃあ、そろそろ帰ります。江藤さん、また明日ね」


「うん、有難う弓塚君! また明日」


「有難うございました」


 江藤さんと、ララと呼ばれた女性が、雨の中を歩いていく。ララさんに何事か話しかけている江藤さん。その顔は、ひどく楽しそうだった。普段からの仲の良さが、その様子からにじみ出ていた。


 二人の傘が小さくなるまで僕は見送った。


「彼女も……エルフなのかな」


 まるで普通の外国人のように違和感なく溶け込んでいたけれど、江藤さんの関係者であるのなら、やはり彼女もそうなのだろう。


 僕が何気なく呟いて、踵を返そうとした時。


「……あ」


 ララさんが、こちらに振り向いた。まるで、僕の小さな呟きが聞こえたように。そして、僕を観察するように。彼女はチラリと僕を見つめたような気がした。










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