第3話 南楓と下校

「そういや今日は計算でも誤ったのか? いつもチャイムの一分前に教室に入ってくるのに、今日は珍しく遅刻してたじゃねえか」


 昼休憩に二人で昼飯を食べている最中、神崎かんざきは笑いながら訊いてきた。計算なんてしているつもりはないんだけど。


「色々あってな。俺の穏やかな高校生活が終わりそうなんだ……」

「な、なんか深刻そうだな……。いつでも相談に乗るからな……」


 神崎とは高校に入ってから知り合い、すぐに意気投合した。隣の席になったのがきっかけで、話し始めた。級友というよりは悪友と言うべきかもしれない。

 

 高校生活を楽しめているのは、神崎のおかげでもあるので、感謝している。口には絶対出さないけど。


「──相談。したいけど、多分すぐに色々バレ始めるから、そしたらちゃんと言うよ……」


 南との付き合っているフリは、そう長く続かないんじゃないか、と思っている。全校生徒を騙し続けるなんてそうそう上手くいくことではない。


 一ヶ月バレなければ、いい方だろう。


「バレるってなんかやらかしたのか? 痴漢?」


 俺を何だと思ってるんだ。健全な高校生なので、法に反するようなことはしていないし、する予定もない!


「違う。まあ、放課後になれば少しわかると思うよ」

「放課後?」



 本日の授業は全て終わり、ホームルームが始まった。今日も特別な報告ごとはなく、「授業をおろそかにした奴は落ちる」とか「お前たちはすでに受験生なんだ!」とか、自称進学校にありがちな言葉を聞かされていた。


 そりゃあ、勉強しないといけないことくらい全員わかってるはずですよ。けれど、入学してまだ一ヶ月。

 二ヶ月前に受験が終わったばかりなのに、この時期から大学受験を見据えて、モチベーションを高めるなんてできるわけないと思うんですよね。一般的な高校生なら。


 ペン回しをしているクラスメイトくんや隣の席の子とヒソヒソ話すクラスメイトさんを見ると、自分以外にもまだまだ響いていない学生がいることがわかり、謎の安心感が生まれる。いつか危機感に変わる時が訪れたら、意識が変わるタイミングなのだろう。いつ訪れるのかわからないけど。


 心の中で、ちょっと先生に反抗していると、ホームルームは終わった。

 帰宅準備は完了していたので、俺は教室を出るため、立ち上がった。立ち上がるのと同時に、外から教室の扉が開かれた。


「悟〜! 会いに来たよ〜!」

 

 満面の笑みを浮かべた南が、こちらに手を振りながら近づいてくる。教室にいる誰もが聞き逃すはずのない大きな声だったので、彼女の方へ視線が集中した。そして、数秒後、何人かの視線は俺の方へ移った。


「一緒に帰ろっ!」


 そう言って、俺の袖を掴んで、教室の扉へ向かって歩き始めた。俺は引っ張られるまま、歩を進めるしかなかった。


 教室中が静まり返っていた。誰も声を発さず、南の声だけがよく聞こえた。神崎も口を開けて、マヌケ面で俺が引っ張られる姿を見ていた。

 そんな表情になっても仕方ないよな……。俺が痴漢した時よりも驚きは上回っているのではないだろうか。


 扉を閉めると、「ええええええええ」という本日二度目の驚嘆の声が、教室から聞こえてきた。みんなの反応何一つ間違ってないよ……。

 内心半泣きになっている俺とは違い、隣の美少女は満足げな表情を浮かべていた。俺を困らせるためにやってるのか?と思えるほど、怒涛のカップルアピールだった。


 彼女に身を任せていると、いつの間にか正面玄関に着いていた。廊下ですれ違った数人は、目の前で校内一の美少女と思われる南楓に連れられて歩く俺のことを関心の対象として見ていた気がする。

 中には、現実で起きている出来事と捉えられず、お互いの頬をつねってる女子二人組もいた。ちょっと失礼だけど、気持ちはわからんでもないよ。


 靴を履き替えるタイミングでやっと、俺の袖を放してくれた。履き替えた後、再び掴み直したけど。

 下校中の先輩と思われる人も、俺たちのことをジロジロ見ていた。南の彼氏になるというのは、これだけの注目を浴びることだったのか……。もっとスタイルの良いイケメンが彼女の隣を歩いていたら、良い意味で注目の的になっていたかもしれない。お似合いのカップル!とか思われそうだ。


 俺が隣を歩くことで、すれ違う人たちを困惑させていることがわかる。


 校門を出ても、南は演技を続けた。終わりが見えなかったので、俺たちが再会した公園に入るように促した。


 幸い、公園は無人だったので、演技から脱することができる。


「お前、どういうつもりだよ……」


 俺のことをもう少し考えて行動して欲しかった。その怒気が言葉にこもってしまった。


「みんなを騙す演技だよ! どうどう? 上手くいったんじゃない?」

「もっと普通に演技できないの?」

「普通? ハリウッド級の演技をしたつもりなんだけど?」


 クラスメイトには付き合っていると思わせられたかもしれない。けれど、あんな不自然な登場シーンを披露したら、翌日の学校で質問攻めにあうに決まっている。

 仲が良いのではないかと噂されるレベルから徐々に「あいつら付き合ってんじゃね?」くらいの方がザワつきはマシだったと思う。


 南は明らかに過程をすっ飛ばしすぎた。小学校卒業後いきなり大学に入学するくらい飛びすぎている。

 俺にはそんないきなり対応できるような経験値はないし、きっと大半の人間は俺と同じ反応になるだろう。


「そんな頭の弱そうな喋り方にしなくても良かっただろ。もっと南のイメージに合った振る舞いをしてくれ」


 俺が言うと、彼女は「なっ!?」と言い、考え込んだ。顎に手を当てて。


「もしかして……。私、おかしかった?」


 俺を困らせるためにワザとやっていたわけではないのか?


「うん。バカップルみたいだった」


 俺との温度差は激しかったと思う。


 彼女はタコのように顔を真っ赤に染め、恥ずかしがっているのがよくわかった。彼女は「え、どうしよ」「私は騙されたんだ」「あの漫画許さん、ゴミ箱行き」と、時折物騒な言葉を交えつつ、早口で独り言を俯きながら、つぶやいていた。


 深呼吸し、まだ紅潮が消えない顔をこちらへ向けた。


「き、昨日ね、いきなり彼氏になって欲しい、なんて頼んでおいてなんだけど、私が恋人ってどういうものなのかがわかってなくてさ……。それで、公園で別れた後、本屋で少女漫画を数冊買って、勉強したんだけど逆効果だったみたい……。困らせちゃって、ごめん」


 今度は申し訳なさそうに俯き、言った。そんな表情されて、許せない男は地球上にいないと思う。俺の怒りは腹の奥底に消えていった。

 彼女なりに本気でバレないように努力していたのだろう。チョイスは悪かったようだけど。あれ? わざわざ漫画を買って、勉強するってことは……。


「南……中学の時、彼氏とかいなかったのか?」


 俺たちは別々の中学校だったので、三年間何があったのか詳しく知らない。


「彼氏? いなかったよ」

「なんで?」


 反射的に口から出た。これだけモテるのに付き合っていなかったのか? 小学校の時も彼氏の存在は耳にしたことがなかったので、恋愛経験にかなり乏しい説が浮上してきた。


「なんでって言われても……。何回も告白されたけど、好きになるような人は一人もいなかったんだから、しょうがないじゃん」


 俺は彼女のことを少し勘違いしていたのかもしれない。今まで、弱みを握り、男を手玉にとってきたのかと思っていたが、どうやらそういうわけではなさそうだ。

 彼女には彼女なりのポリシーみたいなものがあるのだろう。彼女はまだ人を好きになったことがないのかもしれない。彼女ほどの容姿があれば、好きな人を落とすくらい難しいことではないはずだ。


「そうなんだ」

「悟はどうなの。中学の頃とか彼女いたの?」

「俺に彼女がいた時代なんて、当然ないよ」


 言ってて悲しくなるけれど、まだ高校生だし、セーフだよね? 違う?


「彼女ができるといいね」

「南と付き合ってる演技をやめるまではできそうにないけどね。当分できなさそうだよ」

 


 談笑した後、連絡先を交換し、公園の前で別れた。


 南との演技はいつまで続くのだろうか。俺の意見が通るとは思っていないので、彼女の気がすむまで付き合おう。彼女が本気であることもわかったし、やると決めたら、俺もバレないように振る舞い続けるつもりだ。手紙のこともあるし。


 でも、事実と異なるとは言え、南は俺なんかが彼氏役で良いのだろうか? 隣にいるのがこんな全てが平均的な奴でも良いのだろうか?

 これ以上、自虐してもブルーになるだけなので、この辺で自問するのはやめよう。


 そういえば、明日の朝、一緒に登校するのかを訊きそびれた。連絡先を交換しておいて、助かった。

 俺は早速、南に向けて、メッセージを送るためにトーク画面を開いた。文字を打とうとした瞬間、彼女の方からメッセージが届いた。


『明日迎えに行ってもいいかな……?』


 どうやら同じことを考えていたようで、笑みがこぼれそうになった。野外で突然、ニヤニヤしてる人物がいたら、不審がられるのでなんとか堪えた。

 学校でのことがあったから少し躊躇しているのかもしれない。


『別に構わないよ 明日はもう少し早く準備しておくよ』と彼女に送った。

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