第二章 『赤銅色の奴隷姫』
第42話 プロローグ ~赤銅色の奴隷姫〜
そこは巨大な浴室だった。
石造りの広い空間に円柱形の柱が立ち並び、その中央に直径20mほどの円形の湯船がある。 そこに使われている石材は、どうやら大理石のようだ。
壁際には何箇所か土が盛られている場所があり、見慣れない南国の樹木が植えられている。
「姫さま…… そろそろお時間です」
浴室の入り口に待機していた侍女の一人が声をかけると、もうもうと湯気の立ち込める湯船から、ひとりの少女が立ち上がった。
年の頃は12〜3歳くらいだろうか、赤銅色の美しい肌に見事な長い黒髪。 どこか悲しげな黒い瞳は、よく見ると金色の美しい虹彩が混じっている。 ほっそりとした体型は年齢からくるものだろう…… まだ丸みを帯びておらず、申し訳程度に蕾のような乳房が盛り上がっていた。 まるで神殿の彫刻のような美しい少女だった。
「そうですか…… わかりました」
そのまま裸身を隠す事もなく控えている侍女たちの方へ歩き出す。
侍女の一人が手にした布を広げて、少女の身体を丁寧に拭き始めた。
そのままされるがままに髪を梳かれ衣服を着せられていく。
その異様な下着が慎重に取り付けられる時も、少女の表情に変化はなかった。
──それは貞操帯と呼ばれる物だった。
一度取り付けると特殊な鍵がなければ外せない。 その鍵は、この侍女たちにも渡されてはいなかった。
赤銅色の肌が透けて見えるような薄いシルクのドレスに、金の首飾りと耳飾り、腕輪にベルトのバックル、小さなティアラも黄金で揃えられていた。
少女は浴室を出ると、外で待っていた衛兵たちに先導され天井の高い廊下を進んだ。
すぐ後ろから侍女達と別の衛兵もそれに続く。
いくつかの角を曲がり階段を登るに度に付き従う衛兵の数は増えていった。
やがてその行列は大きな扉の前に辿り着いた。
それは謁見の間だった。
ヴェルトラウム大陸の中央を南北に走り、人の勢力圏を事実上東西に分断しているザントシュタイン山脈。
その西側には広大で歴史も古いツェントルム王国が広がっている。
しかし東側では、近年アウレウス帝国が近隣の小国を侵攻、併合を繰り返し急速にその領地を広げているのだった。
重苦しい音を響かせながら開いた扉の先にいたのは、アウレウス帝国皇帝、アウルム・アルゲンテウスその人だった。
巨大な背もたれの際立つ玉座に座り、超然と訪問者を見下ろしている人物。 猛禽類を思わせる鋭い目付きの壮年の男性、皇帝アウルム・アルゲンテウスは眼下に
「本当に行くのだな…… ラウラよ……」
ラウラと呼ばれた少女は、顔を上げ皇帝と目を合わせた。
少女の名前は、ラウラ・フロイデ・アルゲンテウス…… アウレウス帝国の第17皇女である。
しかし彼女は目の前の男、皇帝アルゲンテウスの実子ではなかった。
今を去る事7年前…… 帝国の侵略を受け併合された小国があった。
かつて彼女はその国の王女だったのだ。
父である国王は戦に倒れ、母親は敵である皇帝の第九皇妃となった。 国と夫の仇である男の妃となる屈辱を誇り高い彼女が甘んじて受け容れたのは、他ならぬラウラのためであった。
王妃は西方の少数民族、ルベール族の血を引いており、美しい赤銅色の肌とその容姿は吟遊詩人の唄になるほどの美貌であったと言う……
実は皇帝が
その王妃も心労からであろう数年前に病に倒れ、ついに先月還らぬ人となった。
ラウラは形式上皇女という事になっているが、正室側室の産まれに関わらず、他の皇女たちとは一線を引かれる存在であった。
彼女は他の皇族とは隔離され、常に監視が付けられて軟禁されていたのだ。
いずれ時が来れば、彼女には過酷な運命が待っているのだろうと誰もが予感していた。
ゆえに人々は彼女の事を『赤銅色の奴隷姫』と呼んだ……
「はい…… 母も亡くなり、私も来年には14歳になります…… この身が自由である内に、最後にお祖父様にご挨拶したく存じます……」
皇帝は薄く
(自由……か 笑わせおるわ……)
「お前の祖父、アインドルク侯爵だったか…… その者はツェントルム王国の貴族である。 この時期にお前が王国領に向かう事の意味が分かっておるのだろうな……?」
「いえ、父上…… 私には
(嘘を付け…… この娘の母親も全く食えない女だったが……)
「まぁ、よかろう…… 好きにするがよい」
少女は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、父上…… いえ、皇帝陛下」
「もう行け…… 儂は忙しい」
皇帝は、
少女はもう一度深く頭を下げると、ゆっくりと立ち上がり、そのまま数歩下がってから後ろを向いて歩き出した。
流れるような優雅な所作だった。
その後ろ姿を見送りながら皇帝は思った。
(あの女の娘だ…… もう数年したらさぞや美しく育ったろう……)
上気した赤銅色の肌に浮かぶ珠の汗……
そこから立ち昇る甘い汗の匂い……
(しかしあれの命一つで大義名分が掲げられるなら、
少女の姿が扉の向こうに消えてから、彼は誰にともなく声をかけた。
「心配だ…… もし王国領内で、
「仰せの通りで」
玉座の背後の暗闇から低い声が響いた。
「それでは頼んだぞ……」
「お任せを」
その背後の暗闇から音もなく気配が消えた。
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