第26話 〜鬨の声(ウォークライ)〜


 禿頭とくとうの大男【純白のヴァイス】は、両手で大剣ツヴァイハンダーを持ち上段に構えた。

 気迫が充分にみなぎり、手足の先、剣の切っ先にまで神経が集中しているのが素人にさえ分かるようだった。

 対するユリウスはと言うと、右手に短剣を握ったままだらりと両腕を垂らしている。


「いいかお前ら、手を出すなよ! 邪魔が入らねぇようにそっちのを三人で囲っとけ! こいつを片付けたら、全員でそいつを生け捕りにするぞ!」

「オーケー…」

「了解だ、リーダー」


 そいつと言うのは当然メナスの事だ。


(メナス、これからオレは音が聞こえなくなる。 何かあったら下の二人を頼むぞ)


 ユリウスが【念話テレパシー】を使った。


(あ、やっぱり【思考加速ブレイン・ブースト】は使うんですね… どうするつもりかと思った)

(それくらいはいいだろ… こんなヤツら)

(了解でーす)


「シンっ! どうしたの! どうするつもりなのっ⁈」


 フィオナが叫んだ。

穴の底からは上がどうなっているのか様子を伺う事は出来ない。


「どうした? かかって来い!」

「いや無理でしょう… リーダーが相手じゃ」


 投網を片手にした男がチャチャを入れる。


「そちらからどうぞ」


 ユリウスは肩をすくめて無感情に答えた。

 まるで今からゴミを捨てに行くくらいの気軽さで…

禿頭とくとうの大男が静かに目を細める。


「ぜあぁっ…‼︎」


 次の刹那、男は大上段から一気に間合いを詰め斬り掛かってきた。


(【思考加速ブレイン・ブースト】‼︎)


 その瞬間、ユリウスの世界から『音』と『色』が抜け落ちていった。


 ゆっくりと男の大剣が振り下ろされてくる。

 さっきまで、5mは先に立っていた筈なのに、もう切っ先が目の前に迫ってきていた。

恐ろしい程の踏み込みだ。

 とてもまともな回避は間に合わない。

ユリウスは体を半身にし、紙一重でその刃を躱した。

 鼻の先ほんの数mmのところを凄まじい剣風が掠めてゆく。


ギャイイイィ…ンッ‼︎


 ヴァイスは渾身こんしんの【ひとつの太刀】がまさか【D-】判定の志願者に見切られるとは夢にも思わなかった。

 鋼鉄製の大剣をしたたかに床に打ち付けてしまう。

 ほんのついでと言った気軽さで、ユリウスは彼の右腕に短剣で切り傷をつけてから後ろに跳んだ。

 指でなぞるような、ほんの浅い傷だ。


 4人の男たちは驚きに目を見開いた。


「貴様… この俺の【ひとつの太刀】を… かわしやがったな…っ!」

「シン! シン! だいじょうぶなのっ⁈」


 フィオナが懸命に叫ぶ。

その時、ヴァイスが自分の腕の刀傷に気付いた。


「き… 貴様ぁぁぁ…っ 絶対に許さねぇっ!」


 しかしその声はユリウスには届かない。

無表情のまま無言で手招きをしてやる。


「ずあぁっ…‼︎」


 禿頭とくとうの大男は大剣で突きを繰り出した。

 さっきより距離は短いが、最初から注視していたので容易に避けられた。

 その剣先が彼の避けた方に変化してくる。

さらに後ろに跳び、横にぎ払う攻撃を躱した。


 刃が通り過ぎた後、間髪入れず男に近付き攻撃しようとするが、その大剣は信じられない速度で反転し襲いかかってきた。

 凄まじいまでの膂力りょりょくだ。

ユリウスは打つ手がなく、目の前にあった男の右膝を踏み台にして間一髪後方に跳んで離脱した。


 2回ほど転がって落とし穴の脇に立つ。


「こいつ… リーダーの【燕返ツバメがえし】まで躱しやがったぜ…」

「どんな反射神経してやがんだ…」


 盗賊シーフ猟兵スカウトの男が驚愕した。


「うるせぇっ‼︎ 黙って見てろぃっ‼︎」


ヴァイスが吠える。


「なに… 一体上はどうなっているの…? シンさんが、あの男と… ヴァイスと闘っているの…?」

「わかんないよ…! わたしだって…」


 穴の底でふたりの女性は裸で身を寄せ合って震えていた。

 その時ヴァイスは大きく息を吸ってのけ反る姿勢をとった。


『ウオォォォ… オォォッ オォォッ‼︎』


 けたたましい叫び声が洞窟にこだまする。

 それは狂戦士バーサーカーのスキルのひとつ、鬨の声ウォークライだった。

 パーティの仲間には【戦意高揚】の効果を、敵には【威圧と萎縮】の効果を与えるという戦闘補助スキルだ。


 洞窟全体が震えるかのような大音響に、ルシオラは耳を塞いでうずくまった。

下腹がかき混ぜられるような不快感…

 あまりの恐怖とおぞましさに、ルシオラは緑の粘液の中で失禁してしまった。


 しかし、ユリウスとメナスには効果がなかった。

前者は音の無い世界にいるがゆえ…

後者は【タイタンの幼女チタニウム・ゴーレムの少女】ゆえに…


「貴様… この俺をコケにした事を後悔させてやるぞ!【狂戦士バーサーカー】を発動させると女どもまで殺しちまいそうだから使えないのが残念だけどよ… この世の地獄を味あわせてやるぜ…」

「まだそんなコト言ってるの? わっかんないかなー…? まだ全然本気じゃ無いじゃん、ボクのお兄ちゃん?」


 メナスがつい反応してしまう。 もっとも降参しても見逃す気は無いし、ユリウスには聞こえてすらいないのだが…


「うるせぇっ! ガキはそこで大人しく待ってろっ‼︎」


 ヴァイスはユリウスに向かって踏み込んだ。

小さい剣撃の連打で小刻みに牽制してくる。

 さっきの雄叫びとは裏腹に細かく冷静な剣捌きだった。

だがそれらはことごとくユリウスに躱されていた。


 何度目かの剣撃を躱した時、相手の懐に入ったユリウスは短剣で斬りつけようと一歩踏み込んだ。

そのタイミングを待っていたのか、ヴァイスは片膝をつき大剣の石突きの部分で足元を狙ってきた。


(そんなコトも出来るのか… 流石は【S-】と言ったところか…)


 ユリウスはスローモーションで迫るその剣の、まさに石突きの部分を踏み台にして上へと跳んだ。 がら空きの上半身を攻撃するためだ。 だがそれこそがヴァイスの狙いだったのだ。


 そのまま手首を返し、宙に舞うユリウスに真下から大剣の刃が襲いかかった。


「【脛砕き・天翔燕返あまかけるメバメがえし】‼︎」


 本来は、出足を挫いてから相手の上半身を両断するヴァイスの必殺技だ。 だが、この技の恐ろしいところは反応して上に逃げた相手が絶対に回避出来ないという派生技を持つところにあった。

 いくら体感速度を遅くしていても、空中では身をひるがえして躱す事は出来ない。 完全に油断した。

 流石に【S-】ランクの実力を侮り過ぎたか…


 幸か不幸か石突を蹴って宙に跳んだ時に置き土産・・・・をしていたため、ユリウスの身体は少しだけ斜めに傾いていた。


 ユリウスは迫り来る大剣を出来るだけ引きつけてから、わずかに見えるその刃の側面を全力で蹴った。


 彼の身体は剣の勢いも加わり激しく空中を弾き飛ばされた。 5m以上離れたところに落下してそこからさらに何mも転がる。

 今度は流石にダメージがあるかも知れなかった。

 片膝をついたまま、信じられないといった表情でヴァイスは目を見開いていた。


「信じらんねぇ… こいつ、リーダーの【天翔燕返し】まで反応しやがった…」

「だが、もう… 流石にぼろぼろなんじゃねぇか…?」


 全身擦り傷だらけになり、それでも何とかふらふらと立ち上がったユリウスは【思考加速ブレイン・ブースト】を解除した。

それはもう必要なかった。


 世界に『音』と『色』が戻ってくる。


「結局、剣では全く刃が立たないな… あんた流石【S-】ランクの冒険者だよ…」

「当たり前だぁっ…‼︎」


 勢いよく立ち上がろうとしたヴァイスは、しかし片膝立ちのまま動く事が出来なかった。

驚くヴァイスにユリウスは人差し指を向ける。

 指差した先に視線を落とすと、立てた片膝に一本の矢が刺さっていた。


 それは【薄紅うすくれないのローゼ】がクロスボウでメナスを狙った時の矢だった。

 最初に転がった時に床に落ちていた矢を見つけ拾っておいたのだ。

 そしてそれには、メナスを生け捕りにするために、充分な量の『痺れ薬』が塗ってある筈だった。


「貴様… いつの間に… ふざけやがって… …ローゼ! 何だっ⁈ 何を塗ったっ…⁈」

「リーダー、赤烏帽子エボシ貝の【麻痺毒】です… 子供なら丸二日動けないくらいの量の… リーダーなら、六時間もすりゃあ動けるようになる… かと……」


 この戦場で、6時間は致命的だ。


「やれっ! やっちまえっ‼︎ そいつを殺して女どもを捕らえろっ…‼︎」


 ヴァイスは口の端に泡を吹きながら叫んだ。

もう座っているのもやっとだった。


 次の瞬間、突然前触れもなくヴァイスの左手にいた投網の男が倒れた。

 その音にヴァイスが振り返ると、クロスボウの男がちょうど膝から崩れ落ち、その背後に小さな人影を認めた。 明かりの届かないところなのでその姿は判別出来ない。


 遺跡の石床を小さな毒壺が音もなく転がって行く…


 盗賊シーフの男ブラウは、一瞬で投げナイフを両手に10本構え、その空間に向かって全てを扇状に投擲とうてきした。

既視感を覚える感覚に嫌な予感がする。

 それなりに場数を踏んだ冒険者だ… その予感は見事に的中した。

 無意識に庇ったわき腹に強い衝撃を受け、彼の意識は消し飛んだ。


 気が付くと禿頭の男の前に小柄な人影が立っていた。


「お… おまえっ… お前は…? お前がっ… あの時の…? あの時も、お前が…?」


 次の刹那、男はみぞおちに鈍い痛みを覚えその意識と共にうつ伏せに崩れ落ちた。


「こんな可愛い女の子をゴブリンと間違えるなんてねー… 失礼しちゃうなー」


 チタニウム・ゴーレムの可憐な乙女は、床に転がった男たちを無表情に見下ろした。


 転がり続ける小さな毒壺が落ちていた剣に当たり、チンと涼やかな音を鳴らした。

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