伊藤有紀のケース: 3
「だからな、我は材料用の魔獣を召喚しておったのじゃ」
パラケがかついできた少女が、ソファの上に落ち着いて、しばらく。
いつもは相談客が座る椅子に腰掛け、リカルドの出したアイスティーのグラスを両手に抱えて、パラケが不満そうに話しはじめた。いつもならカウンターで客と向き合っているかなたは、今はソファに横になっている人間の少女の額に絞ったぬれタオルをあててやりながら、戸惑った様子でパラケの話に耳を傾けている。
かなたの代わりにカウンターに居るのはルドラだ。彼が腰掛けているのは椅子ではなく、カウンターそのものだが。
「やっと召喚が上手く言ったと思ったら、出てきたのは魔獣ではなくその人間の娘ではないか。詳しい仕組みは知らぬが、おおかた我の召喚魔方陣とその娘の関わった召喚ゲートが影響し合ったかとかですり替わったのであろう」
「根拠がありそうに見えて、ほぼ勘だよねその推理」
「しかし実際に、ここに我の呼んだ魔獣がいたではないか!」
パラケは、相変わらず光のロープで捕縛されて、天井からぶら下がるように揺れている翼獣を指さした。
「……人間用の召喚ゲートが開いた記録はないな」
カタカタと、パソコンのキーボードらしいものを叩いていたサーシャが首をひねる。
「ただ、その程度の魔獣の召喚魔方にしては異様に大きな時空のゆがみが、郊外に発生している。お前、誤ってもっと高度な召喚術を行使しなかったか?」
「我にそんな強力な魔力があるわけなかろうが!」
「胸張って言うことじゃないでしょ」
ずず、とアイスティーをストローですすりながら、ルドラが肩をすくめる。
「……怪我してます、この子」
一方で、目を覚まさない少女を見守っていたかなたが、彼女の左手を手に取って呟いた。
「指先に血の跡が……これ、カッターかなにかで自分で切ったんでしょうか」
「確かに、不注意でできた傷にしては、切り口が綺麗すぎますね」
「消毒薬と絆創膏を持ってきます」
立ち上がったかなたが自分の机に戻る間、リカルドはなにを思ったのか、少女の袖口をまくりあげてなにか観察している。
「魔力が足りない者は、召喚の儀式に自分の血を使うことがある。契約の対価としても用いたりするが」
パラケが首をひねる。が、すぐにどうでも良さそうに、
「とにかく! この魔獣は返してもらうからな! 合成の準備はもうできておるのだ」
「だったらお茶なんか飲んでないでさっさと帰りなよ」
「出された茶菓子に手を付けずに去るなど失礼じゃろう!」
「素直に食べたかったって言いなよ」
からかう相手が現れて調子づいてきたルドラが、更に言いつのろうとしたところで、
「ひぃっ!」
かなたのものとはまた違う悲鳴が、ソファの方から聞こえてきた。
見れば、目を覚ました娘が自分の手を取るリカルドに怯え、飛びのくようにソファの端で身を縮めている。救急セットを手に戻ろうとしていたかなたが、安心した様子で笑みを見せる。
「よかった、目が醒め……」
「な、なんなの! あたしが呼び出したのは凶悪な魔獣パリディスで、狼人間なんかじゃ……」
驚かせてしまったことで恐縮しているリカルドから、必死に身を遠ざけようとしながら、娘は悲鳴のように声を上げている。離れた場所で様子を見ていたサーシャとルドラが、娘の言葉を捉えて目を瞬かせた。
「……呼び出した?」
「なるほど、別の世界でそれぞれが別に呼び出した対象が、たまたまかち合ってしまって、召喚ゲートが双方につながったのか」
……十数分後。
お約束の、『ここはどこあなたたちはなになんで私こんなところに』を一通り終えて、娘がとりあえずおとなしくなった頃合いに、会話から情報を拾ったサーシャがキーボードをカタカタ叩きながら声を上げた。
娘の名前は伊藤有紀という。日本の女子中学生という所まではかなたが聞き出したが、それ以上はまだ口をつぐんでいる。
その有紀は、驚きのあとで認識した現実のこの状況についてこられず、出されたアイスティーのグラスを抱えて無抵抗に口に含んでいた。
「つながった召喚ゲートの中で、魔力の綱引き状態になったってことか。それで、より強いパラケの方に魔獣が引っ張られて来たんだね」
「でもなぜ、召喚主まで引っ張られて来た?」
ルドラとサーシャの推測を聞いていたパラケが、可愛らしく小首を傾げ、
「娘、ひょっとしてそなた、召喚魔方円の中に入って召喚術を行使しなかったか?」
可愛らしい見た目とは裏腹の尊大な態度に、有紀は面食らった様子ながらも、
「当たり前でしょ、中央に血を垂らすのに……」
「馬鹿かそなた、召喚円と結界円は別に用意するのだ」
パラケが罵る一方で、ルドラはあーあと言うように額をおさえている。
「現れた魔獣が、自分の手に負えないような強力なものだったら、術者が自分を守る結界が必要であろう。一緒に入ってどうする」
「え? だ、だって、マンガとかではみんな」
「そなたの世界ではどういう魔導教育を施しておるのだ! 身の安全を守るのは魔導の基礎中の基礎だぞ!」
「すみません、彼女の世界では基本的に魔法はフィクションなんです……」
「フィクションで魔獣が召喚できるか!」
有紀の向かい側に腰掛けていたかなたが、なぜか申し訳なさそうに首をすくめる。疲れた様子の有紀が、ふっと生気の薄い笑みを見せた。
「……それに、手に負えなかったらそれはそれで……」
「えっ?」
「……君さぁ、あんなの呼び出して、なにするつもりだったの?」
カップケーキの銀紙をむきながら、ルドラが声をかける。有紀は、なにか言いたげに目を上げたが、目の前で心配そうに自分を見ているかなたに気づき、視線を自分の膝元に落として逸らす。
「……みんな、いなくなっちゃえばいい」
「えっ」
「私も、みんなも、いなくなっちゃえばいい」
有紀はそれだけ言うと、そのまま唇を引き結んだ。
かなたは促すように次の言葉を待っているが、有紀はそれ以上話を続ける気配がない。
「……どうも、彼女はいつものお客様とは違う感じがしますね」
有紀をソファに残し、かなたとリカルドがカウンターの中に戻ってくる。サーシャとルドラを交えて、四人は小声で相談を始めた。
パラケは勝手にお茶のおかわりをついで、むぐむぐとカップケーキを楽しみながら、相談所の職員達の様子を眺めている。見た目のかわいらしさもあいまって、ハロウィンでお菓子をもらいに来た子供のように、場違いに微笑ましい。
ルドラはカウンターに腰掛けたまま、肩越しに有紀に目を向けた。
「あの子、すっごい負の感情を感じるよ。ものすごく、後ろ向きに前向きなエネルギーを感じる」
「意味がわからぬぞ魔族」
「負、ですか……」
かなたが首を傾げる。かなたも有紀の持つ違和感には気づいているのだが、それが明確な形にならないのだ。
「……あのう、どうにも気になって、彼女が気を失っている間に少し見せていただいたんですが」
リカルドがおずおずと、
「彼女、袖口の下に、あざややけどの跡があるんです。比較的新しいのが」
「あざ、ですか?」
「スカートの下の脚にも、なにかにぶつけたような青あざが……。単に注意不足で普段から怪我の多い子なら、それでいいんでしょうが、……いや、それもよくはないんでしょうけど」
「ふむ」
サーシャが思案するように腕組みをする。ルドラは口に放り込んだカップケーキを咀嚼しながら、
「かなたの世界の人間が、ただの使い魔目的であんなのを呼び出すとは思えないよねぇ。もっと別なことに使う気だったんじゃない?」
「別なことって」
「あいつ、知能は無いけど、力はあるからね、かなたの世界の人間なら、ひとたまりもないんじゃないかな。人間って基本的に攻撃魔法も使えないし、ニホン? じゃ武器を持ってる人間も一握りなんでしょ」
「それって……」
「自分を贄にしての復讐か! なるほど、力の無い人間の考えそうなことだ!」
カウンターで耳を傾けていたパラケが、合点がいった様子で大声を上げた。有紀がびくりと肩をふるわせる。
「ちょっとコスプレ魔女、もうちょっと状況見て空気読もうよ」
「ルドラの口からから空気を読むという言葉が出てくるなど……!!」
「サーシャも変なところで驚かない!」
「コスプレでもないし魔女でもないと言っている!」
あちこちで一斉にあがる驚きと抗議の声に、リカルドもかなたもとっさに対処できない。パラケは紅茶を飲み干すと、今度は元気よく立ち上がった。立ち上がっても、背丈は小学校低学年程度の身長しかないので、とんがった帽子の頭がかろうじてカウンターの上につきだして見えるくらいだ。
「馳走になったな、我は帰る!」
「誰も引き留めてないから。さっさとそれ持って帰って」
光のロープで動きを封じられ、天井からぶら下がるように浮いている翼獣を指さして、ルドラがしっしと手を振る。
「勝手に渡しちゃっていいんですか? 衛兵に引き渡した方が……」
「あんなもんもらったって衛兵も困るんじゃないの? パラケなら無駄なく使い切るでしょ」
「うむ、爪の先から脳の随まで残さず我の材料じゃ」
剣呑な言われように、人語を理解しているのかも判らない翼獣が情けないうなり声を上げる。有紀がはとした様子で、
「だめ! それ、あたしの……」
「魔力の綱引きに勝ったのだから、これは我のものだ」
抗議の声を上げる有紀に、パラケがきっぱりと言い切った。自信に満ちあふれた幼女に見据えられ、有紀はとっさに言い返せずに言葉に詰まっている。話はそこで終わりか、と思いきや、
「どうだ、娘。我がこれをどんな風に使うか、見に来ぬか」
「どんな風に……?」
パラケはてとてとと、可愛らしい足取りで有紀の前まで歩き寄った。
「偶然とはいえ我が魔方円に現れたよしみじゃ。ままごととは違う、本物の錬金術をみせてやろう」
「コスプレ魔女のくせに偉そうに」
「魔女でもないしコスプレでもない!」
があ! とルドラに歯をむくと、パラケは挑発するようにまっすぐに見あげた。有紀は逆におどおどと視線をそらそうとするが、
「錬金術は金属精錬だけではない、調合も合成も行う高度な魔導技術じゃ。あんな力だけの低級魔獣などより、もっと頭がよくて忠実な使い魔を作り出すことだって可能じゃ」
「作り、出す……?」
「パラケ『の頭の中で』は可能、でしょ」
ルドラが揶揄しているが、パラケは忌々しそうに一瞥しただけで、すぐに視線を有紀に戻した。有紀は、弱々しい、だが確かに意思のこもった眼で、パラケを見返した。
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