愁いを知らぬ鳥のうた

三上コシカ

旋律を結ぶ片見月


――同棲して1年半、ようやく俺も決心がついたか…でもユヅがまだ若いっていうのも、ちょっと先延ばしにしてた理由、て自分で言ってみたところで意味ないか…今日の夜中には、ユヅ20歳はたちになるんだな。


 そんなことを思いつつ、りつは鞄の中の婚約指輪を再度確認し、玄関の戸を開けた。


『ただいま、ってか真っ暗』


――どっか出掛けてるのかな。


 電気はつけるが、先程の緊張は一旦寝かしつけた。


――そうだ、ちょうど12時にって考えてたけど、帰ってきた瞬間ときいきなりサプライズっていうのも、アリかもな。


 他にも妙案はないものかと、妙なニタニタ顔を浮かべ、部屋に入る。


――ん?、これってこの部屋のスペアキー、だよな……


 ローテーブルにはその鍵と、その下には何かの映画のDVDがある。


――なんで?、まさか冗談だろ……


 慌てて部屋中を引っ掻き回す。彼女の所有物は、髪の毛の1本すら見当たらない。


 次は当然、電話を掛けた。


 “お掛けになった番号は、現在つ、ツーーツーーツーー”


 当然、最低でも3回は掛け直すのがセオリー。


 “ツーーツーーツーー”


――2回で諦めるとでも思ってんのか、ツーツー言いやがって。


 当然受け入れられず、その後はただ鍵を眺める。


――でも、普通置き手紙くらいはしていくもんだろ…


 手紙はない、謎のDVDはある。


――“憂愁ゆうしゅう*”、こんな古めのやつ借りてたかな?


 この流れなら、大抵の演出家は律にDVDをさせるだろう。


 無論、律はその映画を観始めた。


 何かの手掛かりでも、探すかのように……



  ○●○●



――俺もこのアルマンドみたく、ずっとピアノ弾いてた頃があったな…それにしてもこのマルガリタの想いは、あまりに切なくて、こんなにもはかなくて…それで最後には河に身を投げるなんて……


――まさかユヅも、何か重いやまいわずらってて…それで……でもそんな……


 気付けば律は、慌てて部屋を飛び出していった。


――ユヅ、何処だ、何処にいる、ユヅ、ユヅ、せめて一目ひとめでいいから、もう一度君に…ユヅ、それでも俺は君と…


『ユヅーーーーーっ』


 闇夜に響いたその声は、僅かに結晶へと変化し、微かにあかりを反射していた。



  ◇◆◇◆



結月ゆづきさん、今からリハーサルお願いしまぁす』


 とある番組のADが、結月の楽屋に、ひょこっとだけ顔を出した。


『はいっ、宜しくお願いしまっ、すぶ』


 その様子に、結月の担当マネージャー中辻なかつじは、敢えて徐に声を掛けた。


『結月ちゃん、ちょっと硬くなりすぎ、リラックスリラックス』


『だって中辻さん、私初めてのテレビ出演が生放送なんですよ、もう、るえちゃいます』


『ハハハ、なにぷるえるって、なんか丸いのくっ付いちゃってるよ、じゃぁリハ終わったらさ、もう一回発声やっとこうか』


『はい是非とも、だってもし本番で声裏返ったりしたら、私デビュー取り消しもんですよぉ~』


『そんな大袈裟な、大丈夫だよ結月ちゃんなら、ここまで頑張ってきたんだから』


『はい、とにかく心を込めて、歌います』




――律、本当にごめんなさい…でもやっと念願のメジャーデビューが決まったんだ。私、何も告げずに出ていっちゃったけど、いつかきっと、私のこと何処かで観てくれる日が来るはず、その時、その姿を観てくれた律なら、分かってくれるよね、だって、ずっとそばにいたんだから…ちょうどこのあとの生放送、観てくれてたらいいんだけど…そういえばあの間違って借りてたDVD、ちゃんと返してくれたかな……




 ADに案内されながら、結月はふと別のスタジオに目がとまり、その出入り口の丸窓からチラッとだけ、中の様子がうかがえた。


『中辻さん、ニュース撮ってますよ、わっ、あのアナウンサー見たことある、わぁ、ほんとにテレビ局なんだって実感しちゃう~』


『結月ちゃん、ニュースもたぶん生放送だと思うから、いくらちょっと離れてるからって、あんまりはしゃいじゃダメだよ』


『んあぁ、そうですね、すみません…』


『結月さん、入られまぁす』


『宜しくお願いしまぁす』


――遂に始まる。私はこれからもっともっと、ばたいていくんだ。


 流れ始めたイントロの呼吸が、これから披露される歌声を、僅かに待ちわびていた。



  △▲△▲



「――では、次のニュースです。今日深夜、荒島区豊川交差点にて乗用車が歩行者と接触する事故が発生しました。乗用車の運転手に怪我はなく、歩行者の方は意識不明の重体だということです。その方に所持品がなかった為、現在、身元の確認を行っているとのことです」






憂愁*

フランスの文豪アレクサンドル・デュマ・フィスの名作“椿姫”を原作とする、本邦公開のアルゼンチン映画としては初の本格的劇映画(1955年)。


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