第五十一話【実は1945年当時のアメリカは民主主義ではありません! 立憲主義とアメリカ合衆国】
「第二次大戦は民主主義の勝利であるコトハ間違いナイ。これを否定する者は歴史修正主義者ダ!」リベラルアメリカ人支局長は〝民主主義の勝利〟を強調してみせた。これは彼のアメリカ人としての絶対的信念でもある。
しかし天狗騨記者はいとも無造作に口にした。
「連合国が勝ったのは事実ですが民主主義が勝ったというのは捏造された歴史ですね」と。
「我々の方が歴史修正主義者ダト言うノカッ⁉」
「ええ。連合国であるソビエトには政党が一つしかありません。一党独裁です。そういう国が連合国に混じっている以上は『連合国の勝利は民主主義の勝利である』などとは言えません」
「だから〝ソ連抜き〟でト言っているダロウ!」と大声を出すリベラルアメリカ人支局長。
しかし天狗騨記者の声調子は一切変わることがない。
「連合国である中華民国もまた〝中国国民党〟という政党がたった一つあるだけの国です。間違いなく〝総統・蒋介石〟の独裁政権でした。ちなみにこの集団は第二次大戦後、中国共産党との戦いに敗れ台湾島に渡るわけですが、当地で〝白色テロ〟と言われる台湾人虐殺事件を起こしました。その犠牲者数は2万8000人です。これがあなた達が神聖視する〝連合国〟です。歴史を直視して下さい。果たして第二次大戦で『民主主義が勝利した』などと言えるでしょうか?」
「だから外国を持ち出しアメリカを攻撃スルナ、と言ってイルンダ!」リベラルアメリカ人支局長は吠えた。
表面上平静を装っていた天狗騨だが、彼は今腸が煮えくりかえるほどの怒りを自覚していた。突然一方的にルールを変えるアメリカ人の悪癖を改めて目の当たりにしたとしか思えなかった。
(散々日本とナチスを同一視しておいて、こっちが『同盟国理論(同盟国が悪事を働いていた場合、当該同盟国と同盟を組んでいた国も悪玉にできる論)』を使った途端にルール変更をしやがった)
が、しかし彼は一方こうも思っていた。
(こういう時ほど努めて冷静にならねばならない)と。(——『アメリカの同盟国を引き合いに出さないと第二次大戦観でアメリカを非難できないだろう』と、タカをくくっていやがるな)
「では特別にあなたの言い分に付き合いましょう。ただし、その前にひとつ確認をしておきたいのですが」と天狗騨記者は切り出した。
「ナンダ?」
「あなたには〝東京裁判〟を否定する考えは無い、そういうことでいいですか?」
リベラルアメリカ人支局長としては(またも何かの罠では?)、と思ったがアメリカ人としてはこう答えるしかない。
「当然ダ!」と。
東京裁判を肯定しておかないと靖國神社を非難できなくなるのであるからこれは当然の反応と言えた。
「つまり『現在の価値観を基準に過去を裁く』、こうした新たな価値観を支持するというわけですね?」
(よもや、〝インディアン虐殺〟を言いだし話しを逸らそうとしているのではあるまいな? 今は第二次大戦の歴史認識の話しをしているのだ! そういう逃げができると思うなよテングダ!)リベラルアメリカ人支局長は己を鼓舞すると同時に身構え体勢を整える。
「それを聞いて安心しました。この際だからハッキリと言っておきましょう。日本が戦争をした1945年8月以前のアメリカ合衆国は民主主義ではありません。アメリカ合衆国そのものが民主主義とは言えないのだから民主主義が戦争で勝利する道理がありません」
(ななななな——)リベラルアメリカ人支局長としてはここまでの暴言を吐かれるなど夢にも思っていなかった。そう、これはアメリカ人にとっては誰であれ紛う事なき〝暴言〟であった。
「お前はどこマデ歴史を修正する気ダ⁉ アメリカは1920年には既に女性参政権を認めていた民主主義国ダ! 日本がいつ女性に参政権を認メタと言ウ⁉ 日本はアメリカに戦争に負ケ、そこでようやく女性に普通選挙権が認められタノダ! 日本はアメリカにヨッテ民主主義国家になったノダ!」
「ああ、〝戦争に負けて云々〟ですか。前にそんなことをウチの国の首相が言ってましたね。確かアメリカ下院での議会演説の時でしたか」
「ソウダッ! 覚えているトハ殊勝ダナ! お前の国の首相が認めたコトダ!」
「だからなんです? ジャーナリズムに必須なのは〝批判精神〟です。首相が言ったからそのことばに従えだとか、そういう考え自体がそもそもあり得ません。下院で演説した〝アノ首相〟が何を思ってああいう間違った事を言ったのか、本当のところは解りません。考えられる可能性はふたつ。真実を知ってたのにそれを伏せアメリカ議員をおだて上げ騙したのか、それとも心底ああした歴史観を信じ込んでいたのか」
「お前、今聞き捨テならナイ事を言ったロウ⁉」
「と言うと?」
「『おだて上げ騙シタ』と言ったロウ!」
「なるほど、案外あの場にいた下院議員達は首相に騙されたのではなく自分達のついた嘘をいつの間にか〝真実〟だと信じ込んでいた可能性もありますね」
「おっ……お前にハ直ちにこの場で発言の撤回と謝罪を求メルッ!」
「『謝れ!』と言われてこの私が『解りました謝ります』と言いそうもないことくらい理解してくれていたかと思いましたが」
「開き直レバ傷口を広げるダケダゾ!」
「まるで民主主義を完璧に理解しているという口ぶりですね」
「当然ダ!」
「では訊きますが、あなたは〝民主制の国〟と〝独裁制の国〟は、どこで見分けがつくと考えますか?」
「政党の数ダ」
「見た目最も解りやすい違いです。しかし独裁国家はカムフラージュをすることもある。自らの地位を脅かさない他党を認める場合がある。したがってこうした国がある以上は『政党の数』だけで民主主義国家であるか否かは判断できません」
「フン! これで答えが終わるト思ったカ? 〝普通選挙〟を実施してイルか否かダ!」
「しかし選挙が終わった後はどうなります?」
「終わっタ後?」
「政治家を選んだ後はよもや全権委任ですか?」
「バカナッ!」
「しかし選挙は数年ごと。そうそうはありません。実施にはお金もかかりますし。選んだ政治家が独裁者にまでなってしまったのがナチス党じゃありませんか」
「訳の解ランことを言ッテ論点をずらソウトしているノデハあるマイナ⁉」
「ナチスまではいかないまでも選挙が終わった途端に態度は豹変、公約を反故にする政治家ってのは洋の東西を問わずいるんじゃないですか? 時には暴走する者が出るかもしれない。政治家を普通選挙で選んだ後はどういう仕組みで制御するんです?」
とっさに答えが思い浮かばないリベラルアメリカ人支局長。そこに天狗騨が口を開く。
「その答えこそが〝立憲主義〟です! 選挙で選ばれた政治家であっても無尽蔵の権限を与えることを容認するものではない。『憲法によって縛られているのだ』という自覚を政治家自身が持っているか、そうした意識の結果政治家の暴走を憲法が縛ることができているかどうか。ここで〝独裁制〟か〝民主制〟かが見分けられます! 民主主義国家とは立憲主義が機能している国のことです! 私は立憲主義が機能していない国を民主主義の国とは認めませんっ!」そう言うと天狗騨はじっとその目でリベラルアメリカ人支局長を見た。
(ちっ!)と内心で舌打ちするリベラルアメリカ人支局長。彼は忌々しさを覚えていた。
(人を試すような目をしやがって!)
この人物は人を試すようなことを喋る人間を蛇蝎の如く嫌うのだ。人を試すのはジャーナリズムの側で試される側ではないという職癖のなせる業か。
「それは日本におけル流行語カ? ではソウイウ日本はどうナノダ⁉」イライラからついつまらない嫌みがその口から出た。
しかし天狗騨は平然とこう口にした。
「枢軸国の側は〝民主主義〟でしたか?」
(クソッ!)
しかし確かに『枢軸国は民主主義国家ではない』のであるから、俎上に乗るのは〝戦争での民主主義の勝利〟を主張するアメリカ合衆国だけである。
「私は『当時の日本と比べればアメリカ合衆国は民主主義国家である』なんて話しをしているんじゃありません。あくまで東京裁判の価値観である『現代の価値観で過去の価値判断をする』、これをやっているんですよ!」天狗騨記者の鋭い目がリベラルアメリカ人支局長を射抜く。
「アメリカは過去も現代も民主主義でデアル。アメリカではファシスト党やナチス党の如き党が独裁政権を敷イタということはナイ」リベラルアメリカ人支局長は言った。
「そうは言いますが黒人達の公民権運動は1960年代でしたよね?」天狗騨が訊いた。
リベラルアメリカ人支局長は金縛りに遭ったように動けない。第二次大戦の話しをしていると思っているところに突然こう振られれば無理も無い。完全な奇襲攻撃であった。しかし彼は既に何事かを察していた。
「南北戦争後のアメリカ、即ち1870年、合衆国憲法修正第15条によって黒人にも選挙権が与えられました——」天狗騨記者は言った。
(こっ、コイツは……)背筋に悪寒が走るリベラルアメリカ人支局長。
「——なのになぜその90年もの後に黒人達の公民権運動が始まるのでしょう?」
「……」
「それは黒人の投票権を奪う州法の制定を許していたからです! こうした違憲立法が州法として堂々まかり通っていた国が1960年代以前のアメリカなんですよ! ではいったいいつ黒人達は本物の投票権を得ることができたか? 1965年の『投票権法』でようやく『州レベルで黒人の有権者登録を妨害する行為があっても連邦政府の権限で有権者登録できる』ようになりました。しかしこれでもまだ不十分だった。1970年になって大統領が署名した、いわゆる『文盲テストの廃止』、これの施行年である1971年からなんです! 黒人達が本物の投票権を得たのは! アメリカで立憲主義がようやく機能したのは1971年になってからなんですよ! それまではアメリカの政治家達は憲法を無視し自由自在に違法な〝法律〟を造っていた! 1971年、この年になって初めてアメリカは民主主義の国と言えるようになったんです!」
ちなみにアメリカ合衆国において、実際の投票が記名式ではなく候補者に○を付けるという簡略な方法になっているのは実はここからなのである。
「どうシテ60年代、70年代の話しになってイル? 第二次大戦は40年代の話しダ!」
「——60年代に民主主義でない国がそれ以前の1940年代にどうして〝民主主義だった〟と言えるんですか、ってことですよ! 1945年、民主主義は戦争に勝ってません! ちなみに公民権運動以前、日米戦争当時の黒人が何を考えていたか、エピソードをひとつ紹介しましょう」そう言って天狗騨は手帳を開く。
「——或る黒人召集兵のことばです。『おれの墓には白人を守るために黄色人と戦って倒れた一人の黒人がここに眠る、と書いてくれ』。当時のアメリカ社会を表現したこれ以上の皮肉を私は知りません!」
BLM運動(ブラック・ライブズ・マター運動・黒人の命も大切だ運動)という運動に少しでもケチをつければアメリカリベラル界では生きてはいけない。天狗騨記者はリベラルアメリカ人が反論不能になるテーマを的確にチョイスしていた。
「どうシテ日本人ガ黒人達の味方面をしてイル!」リベラルアメリカ人支局長が怒鳴った! 怒鳴り足りないのかさらに怒鳴りつけた。
「当時のアメリカの黒人の置かれた立場を持ち出そうト、それを元に当時の日本の立場ガ正シイ事にはならナイ!」
「ええ、むろん私は日本人ですから、日本人の立場としてもものを言いますよ」天狗騨記者の口ぶりは明らかに〝次の弾〟があることを物語っていた。
「日系人強制収容所の問題ダロウ! だがその問題は政府が過ちを認め謝罪し解決してイルゾ!」リベラルアメリカ人支局長は天狗騨が責め立てて来るであろうネタを予測し先手を打った。
しかし天狗騨記者の顔色は変わらない。
「私はあくまで〝立憲主義〟の話しをしているんですよ」とまず口にして「確か、アメリカ合衆国憲法ではアメリカ国籍について〝出生地主義〟を採っていましたね」と訊いた。
ここで天狗騨は手帳を繰り読み始める。
「合衆国憲法修正第14条第1節、『アメリカ合衆国で生まれ、あるいは帰化した者、およびその司法権に属することになった者全ては、アメリカ合衆国の市民であり、その住む州の市民である。如何なる州もアメリカ合衆国の市民の特権あるいは免除権を制限する法を作り、あるいは強制してはならない。また、如何なる州も法の適正手続き無しに個人の生命、自由あるいは財産を奪ってはならない。さらに、その司法権の範囲で個人に対する法の平等保護を否定してはならない』。ちなみにこの条文がいつ修正されたかというと1868年です」
要するに〝出生地主義〟とは、『アメリカで生まれたらアメリカ国籍が付与される』という主義のことである。
「そんなモノヲ読み上げてなんのツモリダ?」
「皮膚の色によって付与される権利が異なるだとか、そういう憲法ではありませんね?」
「当たり前ダ! お前はアメリカを愚弄する気カ!」
「その憲法に違反する違憲立法な州法があるという話しですよ。1920年、カリフォルニア州で或る州法が造られました。その中身は『日本人移民の子どもについても土地所有を禁じる』というものでした。〝日本人移民の子ども〟は間違いなくアメリカで生まれたのであり合衆国憲法によればアメリカ国籍を持ったアメリカ人です。それを肌の色で土地所有を禁じる州法を造るとは。正に民主主義の基本たる立憲主義が機能していなかった動かぬ証拠です!」
またしてもリベラルアメリカ人支局長にとっては想定外の攻撃が行われていた。想定外なのだから上手い切り返しを思いつくはずもない。
「——ちなみに、これは〝西部カリフォルニア州〟というアメリカの田舎州だけがやらかした罪というわけではありません。1922年、アメリカ最高裁は『黄色人種は帰化不能外国人であり帰化権は無い』という判決を出しました。この判決の最大の問題点は〝すでに帰化した人間の権利をも剥奪できる〟としたことです。〝帰化〟とはアメリカ国籍を得てアメリカ人になる、という意味です。それを剥奪できることにするのがアメリカの最高裁のすることです。黒人の権利がいくら侵害されているといっても或る日突然『アメリカ人でなくなる』、などということは起こり得ません。我々の中には『アメリカでは黒人が最も差別されているんじゃないか』という漠とした先入観があるのは否定できませんが、当時黄色人種は〝アメリカ人〟になることも許されない、ある意味それ以上の被差別者でした。もちろん合衆国憲法の修正第15条の第1節には『合衆国市民の投票権は、人種、体色、あるいは過去における服役の状態にもとづいて合衆国あるいは各州により拒絶あるいは制限されることはない』とあるので、人種や体色を根拠として権利を奪うことを認める判決は立憲主義に反する違憲判決でしかありません。当時のアメリカではなんと、法の番人たる裁判官ですら立憲主義を理解していなかった! こうした国が民主主義国と言えるでしょうか?」
リベラルアメリカ人支局長はもう何も言えなくなっている。こんなものがアメリカの民主主義だということにしてしまったらアメリカ人自身によるアメリカ合衆国完全破壊である。
「——ちなみに、既に1882年の段階でアメリカ合衆国は中国人のアメリカへの帰化を禁止していて、これはその範囲を日本人にも拡大した判決だということです」
「……」リベラルアメリカ人支局長の沈黙は続く。
「——こうしてアメリカの地方自治体、裁判所が次々立憲主義を全否定し暴走しました。今度は遂に国政レベルの政治家達までが立憲主義を全否定し暴走します。1924年、アメリカ合衆国は遂に連邦法として日本人移民の権利を奪うことを認める法律を成立させました! もはや田舎州の出来事ではありません! 合衆国憲法には肌の色で得られる権利が違うとはどこにも書いていないのに、まるで憲法などどこにも存在しないかの如き野蛮さです!」
相手が沈黙しているからといって天狗騨に容赦は一切無い。彼には日本人的優しさは一切無かった。まさに天狗である。
「——この結果日本では何が起こったか? それは親米派の権威失墜です。例えば大河ドラマの主人公にもなった親米派財界人〝渋沢栄一〟までもがこう言っているのです——」天狗騨はそう言うと例によって手帳を繰り朗々と朗読し始めた。
「——『アメリカは正義の国、人道を重んじる国であると、年来信じていた。カリフォルニアで排日運動が起こったときも、それは誤解に基づくものだと思ったから、自分なりに日米親善に尽力したつもりである。ところがアメリカ人は絶対的排日法を作った。これを見て私は何もかも嫌になった。今まで日米親善に尽力したのは何だったのか』と渋沢は言っています。親米派の言うことに説得力が無くなってしまったのですから対米戦争にブレーキをかけられる者が日本の中にいなくなるのも道理というものです!」
天狗騨はその鋭い視線をリベラルアメリカ人支局長に送る。
「先ほどあなたは日系人強制収容所の話しをしていましたがそれはパールハーバー以後の話しですよね。どうもアメリカ人には、『〝パールハーバー〟を境に急激にアメリカにおける対日感情が悪くなった』、と信じ込む傾向が強いようです」
「う、うム……」リベラルアメリカ人支局長には〝同意〟以外の選択肢が無い。
「パールハーバーは1941年。しかし私が指摘したのは、1920年、1922年、1924年、のアメリカで起こった出来事です。真っ当に物事を判断できる頭を持っているならアメリカ人の日本人に対する感情は『パールハーバー以前から悪かった』と、そういう結論になるしかありませんね」
天狗騨は『アメリカは過去の罪を認め謝罪した』という神話をあっさりと破壊した。『過去の罪はまだ認め足りていないだろう』と圧力をかけたのである。
「ヌッ!」
「このように人種差別を合理化し憲法に書かれた価値観など歯牙にもかけない違憲立法やり放題の国が民主主義国と言えるでしょうか? 断じて言えません! アメリカが戦争に勝ったのは歴史的事実ですが断じて民主主義は勝ってなどいません!」
ここまでアメリカの歴史観が完全に否定されたのはむろんリベラルアメリカ人支局長にとって初体験であった。しかしここまで正面から斬り込まれるとただ立ち尽くすしかない。そしてそこにさらに追い打ちをかける天狗騨。
「ちなみに、こうしたアメリカ流のカギ括弧入りの『民主主義』を学んだのが戦後の日本なら、解釈改憲で集団的自衛権を行使できることにして立憲主義を否定した〝アノ首相〟のやり口は正にアメリカを手本にしているとしか言いようがありません。もっとも、〝アノ首相〟に解釈改憲で集団的自衛権を行使できるよう圧力をかけたのは貴国(アメリカ)の〝知日派〟ですが。ちなみに知日派とはアメリカ政府の元高官です。結局アメリカ人は教養があるはずの支配層ですら立憲主義を理解しているのかどうか、未だ怪しいものです」
「アメリカ人には〝立憲主義〟は理解できナイと言うカッ⁉」
「理解していたら1945年以前の時代のアメリカについて『民主主義の国だ!』などと言うでしょうか? あの当時のアメリカ合衆国を民主主義の国だと断定できるならこれは正に人種差別主義者の価値観ですよ!」天狗騨記者は無慈悲にとどめを刺した。
日本と戦争をした戦前のアメリカは民主主義ではなかった。
そこには〝立憲主義〟という民主主義の基本的価値観はまったく根づいていなかった。それを天狗騨記者に厳しく指弾された。
しかも、そんなアメリカを手本にしたから日本も立憲主義を蔑ろにするような国になったとまで言われ……さらにそうするようアメリカの元政府高官が要求したとまで言われ。
その上さらに〝黒人の味方面〟まで天狗騨にされていた——
リベラルアメリカ人支局長にとっては踏んだり蹴ったりの散々な有り様となっていた。
まるで日本人を相手にしていないかのようだった。
「さっき〝大河ドラマ〟と言ったロウ」リベラルアメリカ人支局長は突如口にした。
「ああ渋沢栄一の話ですね」
「それを造った放送局、日本の公共放送にハ問題がアル!」
(少しでも失地回復しないと戦えない!)、リベラルアメリカ人支局長は思った。
(黒人の痛みを知るのは我々で、日本人がまったくそれを理解していない非を認めさせねばならない)
彼は考え得る反攻は全て実行すべしと決めた。
アメリカ人はまず道徳的優位を背にしないと戦えないという考えに縛られたある意味典型的なアメリカ人だった。
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