第四十八話【『レーニン』は罵れるけど『スターリン』は罵れない人たち】

 軍事上の常識として、敵が総崩れになったら追撃をかける、というものがある。

 ここで天狗騨記者は追撃戦に入った。


「連合国は日本との条約を破っただけでなく降伏の意志を明らかにした日本をなお執拗に攻撃し、日本人を殺し続けました。そうして連合国は日本の領土も奪いました。北方領土と呼ばれる島々がそれです。戦争によって領土を拡張する。それが連合国のすることです。連合国は正義ではありません」


「それはソ連の仕業ダト言ってイルだロウガ!」リベラルアメリカ人支局長が忌々しげに吐き捨てた。


「あなた方の国、アメリカの同盟国のソビエトです。連合国のソビエトです」むろん天狗騨に引く様子は無い。


「共産主義者の罪をアメリカに押しつけるツモリカッ⁉」


「それに対する回答はナチスの罪を日本に押しつけるつもりか? になります」


「押しつけてナドイナイ!」


「しかし我々からしたら『ドイツは戦後立派な行為をしているのに日本と来たら』という主張を何度聞いたか分かりません。しかし当時ドイツと日本は同盟国だったのも事実です。それと同じようにソビエトとアメリカは同盟国だった。この歴史的事実も直視しましょう!」


「……」


「とは言え私も鬼ではない——」(いや、天狗だろ)と隣で内心突っ込む中道キャップ。そんな中道の内心など知るよしも無く「——そこでひとつあなたに確認したいことがあります」と天狗騨は口にした。


「なんダッ⁉」


「このソビエトの後継国家であるロシア連邦の大統領は、日本が北方領土の返還を求めると『第二次大戦の結果だ』と言います。つまり、1945年8月15日以降ソビエトがとった軍事行動も『連合国としての戦争だ』と言っているのです。そこで、です。1945年8月15日以降のソビエトの軍事行動は連合国としての軍事行動ですか? これをアメリカ人であるあなたに確認したい」


「違うに決まっテイル!」

 なんとあっさりとリベラルアメリカ人支局長はかつての同盟国の言うことを否定し去った。


「それはつまり1945年8月15日以降のソビエトの軍事行動は連合国としての戦争ではないと、そう断言したという理解で間違いがないんですね?」


「当然ダ! 戦争は天皇のポツダム宣言受諾の意思表明で終わっタと考えるノガ常識で、それ以降共産主義者が戦争を続けたとしてもそれハ連合国の戦争ではナイ!」


「なるほど。あなたはそういう考えの人だということは解りましたが、残念ながらそれはアメリカ合衆国の公式な見解になってはいません。これはなぜでしょう?」


「貴様ッ、言っていいコトト悪いコトガあるんダゾッ!」


「では訊きますが、どうしてアメリカ人は『独裁者スターリン』、『虐殺者スターリン』、と、スターリンを悪し様に罵らないのでしょうか?」


 スターリンとは第二次大戦当時、『ソビエト社会主義共和国連邦』のトップにいた人物である。


「お前は冷戦を知らんノカッ!」


「冷戦はもちろん知っています。しかしながらアメリカ人のスターリン攻撃は聞かない。例えばアメリカに〝ネオコン〟と呼ばれたやけに威勢のいい一派がいましたね? ああいう連中でさえ罵る対象がいつも〝レーニン〟だけになっているのはなぜです?」


 レーニンとは『ソビエト社会主義共和国連邦』を建国した人物である。


「レーニンはソ連を造った人間だカラダ!」


「まさかあなたのような人がネオコン側に立つとは思いませんでしたが」


「『レーニンさえソ連を造らなかっタラ!』、というコトダ! 元凶が誰かヲ解ってイタラ、当然レーニンを最大限に非難するノガ当たり前ダ!」


「レーニンとは根っからの革命家で国家の運営能力に欠けていたという指摘があります。そんな人物をトップに据えて曲がりなりにも新国家を樹立できたのは実務能力に長けたスターリンという人物がいたからだ、という指摘です。当然実務に長けているということは、実権を握ることは容易いという意味になります。日本風に表現するならレーニンは御神輿でそれを担ぎ上げていたのがスターリンという構図です」


「いっタイさっきカラお前は何を言いタイッ?」


「〝レーニン〟といっしょに〝スターリン〟を悪し様に罵るのもアリだと言っているんです。いや、無いのが不自然だと言った方が解りやすいですか」


 リベラルアメリカ人支局長は天狗騨と対峙したまま動かない。動けない。

 アメリカ人として護らなくてはならない価値観が今まさに風前の灯火となっていた。

 天狗騨の口が動く。


「日本は『ヒトラー陣営』だった。そしてアメリカは『スターリン陣営』だった。ヒトラー側とスターリン側を比べて『スターリン側の方が正義だった』と言っているのがアメリカの歴史認識です」


(ばかな!)

「『スターリン陣営』だトカ『ヒトラー陣営』だトカ、そんな第二次大戦観は聞いたコトガナイッ!」


「戦争を始めた順番を考えてみて下さい。第二次大戦は1939年9月、ナチスドイツのポーランド侵攻から始まりました。こうした認識については誰にも異論は無いでしょう。この時フランスとイギリスは直ちにドイツに宣戦布告、後に連合国と呼ばれることになる国の中での最初の参戦国となります。ただしフランスは翌年あっという間にドイツに負けて全土を占領され、イギリスも這々の体で大陸ヨーロッパから撤退しブリテン島に籠もることになる。陣営のリーダーになるにしては力不足です」


「なぜお前ニ歴史の講義をされネバナラン!」


「あなたが〝聞いたことがない〟と言うから説明をするのです」天狗騨が言った。


 確かにそう言っていたのでリベラルアメリカ人支局長もここは引くより仕方ない。それに敵に喋らせておいた方が揚げ足取りがやりやすくなるかもしれない、との計算もあった。


「では続けましょう!」と天狗騨は話しを続けていく。「——バルバロッサ作戦と名付けられたナチスドイツの対ソビエト戦争が始まるのが1941年6月です。つまり連合国の中ではソビエトが3番目の参戦国となります」


「つまりアメリカは4番目と言いタイノカ?」


「そうです」


「では中国ハどうなるノダ?」


「蒋介石の中華民国ですか? 戦後日中戦争と命名されるこの戦争は1937年7月の盧溝橋事件から始まっています。しかしながらヒトラーのポーランド攻撃を差し置いてこのアジアの戦争が『第二次大戦の始まりだ』と言う人は聞いたことがありません。ただ、この戦争は歴史解釈で1941年12月の真珠湾以降は第二次大戦に含まれることになります。とは言えこの中華民国を連合国側の陣営リーダーだと言う人もいないでしょう」


「参戦の順番ガ関係無いのナラ、一番最後のアメリカが陣営のリーダーでもいいダロウ! 『スターリン陣営』などとイウことばはありエナイ!」


「いいえ。アメリカも日本も、欧州の戦争の影響を大きく受けています。現に日米戦争は独ソ戦よりも後です」


「フン、一番最後の参加だろウト実力ある者がリーダーになるノガ当然ダ。スターリンは連合国のリーダーではナイ!」


「なるほど。しかしです、その日米戦争を始めたのは日本です。日本が撃たなかったらアメリカは戦争の部外者ですよ。無関係者がリーダーになれますか?」


「なにガ言いタイ?」


「もし欧州での戦争の戦況が少し違っていたら日本はアメリカとは戦争を始めていなかっただろうということです。例えばこういう話しを聞きませんか? 『日独伊の三カ国同盟』の結果、日本とアメリカとの関係が決定的になったと。これは通説です」


 リベラルアメリカ人支局長はこれに同意した。アメリカ人としてはこの歴史観には同意するほかない。


「その『日独伊の三カ国同盟』が結ばれたのは1940年の9月です。時系列を少しさかのぼるとこの1940年の5月から始まったナチスドイツの対フランス戦争はもう次の月6月中旬にはフランスの降伏で終わっています。電撃戦とはよく言ったもので『あのフランス相手にここまで勝つか』と、世界中に衝撃を与えた出来事でした。日本もこの結果を目の当たりにしてことばは悪いが〝勝ち馬に乗る〟という意識が芽生えてしまったのは間違いない。仮にです、フランスがナチスドイツに勝たぬまでも第一次大戦のように膠着状態で持ちこたえてくれていたら、果たして当時の日本はナチスドイツと軍事同盟を結ぼうなどと考えたでしょうか? 確実に言えることはそうなった場合、どこが〝勝ち馬〟かはさっぱり解らなくなる、ということです」


 リベラルアメリカ人支局長は考える。

(こいつは次に何を言うつもりか?)と。


「つまり第二次大戦の主戦場は最初から欧州で、その欧州での戦争はソビエトがベルリンで市街戦を戦いそして占領、そこで終わりです」


「待テ! 終わってナドいナイ! 枢軸にはまだ日本が残っていたダロウ!」


「残っていようとナチスドイツ降伏で既に第二次大戦の勝敗は決しています。ならばこう考えてみて下さい。独ソ戦でもしもナチスドイツが勝っていたなら、連合国は枢軸国に戦争で勝てたでしょうか? 史実通り日米戦争ではアメリカが日本を圧倒し勝利を得ると考えても、連合国が枢軸国を完膚無きまでに叩き潰せたかどうかは疑問です。なにしろユーラシア大陸の大半をナチスドイツが国土にしてしまうんですから。そうなってしまったらナチスとアメリカの冷戦構造になっていたんじゃあないですか?」


「私はIfの話しヲしに来たンジャナイ!」


「もうこの話しも終わりですよ。第二次大戦、連合国VS枢軸国の勝敗の分かれ目は、ソビエトとナチスドイツのどちらが勝利したかで決まったんです。日本風に言うならここが天王山です! 戦争を始めたのがヒトラーで、連合国が完勝できたのはスターリンのおかげです。ならば『ヒトラー陣営』『スターリン陣営』との表現が妥当じゃないですか! 残念ながら第二次大戦は日本もアメリカも主役ではない。脇役です」


「なんの話しダこれハッ!」


「アメリカ人は無意識にせよ自分達が『スターリン陣営』だという自覚を持っているんです。それを意識上に上げましょうと、そう言っているんですよ」


「そんナ自覚ナドあってタマルカ!」

 

「アメリカ人が意識的にスターリンという独裁者に対する価値判断を放棄しているのは、スターリンを悪し様に罵れば不都合になることを理解していればこそです。スターリンを悪し様に罵れない時点で自ら『スターリン陣営』だと宣言したも同じです。アメリカは戦争に勝つためにはヒトラーに匹敵する独裁者とも手を組んだ。それが連合国の内実だったと認めましょうよ! 当然スターリンが正義であるはずがないのですから、連合国は正義ではありません!」天狗騨記者は言い切った。


 今まさにアメリカ人の信仰する第二次大戦観が日本人一記者によって崩壊しようとしていた。

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