第四十六話【驚異の七段論法・首相靖國参拝とサンフランシスコ講和条約】

「あなたは『戦争犯罪者を神にしているのは靖國』と言いましたが、その『戦争犯罪者』はどうやって生まれたのでしょう?」天狗騨記者は訊いた。


「日本人が戦争犯罪をしたカラ生まレタノダッ!」リベラルアメリカ人支局長が怒鳴るように言った。


「違いますね。『極東国際軍事裁判』、通称『東京裁判』の結果戦争犯罪者が生まれたのです。それともあなたは東京裁判を否定するおつもりですか?」

 なぜか日本人である天狗騨記者に東京裁判で詰問されるリベラルアメリカ人支局長であった。


「東京裁判を否定しナイとは見上げた心がけダ!」リベラルアメリカ人支局長は天狗騨を見下したように言った。

 だが天狗騨記者は実に落ち着き払ったものだった。

「裁判とは判決を執行し、そこまででもう終わりです。死刑囚が死んだ後、慰霊をしようがしまいがそれは遺族の自由意志でしょう? それを裁判官や検察官が『慰霊をしてはならない』などと求めること、あるいはそうした考えを支持することは異常です」


(しまった! 裁判と慰霊は別物であるという、『裁霊分離』を認めてしまった!)リベラルアメリカ人支局長はほぞを噛む。


「ちっ、違うゾッ! ヤスクニは戦争犯罪者を神にしテイルところが問題ナノダッ!」かろうじてこれだけを口にできたリベラルアメリカ人支局長。


「神だろうとなんだろうと死後の処遇にまで裁判官や検察官に管轄する権限は無いんですよ。リベラル主義者たる者は野放図な権限の拡大に対しては常に猜疑の目を持たなくてはなりません」天狗騨は冷徹に言い切った。


 〝やはりお前は極右ダ!〟と言いそうになりながらかろうじて耐えたリベラルアメリカ人支局長。天狗騨の『ネーム・コーリング攻撃』は想像以上に足枷となっていた。


(くそっ、なにかないのか?)そこでひとつ思いついたリベラルアメリカ人支局長である。


「日本は東京裁判を受け入れサンフランシスコ講和条約に調印シタ! にもかかわらずA級戦犯を祀るヤスクニに日本の首相が参拝スルというコトハ東京裁判の否定、ひいてはそれはサンフランシスコ講和条約を否定することニナルっ!」リベラルアメリカ人支局長の反撃が始まった!

 『日本の首相がなぜ靖國神社に行ってはならないか』、その理由を説明をしてみせたのである。

 しかしこれはかなりアクロバティックな主張である。


 1 日本の首相が靖國神社へ行く。

 2 靖國神社にはA級戦犯が祀られている。

 3 A級戦犯をも拝む日本の首相。

 4 かつての日本の首相はサンフランシスコ講和条約に調印し、日本は国際社会に復帰した。

 5 サンフランシスコ講和条約を結ぶに当たり日本は東京裁判を受け入れた。

 6 しかし東京裁判によって定められた価値観を靖國神社は否定している。

 7 そんな靖國神社に日本の首相が行くことは戦後日本の出発点であるサンフランシスコ講和条約を否定することだ!


 『三段論法』ということばがある。むろん〝誉め言葉〟としては使われない。〝風が吹けば桶屋が儲かる〟的な〝論理の飛躍〟を意味することばだからである。三段でさえ誉められないのにこれはなんと『七段論法』になっているのであった。


(せめて〝三段〟程度に抑えたらどうか)と内心呆れる天狗騨である。(だから何のことだか意味が解らない人にとっては徹底的に解らない)



 もちろん右派・保守派的模範解答というものがこれにも存在する。

 『日本は東京裁判の判決を受け入れた』のであって、東京裁判そのものを受け入れたわけではない、というものだ。

 しかし天狗騨記者は結果的に回答が右派・保守派と同じになるとしても、極力〝同じこと〟は言いたくはなかった。言えば自身にそういうレッテルが貼られかねないからだった。


 それに素人に対する説得力の問題、というものがあった。

 『東京裁判の判決を受け入れた』と『東京裁判を受け入れた』がどう違うかを説明してみても『同じじゃん?』という回答が戻って来るのが関の山だと天狗騨は考えていた。まして今説明しなければならない相手は最初から〝正しい回答〟を凝り固まらせているアメリカ人なのだ。しかしこれは天狗騨の一種の自己正当化でもある。


 『反論は誰にも解りやすくシンプルに』、が天狗騨記者のモットーなのである。この点においてジャーナリストというのは学究的であることを生業とする学者とはそのスタンスが決定的に違っている。ジャーナリスト同士の対立は〝学究的〟という縛りすら無いため、徹底的な対立になるしかない。もっとも、学者同士が討論しても必ずしも建設的になるとは限らないが——



「ほう、条約の話しですか」サンフランシスコ講和条約を持ち出された天狗騨が口を開いた。


「そうダッ! 日本の首相がサンフランシスコ講和条約を否定するが如き行動をとることを一般的なアメリカ人は好ましくは思わナイ!」


「それは条約の拡大解釈というものでしょう。死刑執行された後の〝A級戦犯〟をどのように扱うかについてはサンフランシスコ講和条約のどこにも規定がありませんが」


「だから神にして良イなどトイウ考えは通じナイッ! それハ条約の精神を踏みにジル行為ダッ! 日本はこの点ドイツを見習うベキダッ!」リベラルアメリカ人支局長は突如ドイツを持ち出してきた。

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