第二十九話【アメリカ人だけでなく韓国人にも、ものが言えるジャーナリスト】

「まあアメリカについてはこれくらいでいいでしょう」天狗騨記者は言った。


 そのことばでハッと我に返る左沢政治部長。


(はて? なぜ私は慰安婦問題に関するコイツの長広舌を聞いていたのだろうか?)と。


「オイ、天狗騨!」左沢が怒鳴る。

「なんでしょう?」

「俺は慰安婦の話しをしに来たんじゃない!」


 そうなのであった。左沢政治部長は靖國潰しの切り札、この加堂内閣でようやく実現にこぎ着けた(こぎ着けさせた?)『国立追悼施設』を護るためにここ社会部フロアに殴り込んできたのだった。

 事もあろうに野党第一党民衆党を扇動し、国立追悼施設を潰そうなどという動きはASH新聞にとっては当然あってはならないし、事もあろうに身内(ASH新聞社内)からそういう動きが出てきたことについて、沸騰するほどドタマにきて殴り込んで来たのであった。


「あなたが日米韓の連携を説くから、私がいかにアメリカ合衆国と大韓民国が信用ならない国であるかを一から説明した次第です。日本人を差別する二大国がアメリカ合衆国と大韓民国であるという事実を指摘する必要があったからこそ、私は延々『慰安婦問題』についての話しを続けてきたわけです」天狗騨記者は言った。


 左沢政治部長は思い出した。この天狗騨記者を潰すために自ら『日米韓の連携』などと言って突っかかっていったことを。この絶対の切り札だと思い込んでいた『日米韓の連携』は今や、日本軍慰安婦問題は追及するが米軍慰安婦問題は追及しないというありとあらゆるアメリカメディア、多数の下院議員といったアメリカの政治家達、そしてアメリカ人大学教授などといったあらゆる層のリベラルアメリカ人達の言動が原因で今やズタズタに切り裂かれていた。『慰安婦問題』は明らかに新たな次元に突入しているのである。


「もういい! 慰安婦の話しなど!」左沢政治部長はこの話しを強引にぶった切ろうとしていた。

「よくはありません。私は散々アメリカ合衆国を慰安婦問題で攻撃したんです。アメリカ攻撃だけで終わらせてしまったら私が『反米』だということで片付けられてしまいます。さっきも言いましたがこの日本には『反米』という便利なことばが社会に根付いていて、反米すると悪人にされるんです。この歪んだ価値観は当然矯正されるべきですが一朝一夕にはいかない。つまり公平公正に他の国も非難しなければ私が悪人のレッテルを貼られて終わらせられてしまうというわけです。だから当然次は大韓民国をも慰安婦問題で非難しなければなりません」天狗騨記者には温和しく引っ込む様子は一切無い。


 『慰安婦問題』で攻撃されるのがなぜ韓国になっているのかと、左沢政治部長は理不尽性を感じてはいたが先ほどの天狗騨のことばが頭に残っていたため何も言えないでいた。

 天狗騨記者はこう言っていた。


〔2014年6月、大韓民国で画期的な動きがありました。韓国社会がこの動きに呼応し一大ムーブメントを起こしていたなら、少なくとも韓国社会の方については〝日本人差別社会である〟などとは言えなかったでしょう〕


「全ては言うな! どうせ韓国は米軍慰安婦問題の追及をしていない、とか言って非難するつもりなんだろう!」

「その通りですがそれだけでは韓国人に失礼でしょう。私は〝世界で2番目に日本人を差別する〟と言ったんです。その言い方じゃあ1番目と2番目という部分に差があることをまるで考慮してないじゃないですか」

「じゃあどこが違うってんだ⁉」左沢政治部長はイラつき声を荒げた。彼は韓国が攻撃される言論など聞きたくはなく、全て〝ヘイトスピーチ〟として片付けたかったが、天狗騨記者が相手ではかなり旗色が悪いことを自覚せざるを得ないのであった。


「米軍慰安婦訴訟を行っている弁護士達と、証言をしている元米軍慰安婦122人のハルモニ達の存在でかろうじて世界一の日本人差別大国でないと証明されたということです」

「じゃあこの話しはもう終われ!」

「あなたは聞きたくないのであれば帰れば良い。ただし、一旦始めたからには聴衆ゼロでも最後まで言わなければ私自身が公平公正とは言えない存在となる。そんなのはごめんですから」


 部下に『帰れ』と言われそのままおめおめと帰ってしまったら完全に敗北者である。衆人環視の中の敗北者。左沢はそんなものにはなりたくはなかった。そして一方左沢政治部長の〝聞きたくない!〟という要求すら無視して話しを続ける天狗騨記者。両者共に足に根が生えたようになっていた。


「まずは韓国政府についてです。米軍慰安婦訴訟で大韓民国政府は、なんと、原告側と争ったという事実を指摘しておかねばなりません。韓国政府は元米軍慰安婦達になんと〝消滅時効〟を主張しました。もちろんこれは一定期間権利を行使しなければその行使を制限するという法制度です。韓国政府は元韓国人米軍慰安婦達の国家賠償請求権は消滅時効によって終了した、と主張してきたのです! 日本人に対しては何年経とうと補償を求める韓国政府が米軍慰安婦問題についてだけは時効を主張したのです! まったく信じがたいことです! 日本人相手なら何をやっても良いという民族差別が正に形になってここに現れている!」


 ぐさり、ぐさりと身体を刺されたような痛みを感じる左沢政治部長であった。


「次は韓国の裁判所です。2014年6月に始まり、2017年1月にソウル地裁で判決が出た米軍慰安婦訴訟の判決についてです。判決そのものは原告勝訴なのですが、原告側が控訴しました。なぜ控訴が必要だったのか? その理由は明快です。韓国の裁判所が「被害者たちが基地村内での売春を強いられたり、やめられないほどの状態にあったと見ることはできない」として強制性を真っ向から否定し「韓国政府が売買春が容易に行われるよう基地村を作ったのは違法」という被害者たちの主張を認めなかったからです。日本軍慰安婦も米軍慰安婦も〝同じ行為〟をしているのにアメリカ兵相手だと途端に強制性が無いことになるという韓国の裁判所の判決内容は明らかに日本人に対して差別的だと言えます」


「——さらに原告側が「韓国政府が『浄化運動』などを展開して基地村の売買春を管理したのは違法行為」と主張しても韓国の裁判所は「このような指針は売買春関係者に対する性病検診・治療などの公益的目的を達成するためのものとみられる」との見解を示し、無問題としました! しかし思い出してみて下さい。韓国社会は日本軍慰安婦について軍が性病検査をしていたという〝関与〟であっても、『慰安婦に日本軍が関与していた!』と関与を追求し、日本人の罪だとして糾弾してきました。その整合性を韓国の裁判所は全くとろうとしていません! 韓国政府が米軍慰安婦に関与していたのは明らかなのですから当然同じ価値観を取るべきでしょう!」


 ぐさり、ぐさり、ぐさり、さらに身体を刺されたような痛みを感じる左沢政治部長。


「韓国政府や韓国裁判所といった韓国の公的機関以外の韓国人にすらも問題がある」天狗騨記者が無慈悲にことばを解き放つ。


(やめてくれ!)と左沢は思ったがむろん天狗騨に止める気配など無い。


「韓国、ソウルで毎週水曜日、日本大使館敷地前で「水曜集会」という、〝慰安婦を支援する〟と銘打った集会がずっと行われ続けています。主催者は『韓国挺身隊問題対策協議会』という名の団体でした。〝でした〟と過去形で言ったのはこの団体が近頃名称を変更し現在は『問題解決のための正義記憶連帯』と名乗っているからです。『』と一国の国名を名指しです! 驚くべき事に日本軍慰安婦しか問題にせず、韓国人米軍慰安婦の存在などこの団体の頭の中には無いのです!」


「——これが正義でしょうか? これで慰安婦だったハルモニ達の立場を代弁していると言えるでしょうか? 韓国人元米軍慰安婦のハルモニ達は悲惨な証言をしているというのになぜこの団体は『アメリカ軍性奴隷制』の追求をしないのでしょうか? 朝鮮戦争の時アメリカ軍が参戦しなかったら大韓民国なる国は間違いなく地上から消えていました。立場の弱い大韓民国、そんな国の女性達がアメリカ兵の性処理をさせられていたとなればこれこそが性奴隷ではありませんか!」


 さらに天狗騨記者がダメ押しをする。


「——韓国一の慰安婦問題追及団体の名は『日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯』。米軍慰安問題の追及などやらぬ、と、名は体を表しています。まったくこれほど解りやすい名も無い。まさに日本人だけを差別する団体だと自ら名乗ったのです!」


「——なぜ『日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯』なる団体は米軍慰安婦問題の追及を行わないのか⁉ 彼らのやっている行為は日本人に対する民族差別でありヘイトスピーチだ! 米軍慰安婦問題を追及しないで日本人だけを慰安婦問題で攻撃する団体が幅をきかせているのが韓国社会だ。現実を直視しましょう! これが韓国です。私は日本と韓国が連携しなければならないという義務は無いと考えます。韓国との連携が日本人差別を容認する行為となる以上、韓国と日本との連携政策は却ってこうした差別を助長する誤った政策であると断言するしかない! 差別と徹底的に戦い、差別を撲滅する行為こそが真のリベラル。これぞ正義です!」

 

「かっ、韓国様をそこまで悪者にするのか?」

「かんこくさま?」

「あっ、いや。韓国をそこまで悪者にしていいのか⁉」

「ヘイトスピーチだとでも?」


(あっ、あっ)

 米軍慰安婦問題の追及をしないで日本軍慰安婦問題だけを追及する行為についてこれが『ヘイトスピーチではない』と言える材料を持たぬ左沢政治部長であった。

 しかし悲しいかな、韓国が絡むとその場にとどまり切れず思わず脊髄反射でことばが出てしまう。

「そうだとも! それは韓国人に対するヘイトスピーチだっ!」

「違いますね」

「どうしてそう言えるっ⁉」

「何のために私が今まで延々アメリカ人を非難してきたと思っているんですか?」

(あっ!)とここで始めてその意味に気づく左沢。


「日本ではアメリカだけを非難すると〝反米〟にされる。それと同じ構造です。韓国だけを非難すれば〝ヘイトスピーチ〟にされる。それが残念な日本社会の現状です。だから私は両者公平公正に等しく非難を加えたんです」天狗騨記者は言った。


「——それより左沢さん、日本人しか非難しない者がずいぶんとたくさんいます。韓国人もアメリカ人も慰安婦問題では日本人しか非難していませんね? 慰安婦問題で日本人だけを攻撃する連中こそがヘイトスピーチをしていると、そう考えませんか? 私は慰安婦問題で日本人を攻撃した全てのアメリカ人と韓国人が、日本人に対するヘイトスピーチをしていると考えます。なぜなら彼らの中には米軍慰安婦問題という問題が存在しないことになっているからです。当然許せるはずがありません。追求を始めなければならない。左沢さん、アメリカ人・韓国人による日本人へのヘイトスピーチについて、どうお考えですか?」


(やってしまったっ!)と左沢。


 〝ヘイトスピーチ〟、それは日本人だけを悪者にできる便利なことばではない。鋭い切れ味を持つ諸刃の剣である。相手に奪われ振り向けられればたちまち我が身がズタズタに切り裂かれ二度と回復できないほどの致命傷を負う。


(『ヘイトスピーチは問題だ』とこのASH新聞は言う。ではなぜ外国人の日本人に対するヘイトスピーチを放置するのか? 果たして我々新聞に正義があるのか?)左沢政治部長はそう天狗騨記者に追求されているような気がしていた。

 〝日本人がアメリカ人や韓国人から差別を受けている!〟単純に短くこう言われてもなかなかその事実に気づかない日本人というものは多いものだ。〝唐突〟としか感じないであろう。どこから来る自信なのか、『日本人が差別など受けるはずが無い』と日本人は信じ込んでいるのである。一種の〝選民思想〟と言っていい。その堅固でいびつな〝常識〟を打ち破るためにはこれほどの長広舌が必要だったことももう今の左沢には理解できていた。


「に……日本軍慰安婦問題を追及した論理がことごとく米軍慰安婦問題にも当てはまることは解った。にも関わらずその対応がアメリカも韓国も一八〇度違っていることも」左沢はかろうじてこう口にした。要は取り繕いであり、体裁を整えたのである。


「そうでしょうとも! 日本人を差別する価値観が蔓延する社会を容認する国々との軍事的連携など論外だとご理解頂けましたか?」天狗騨記者の髭もじゃの口がニカッと笑った。


「——だがしかしどうだろう? それは感情論というものではないか?」左沢政治部長が意外なことばを口にした。


「ハ? と言うと?」


「北朝鮮という現実の脅威を目の前にしてアメリカや韓国と協調しないで日本一国だけでどうにかなるだろうか?」

「その三カ国が連携してなんとかなってきましたか? 北朝鮮の核開発が進んだだけでしょう。まさか私のした六カ国協議の話しをもう忘れたのですか?」

「〝協議〟の話しをしてるんじゃない! 純粋に〝軍事〟の話しをしているんだっ!」

「純粋に軍事、というと〝戦争〟の話しですか?」

「そっ、そうだとも! 戦争だ!」ある意味左沢政治部長は故意に地雷を踏んだ。

「それは珍しい。このASH新聞社中では将来の戦争の可能性の話しなど忌み嫌い、議論すら避けようとしてたというのに」

 それはあまりに露骨な天狗騨記者の嫌みだったがもはや左沢政治部長には〝現実主義〟以外に天狗騨と渡り合う武器が無いのであった。


 〝現実主義〟それは本当の意味での最後の切り札。

 『現実はこんなものだから我慢しろ』、こう言って正論を封じ、耐えさせるのである。これが現代日本人には実によく効く。


 しかし左沢政治部長は忘れていた。天狗騨記者は頭のネジが飛んでいるような男で全く忖度能力がゼロなのである。その上近年ASH新聞紙上で展開されたとあるキャンペーン報道の結果『忖度すること=悪』というイメージが世間一般に広くまき散らされたため、天狗騨記者は己の行動こそが正義であるという確信を益々強固なものにしていたのであった。ASH新聞のキャンペーン報道は知らず自らの身に危機をたぐり寄せているのである。

 さて、一般人に対しては伝家の宝刀となり得る『現実主義』。それに天狗騨記者はどういう反応を示すものか?

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