第二十六話【日本人がアメリカを見限る刻2 〝2015年2月〟事件】

「年が明け2015年2月、次の事件が起こります——」ASH新聞社会部所属天狗騨記者にはアメリカ人リベラル糾弾を止めるつもりは毛頭無い。


「——アメリカの歴史学者達19人が動き出したのです。普通なら米軍慰安婦を無いことにしているアメリカの大手教育出版社を非難するために良心的な学者が立ち上がったのだと、そう思うところですが、なんと彼らの行動は真逆でした!」


「——このアメリカの歴史学者達19人はよりにもよって、慰安婦問題を日本軍慰安婦問題に限定し米軍慰安婦問題を無いことにしているアメリカ・大手教育出版社の側に立ち、公然と日本政府の方への攻撃を始めたのです! アメリカ合衆国に正義を与える、アメリカ人に心地よい歴史観が書かれた教科書に公然と日本政府の要求が突きつけられたことによほど逆上したのだとしか考えられません!」


「——アメリカの歴史学者達19人は声明で、『第2次世界大戦当時、日本帝国主義により性搾取の野蛮なシステムの下で苦痛を経験した日本軍慰安婦に関し、日本と他の国の歴史教科書記述を抑圧しようとする最近の日本政府の試みに、我々は驚きを禁じえない』と主張します。さらには日本人大学教授の名前を引用した上で『日本政府の文献を通じた慎重な研究と生存者の証言は、国が後援した性的奴隷システムの本質的な特徴を見せているという点は論争の余地がない』とすら主張しました」


「彼らの声明の中で注目すべき部分はどこでしょうか?」


 天狗騨の問いかけ先はもちろん左沢政治部長。左沢は問われて詰まる。うぅむ、とただ苦しそうなうめき声をあげるだけ。天狗騨記者はそんな左沢をことばでいたぶるでもなく、どんどんと話を続けていく。


「それは『』という部分です。韓国人されています。もちろんその悲惨な証言もあります」

 天狗騨記者の鋭い目が左沢を射抜いた。

「う、うむ」反射的に肯定的な返事をするしかない左沢政治部長。

「ならば『アメリカ合衆国という国家が後援した性的奴隷システムの本質的な特徴を見せているという点は論争の余地がない』と、この19人のアメリカの歴史学者達は主張すべきではありませんか!」


「——ただ残念なことに、アメリカ政府の文献、あるいは韓国政府の文献を通じた米軍慰安婦の慎重な研究は存在しません。むろん研究が無いことをもってアメリカ合衆国に罪が無いことにはならない。日本の学者と違ってアメリカの歴史学者達は米軍慰安婦問題の研究などやろうとしないのですから無くても当たり前です」


「——アメリカ人の歴史学者達は日本の大学教授の研究を日本人差別のための道具としているだけなのです。自身の研究が他ならぬ日本人差別のために使われてしまった日本の大学教授の心中はいかばかりか!」


 天狗騨記者が真っ正面から左沢政治部長の顔を見る。


「……さぞかし、無念な事だろう」模範解答以外の回答は口にできない左沢であった。


「その通りです! もしかしたらアメリカ人歴史学者達は韓国人元米軍慰安婦に対する何らの罪悪感も持ち合わせていないのかもしれません。日本人を慰安婦問題で攻撃しながらこの態度、これは恐るべき事と言うほかない!」


「——またこうも考えられます。『米軍慰安婦』、『アメリカ兵と性』といったテーマで研究などをすればアメリカ合衆国自身の不利益になると、歴史学者達がそう考えている可能性すらある! 日本人は真面目に研究したばかりに悪となり、アメリカ人は損益を計算し研究しないだけで正義となり、しかも一方的な糾弾者になれる。これが正義でしょうか? アメリカ人リベラルはこれでも正義でしょうか? に言えるのは韓国人元米軍慰安婦のハルモニ達の悲惨な証言は! ということです!」


 天狗騨は敢えて〝確実〟を二度も繰り返した。彼の右手はぎゅうと握り拳になっていて、その拳を振っていた。


「——この19人のアメリカ人歴史学者達が慰安婦問題で日本人だけに攻撃を加えていたその時、既に米軍慰安婦訴訟が韓国で始まっていたんです! 彼らアメリカ人にあるんでしょうか? 人間としての良心というものが。しかしもう既に答えは出てしまっている! その答えこそがこの大手教育出版社、そして19人の大学教授達の言動です。自称良心的アメリカ人自身の行動が全てを語っている。日本人に対しては慰安婦問題で激しい糾弾を行う! だがしかしアメリカ人自身の慰安婦問題である米軍慰安婦の方は決して糾弾しない! 彼らを説明する最も最適なことばは人種差別主義者です! これ以外に選びようが無い!」


「——とは言え、この19人のアメリカ人歴史学者達だけが特異なキャラクター性を持っているわけではない! そのことを指摘しておかねばフェアじゃありません。彼ら19人が露わにした価値観はアメリカ国内の新聞・テレビ等で展開される標準的な価値観に過ぎませんっ! 〝日本軍慰安婦問題は厳しく追及するが米軍慰安婦問題に対する糾弾は行わない〟というのはアメリカのマスコミの標準的な価値観です。したがってアメリカのマスコミを説明する最も最適なことばも人種差別主義者ということになります。おそらくこの19人のアメリカ人人歴史学者達も、声明を出すにあたり、『自分達はアメリカ国内の常識を語っているに過ぎない』と、そういう認識しか持ち合わせていなかったことでしょう‼」



「——しかし、19人のアメリカ人歴史学者達はわざわざ声明を出したんです。その声明には目的があった筈です、果たして彼らはその目的を達したでしょうか?」


 一転天狗騨のトーンが落ち着きを取り戻した。

(どういうことだ?)とその急変ぶりにいぶかしげな左沢。



「——結論から言えばその声明は情緒的反応に過ぎずアメリカ合衆国の利益にはまるで寄与しなかった。なぜなら、いくら激情に駆られ日本政府を口汚く罵ろうと米軍慰安婦が確実にいたという事実は否定しようが無かったからです」


「——その上19人のアメリカ人歴史学者達の声明に対し、即座に日本人の歴史学者達から反論が表明されました。こんなことはこれまでに無かったことです。慰安婦問題で日本人を叩いておけばたいてい日本人は温和しくなった。だがこの時、これまでの常識はもはや通じなくなっていました。日本人からの反論を許した時点でこの声明の失敗は誰の目にも明白となっていました」


「——そこで彼らアメリカ人リベラルは2015年5月に新たな事件を起こしました。19人の約十倍、今度は187人もの歴史学者達を集めての数の論理です。187人もの歴史学者達は慰安婦問題についての『新たな日本非難声明』を発表したのです。この時の声明には2月の声明と明らかに違う箇所がありました。従来のこの手の非難には無い〝新機軸〟があったのです。それこそが『米軍慰安婦問題の火消し』という〝軸〟なのです!」



 天狗騨記者の話しを聞きながら、手をキーボードの上で動かしながら、中道キャップは考えていた。

(あの187人もの学者達の声明の目的が『米軍慰安婦問題の火消し』? そうだったろうか?)と。



 このASH新聞社会部フロアはこの時概ねふたつの価値観に分断されつつあった。

(詳しい中身はすぐこの後天狗騨が言うだろう)中道キャップのように天狗騨記者の次のことばを待つ者がいた。その一方——


(今、なにげにコイツアメリカのマスコミも人種差別主義者だと言い切りやがったよな?)その物言いに嫌な、とても嫌なモノを感じていた左沢政治部長。彼は自身の身体の硬直すら自覚していた。だが何も言えない。触れたくない、触れてはならないと本能的直感が彼に告げていた。そして、この左沢の感覚もまた彼だけの独特のモノではなかった。そんな彼らには、この話しを止めさせた後起こるであろう事態の転移の方が怖くなっていたのだった。



 だからこの間も天狗騨の演説は流れるように続いていく。止めようとする者は誰もいない。

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