第十八話【『民族学校は日本国内に存在しない方が良い』】
「ああ、あの件ですか」と天狗騨記者。
「どうだ! 言い逃れはできまいっ!」と無理矢理に意気軒昂な左沢政治部長。
「民族学校など無い方がいいに決まってるでしょう」天狗騨は言った。
「あ、っ、あっ、あっ、ああっ! あっさり言い切りがやったな!」
「民族学校って何を教えるところですか? 民族を教える。民族教育するための学校ですよ。まったく感心できませんね」
「キサマぁ、自分が何を言っているのか解っているのか⁉」
「もちろん解ってますよ。アドルフ・ヒットラー・シューレみたいな学校が日本国内にあることを積極的に肯定できるはずないでしょう」
「完全な差別だっ! よりにもよって民族学校とヒトラー学校を一緒にするとはっ!」
「独裁者の肖像画を掲げて民族教育を行う。どこからどう見てもアドルフ・ヒットラー・シューレの相似形の学校じゃないですか」
「……」
左沢政治部長は詰まった。天狗騨記者も黙り込んだまま。
「へ……」左沢の口が動く。
「へへ?」
「へへ、」
「何がおかしいんです?」
「おかしいわけないだろっ! 天狗騨っお前ヘイトをしやがったな天狗騨っ! 辞表だっ! 今すぐ辞表を書けっ!」
「いつの間に北朝鮮に複数の政党ができていたんでしょう? 党がひとつしかないのなら独裁者がいるに決まっているでしょう」
うぐっ!
日本のすぐ近くに独裁者がいる。この冷徹な事実は普段、ASH新聞社内では忘れられているようなところがある。
「あまり固有名詞で物事を考えない方がいいですね。相手国は独裁制か民主制か、ここが重要でしょう」
「ちっ……」
「違う違う違う違うっ! この話しは元々独裁がどうとかいう話しじゃなかったはずだ! 〝独裁者の肖像画云々〟とは言ってなかったはずだぞ! 独裁者がいようといまいと〝民族〟はいる! 〝民族〟はある!」
「もしかして、独裁者の肖像画が掛けられていなかったら、民族教育は認めるほかないだろうと、そういう問いですか?」
「そうだっ! お前は独裁者に関係なく民族学校を否定していただろう⁉」
「その通りです」
「はははっ、残念だったな〝独裁〟に話しをずらそうとしてもこの俺にその手は通じないっ!」
「そうですね。彼らの民族教育を潰す権限は日本のどこにもありません。しかし〝民族教育〟自体を好ましいと思うか思わないかについては自由のはずです。私は民族意識を高める教育など論外だと、そう考えています」
「彼らは自らのアイデンティティー確立のための教育をしているだけだっ! それを否定するのかっキサマはっ!」
「しかしその彼らの〝アイデンティティー〟に問題があるように見えますが。北朝鮮という国の歴史観から鑑みるに『我々の民族がいかに日本から危害を加えられてきたか』という教育をしているのは火を見るよりも明らかでしょう」
「キサマーっ、日本は朝鮮を侵略し植民地支配したんだ。それを教育して何が悪い⁉」
天狗騨記者はこの時内心思っていた。
(その歴史観は確実に日本の朝鮮半島統治下の時代に朝鮮人人口がおよそ2.4倍に増えたという事実は無いことにしているだろう。それどころか逆にその歴史観は〝日本の朝鮮半島統治下の時代に朝鮮人が大量に殺され人口が激減した〟というフィクションだけは有ることにしているだろう)と。
また彼はこうも思っていた。
(史上最も朝鮮人を殺した国がどこかと問われればその答えは北朝鮮という国になる)、と。
(——まず朝鮮戦争がある。この戦争を開始したことでどれほど多くの戦没者がでたことか。また、自国民がどれほど飢餓状態に陥っていても委細構わず核開発に貴重な資金をつぎ込んでいく国民の生命無視の国策————)
ただ彼は日本の右派にしか見えないことをあまり声を大にして言いたくはなかった。その点彼もどこかASH新聞記者なのである。
「否定せず『当たり前』と言ったって事は左沢さん、あなたも『我々の民族がいかに日本から危害を加えられてきたか』っていう教育が民族学校で行われていると、そう思ってるってことですね?」天狗騨記者は極めて穏当な突っ込みにとどめておいた。
「うっ、うるさいっ! それよりお前、『だから無償化の対象外』とか言い出すまいなっ!」話しを逸らした左沢政治部長であった。
「こうした外国人の民族教育のために日本国の税金から学費の支援をするというのは許し難いとする右派の主張の方が、少なくともこのASH新聞の主張より納税者の理解を得やすいんじゃないですかね」天狗騨はそう応じた。
解説しよう。高校無償化、あるいは幼保無償化という無償化教育政策が次々取り入れられるこの日本で『外国人の民族教育のための学校も無償化すべき』というのがASH新聞の社論なのである。天狗騨記者はまたしてもここでも社の方針に逆らっていた。
「この右翼排外主義者め! 今すぐ在日コリアンに謝罪しろっ! そして辞表を書けっ!」
「別に在日コリアンそのものを否定してはいませんよ。『出て行け』などとは言っていませんし」
「ごまかすな! 全然認めてないだろう⁉」
「彼らが『我々は日本人とは違う民族である』という意識を持つところまではいいんです。いくら私が個人的に〝民族〟なる概念を否定したくてもあの民族とこの民族は違う、様々な民族がいるというのが現実ですから。ですが〝教育〟となると話しは別になる! 私は民族教育には他の民族を攻撃する攻撃性があるという現実があること、これを指摘しているだけです。その先にある民族対立という未来が見えないんですか?」
「見えないな! そんなものは! 日本人が攻撃されても我慢すれば対立など起こらない!」
「無理でしょう。攻撃された側は当然怒りを覚えますよ。社説で再三再四〝多文化・多民族共生社会〟を謳いながら民族対立を煽る教育を逆に支援しようとするとは」
「民族対立を煽る教育など無い! 朝鮮は被害者のはずだ。被害の歴史だ!」
「残念ながらどんな〝名分〟を掲げようと民族教育で民族意識を高めれば別の民族との対立を引き起こすんですよ。ろくに批判能力を持たない年少のうちから民族意識という価値観をすり込まれたらどういう結果になるか、もう分かりきったことですよ」
「詭弁を弄すな! 在日コリアン差別をそんな屁理屈でごまかせると思うなよ!」
「繰り返しますが別に私は外国人差別をしているつもりはありませんよ。なにせ『アイヌ新法』にも反対していますから」
あああああああっ⁉
左沢政治部長は度肝を抜かれた。
「ああっ、アイヌのための法律にも反対っっっっっ⁉」左沢が悲鳴にも似た叫びを上げた。(まさかここまでとは——)と思ったのであった。
「『先住民族の権利を護るべき』とか法律でやっちゃったのは政府の大失策でしょう」天狗騨記者は言った。
「こっ、このネトウヨめーっ! お前の言い草は典型的ネトウヨそのものだーっ! オフラインだが価値観がネトウヨだーっ!」
つまらない突っ込みをされないように今度は予め〝オフライン〟と言っておいた左沢政治部長であった。
「ネトウヨと私が同じ?」天狗騨が訊いた。
「ザイニチを攻撃したかと思ったら今度はアイヌとか。さしずめアイヌ利権があるとか言い出すんだろう⁉」
「まだ何か勘違いをされているようですが私が言いたいのは外国人も日本人も関係が無いということですよ。日本の国内で〝民族〟なんてことばが軽々しく使われていることに危惧を抱いてるんですよ」
「うるさい黙れっ人種差別主義者め!」
「〝民族〟は違うんでしょうけど〝人種〟は同じじゃないですかね」
「揚げ足をとるなーっ! さあこの民族差別、どう落とし前をつける!」
さりげなく〝人種差別〟を〝民族差別〟と言い換えた左沢政治部長であった。
「何かを言えば返ってくることばが〝差別〟、〝差別〟と。ジャーナリストをやっていてその程度が感想の全てですか?」
「その程度だとっ⁉」
「国家が〝民族〟を語り出したことが問題だと思わないんですかーっっ!」
「思わんっ! なぜならその民族は国内の少数民族だからだ!」
「そう言う割には政治部は中華人民共和国のチベット民族、ウイグル民族に冷淡のようですが。いったいいつそれらの民族に対する虐殺について非難記事を掲載したというのでしょう?」
「やかまっしい! それらは全部『中華民族』に含まれるんだっ!」
「ああ、『中華民族』、比較的最近造り出された謎の民族ですか。私は『漢民族』という民族については認識していますけど、さて、『漢民族』と『中華民族』とは何がどう違うんですかね?」
「キサマっ! 善人ぶるなよ! お前こそ日本国内の少数民族に冷淡なくせに! 近頃沖縄では『琉球民族』にも〝先住民族としての権利を認めるべき〟という主張がある! これについてお前の存念を述べてみろ! 天狗騨っ」
「感心はできない動きです」
「それも否定するつもりか!」
「否定ですね。どうも『中華民族』と同じく私には最近造られた民族のように見えます」
ちなみに日本政府の公式見解は『〝アイヌ民族〟はいるが〝琉球民族〟はいない』というものである。
「お前はやっぱり差別主義者だ! 沖縄の人が『琉球民族がいる』と言ったらいるんだよ!」
「〝お前の存念を述べろ〟と言ったのはあなたじゃないですか」
「うっ、うるさいっ!」
「では日本国内に『アイヌ民族』がいて『琉球民族』もいる、としましょう」
天狗騨記者はこの流れの中で何事かを思いついたようである。
「〝しましょう〟じゃないっ、いるんだよっ!」左沢政治部長が大声で怒鳴る。
「だとすると『アイヌ民族』でもなく『琉球民族』でもないそれ以外の日本国籍保有者はいったい何民族でしょう?」
左沢政治部長の攻勢が止まった。
「沖縄では我々のことを〝ヤマトンチュー〟というそうです。そうなると我々は『ヤマト民族』ということになるじゃないですか」天狗騨は言った。
「やっ、大和民族っ⁉」
「あそこに住んでいる人々はナニナニ民族、こっちに住んでいる人々はマルマル民族だと言っておいて、じゃあ民族集団に所属していない人間はこの社会にいるのか? ってことですよ」
「デスクはどうです?」天狗騨記者は社会部デスクに話しを振った。だが当然彼には回答など用意できていない。それをいいことに天狗騨記者は話しをどんどんと進めていく。
「しかもです、アイヌ新法で『先住民族の権利は保護すべし』という価値観に法的裏付けを与えてしまいました。ほとんどの日本国籍保有者は縄文人か弥生人の子孫ですよ。縄文時代となると一万二、三千年前から二千三百年前、その後に続く弥生時代の最も新しいところをとっても千七百年前です。その頃から住んでいる人間の子孫なら一般的日本人も十二分に先住民族になります。先住民族は後から来た民族に対して優越的権利を持つのが正しいのなら、当然この権利を使おうとする動きがあっても不思議じゃない。むしろ使わない方がおかしい」
「多数派の民族に権利は無いに決まってるだろうが!」
「『多数派の民族には権利は無い』、それ、社説で書けますか?」
左沢政治部長は再び詰まった。
「『或る民族には権利があって、別の民族には権利が無い』、そんなことを肯定する左沢政治部長、あなたこそが民族差別主義者だ!」
「ふっ、ふっ、ふざけるなっ!」
「別にふざけてはいません。論理的帰結です。日本の政治家のマヌケなのは少なくともこれまでの日本はアメリカ合衆国のような移民国家などではなく、国民のほとんどが先住民族であるという認識無しに『先住民族の権利を護る法律』を作ってしまったことです。当然普通の日本人が先住民族の権利を主張しだしたら〝民族教育をするための民族学校〟なるものが現出するのも時間の問題です。『外国人のための民族教育をする学校』が国内にあることをもって『あの民族がやっているのだから我々の民族もやる権利がある』という流れになるんですよ。だから私は民族学校の存在を快く思いません。これが独裁者関係無しに民族教育を行う民族学校に否定的な理由です。何か疑問はありますか?」
「しかしそれでもアイデンティティーというのかな……」
極めて遠慮がちにそれでもなお『外国人のための民族教育のための学校』を擁護してみる左沢政治部長であった……が、しかし、
「それぞれの民族意識は薄めた方が多文化共生に繋がりますよ」天狗騨は言った。
多文化共生————天狗騨記者の見事なまでのASH新聞的模範解答だった。
左沢政治部長は奥歯をメリッと割れんばかりに噛み込んだ。
(日本国内の〝民族学校〟はしょせん北朝鮮系……、そうだ。ならば韓国だ。韓国なら俺が負けるはずはないんだ……)そう思い込んだ。
「天狗騨っ、お前『〝徴用工問題〟で日本を攻撃する韓国は卑劣』と言ったそうだな⁉」
「言いましたが」
「それに対する申し開きを俺は聞いていない」
「申し開きするほど悪いことを言ったとは思っていませんが」
「確かに〝徴用工〟を蒸し返した韓国には問題が無いとはいえない。だが〝卑劣〟とはなんだ! あまりに度の過ぎた非難はヘイトになるんだよ!」
(しょせん『北朝鮮』と『北朝鮮系』ではダメだった。擁護を貫くには無理があった)左沢政治部長の最後の切り札は韓国となっていた。
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