第78話 シーズ・ソー・ビューティフル(19)

(1)


 寝室の窓硝子にぽつ、ぽつと、細かな水滴の跡が残されていく。

 ベッドに浅く腰掛けていたフレッドは窓辺に立つと、薄いレースのカーテンをそっと開いた。


「雨??」


 ベッドに横たわったまま、顔だけこちらを向けるエイミーに頷いてみせる。


「この様子だと雪に変わるかもしれないな。少し前に洗濯物を室内へ入れておいてよかった」

「洗濯物ありがと。今年のクリスマスはホワイトクリスマスになりそうね。今年はお義母さん達のミンスパイが食べられなくて残念だなぁ」

「医者から少なくとも年内は自宅で絶対安静って言われたんだし。仕方ないさ」

「アルフレッドだけでもクリスマスディナー参加すればよかったのに」

「切迫流産と悪阻で寝込んでるのを一人置いて出ていく訳にいかないだろ。あとでシャーロットが料理や菓子を届けてくれるみたいだし、あんたは大人しく休む事だけに専念していればいいって」

「……うん」

「それとも、寝たきり状態に退屈してきたか??」


 エイミーはうっ……と、言葉を詰まらせると、わざと寝返りを打ってフレッドに背中を向けた。分かり易すぎる反応に思わず噴き出してしまう。


「ちょ、笑わないでよ!」

「悪い悪い」

「絶対悪いと思ってないし、絶対面白がってるし!」

 笑いを噛み殺して枕元に近づき、ベッドの端に腰を下ろす。エイミーはフレッドをちらりとも見ようとしない。だが、顔を見なくても膨れっ面なのは間違いない。寝乱れた髪から覗く耳も、髪の色と同じく真っ赤だ。

「子守歌でも歌ってやろうか??それか、絵本でも読み聞かせようか??」

「~~っ……!結構ですっ」


 すっかり拗ねてしまったエイミーの機嫌を直すべく、柔らかな赤い髪を指先で掬い取るように撫であげる。静かな室内に雨が屋根を打つ音だけがやけに大きく響いた。


「……安静にしていれば、ちゃんと育ってくれるかな……」


 雨音に紛れてぽつり、エイミーは不安を吐露した。

 初めてできた我が子を失いたくないのはフレッドも同じだ。けれど、『大丈夫』と安易に答えていいものかも分からなくて、フレッドは黙ってエイミーの髪を梳き続けるしかない。


「この子は神から授かったクリスマスプレゼントギフトみたいなもんだ。『やっぱり返せ』だなんてケチ臭いことはしないだろう」

「ケチ臭いって……」


 神への敬意があまり感じられない発言にエイミーは閉口した。無神論者ではないにせよ、フレッドは敬虔な信者とも言い難いので(加えて元来の性格も踏まえて)、捻くれた物言いになってしまう。

 しかし、この発言に脱力したからか、フレッドの指が心地よかったのか。髪を梳かれる内にエイミーはうとうとし始め、いつしか夢の中へと紛れていった。







(2)


 家族揃って屋敷で過ごすクリスマスは何年振りだろうか。


 使用人たちが慌ただしく料理を運び、食器類を順番に並べていく。同じテーブルの上座に座す父と左隣の席――、本来は母の席に座し、談笑を交わすナンシーの姿を、自席に着きながらサスキアは眺めていた。


 染み一つ見当たらない、清潔なテーブルクロスの白さも、綺麗に磨かれた銀器類の輝きも。見慣れた我が家のものなのに、やけに余所余所しさを感じるばかり。

 ぎらぎらと脂ぎり、肥え太った七面鳥の丸焼きのグロテスクさ、チューリップグラスに注がれた赤ワインも人間の生き血を飲まされているよう。口に入れるごとに少しずつ食欲が失せていく。料理の味付けもワインも上質な味わいの筈なのに、砂を噛まされている気分だ。


 父とナンシーの背後に見える暖炉の炎が、サスキアを嘲笑うかのごとく赤く燃え盛っている。ここはお前なんかがいるべき場所じゃないと。

 同じテーブルに座っているのに、父とナンシー、サスキアの世界は薄くも強固な硝子板で隔たれているようで、彼らの話し声すら耳に届いてこない。

 それでも、あの絶対的な硝子板の向こう側へサスキアの声を届けなければならない。



「お父様」

 サスキアの呼び声は確かに聞こえた筈なのに、二人は会話を止めない。

「お父様、アレンさん」

「なあに、サスキアさん」


 やはりと言うべきか。無視を決め込む父に代わって応えるナンシーに、お前と話したい訳じゃない、と内心で吐き捨てる。その内心を顔や声色に出さないよう注意を払い、不審の視線のみを向ける父を真っ直ぐに見据えた。


「お母様と別れて、アレンさんと結婚しても構わないわ」


 会話が止まるだけでなく、食事の手さえ止めて二人はサスキアを凝視してきた。

 中途半端な高さ、位置でナイフ、フォークを持ったまま固まる二人に、メデューサを見て石化した人間はこんな風なのだろうか、などと、どうでもいいことがほんの一瞬だけ脳裏を過ぎる。

 矢のように容赦なく突き刺してくる視線の痛さ煩わしさに、眉を顰めたいのを堪え、努めて平静を装い、更に続けた。


「二人の仲睦まじさを目の当たりにし続けていたら、何だか少し」


『気の毒に思えてきて』『可哀想に思えてきて』も違う。口に出したら気分を害されるのがオチだ。

 そうかと言って、後に続けるべき適切かつ心にもない言葉がなかなか思い浮かばない。最も、これから彼らに打ち明ける話の内容は少なからず不快感を与えるだけ。

 しかし、考えあぐねているサスキアの様子をナンシーは都合よく捉えたらしい。程良く厚みのある唇はくっきりと弧を描いている。父の、不審と疑心に満ちた眼差しは全く変わらないけれど。


「今になってどういう風の吹き回しだ。一体、何を企んでいる……??」


 異形の怪物でも相手取るかのような、怯えと恐怖心に染まった父の表情の滑稽さときたら!可笑しくて緩みそうな口元を引き締めてみても、完全に笑みを打ち消すには至らない。

 サスキアが薄っすらと微笑んでいるのが父には不気味に映るだろうに。


「企むようなことなど何も。ただ、私とお母様、お父様とアレンさん。双方が幸福になるため、最善の方法をずっと考えていただけです。ただし、手放しで二人の仲を認めるつもりはありません。私が今から提示する条件に従ってもらえるなら」

「条件……??」


 揃って表情を曇らせて、顔を見合わせる二人へとサスキアは、淡々と事務的に告げた。


「条件は五つあります」

「……五つも??」

「一つ目は、母との離婚後も慰謝料代わりに施設料金はこれまで通り支払い続ける事。二つ目は、私が屋敷を出る事、学生寮への入寮を許可する事。三つ目は、大学卒業後の私の姓を、マクダウェルでも母方でもなく、全く別の新しい姓への変更を許可すること。四つ目は、私はマクダウェル家の跡目は継がない。アレンさんとの子供を次期当主に据えること。例えアレンさんとの間に子供ができなかったとしても、マクダウェルの家を私は引き継がない。最後は、大学卒業後、仕事で生計立てられるようなり次第、私がお母様を引き取るか、施設料金を払うかする。以上です。この条件全て飲んでもらえるなら、お母様との離婚裁判で二人に有利となる証言を行うと約束します」

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