第76話 シーズ・ソー・ビューティフル(17)
(1)
車道を挟む歩道脇の街路樹が電飾に輝く。ちらつく粉雪の白さ、渋滞する車のテールランプの赤灯が相まって辺りは夜とは思えぬ明るさだった。時々クラクションが鳴らされる列の中には深緑色のローバーミニも混ざっていた。
サスキアが参加した曲の演奏終了直後、緞帳が降りゆく舞台に駆け込んできた女性教員から聖歌隊の到着が伝えられた。本当にありがとうございました、とバンドメンバー一人一人に礼を述べる女性教員を適当にあしらいながら、手早く機材を片付ける。手持ちの機材は勿論、アンプ類、キーボードセットを音響卓とは反対側、下手側の袖の奥へと関係者全員で片付けていく。
「サスキア」
ギターケースとエフェクターケースをそれぞれの腕に下げ、修道服に身を包んだ聖歌隊と入れ替わりで舞台裏から外へ出る途中、少し離れて後ろをついていたサスキアを振り返る。
「本当は俺じゃなくてエイミーに会いたかったんだろ、容体次第にはなるが会わせてやるよ」
サスキアを伴って病院へ向かう。なぜそうしようと思ったのか自分でもよく分からない。分からないが――、明らかに戸惑った顔を見せるサスキアに構わず続ける。
「ついてくるのかついてこないのかはサスキアに任せる。迷うのは構わないが、とりあえず俺は急いでいるし先に駐車場に行くから」
立ち止まって逡巡するサスキアに再び背を向ける。屋外と舞台裏を隔てる扉を開け外へ出ると、サスキアが遠慮がちに駆け寄ってきた。
駐車場に移動する間も車に乗り込んでからも二人は無言だった。
なかなか前進しない状況にイライラし、つい舌を鳴らす。普段は車中で流しっぱなしの音楽も今は止めていた。
「ねぇ」
「なんだよ」
助手席からの呼びかけ。舌打ちを咎めるつもりかと身構えたが、言葉は続かず短い沈黙が降りる。もう一度問い返そうかと思ったところでようやく言葉が降ってきた。
「今日、コンサートを観に行って、しかも演奏できて……、楽しかった。音楽で心を動かされたのは初めてだった……」
「今までは楽しくなかったのか??」
サスキアが首肯するのが気配で分かった。
「家のための義務でしかなかったから」
「……そうか」
「気づかせてくれてありがとう」
いつになく素直なサスキアに、顔は変わらず前方を向いたまま、フレッドの目が丸くなった。折よく車の列も進み、少しだけ前進できた。
「お父様には許してもらえないかもしれないけど、自分が楽しむために演奏する機会があったらいい、って思」
「別に許されなくたって、自分がやりたきゃ好きにやりゃいいだろ」
サスキアの表情が僅かに歪んだのがフロントガラスに薄く映り込む。
「ヴィクトリア朝でもあるまいし。上流のお家事情なんて俺にはさっぱり分からんし分かるつもりもない。でも、体裁気にする割にマクダウェルのクソ当主は随分とだらしない生き方しているよな」
『お父様の悪口言わないで』と非難覚悟で発した言葉だったが、意外にもサスキアは渋面を浮かべただけで特に反論しなかった。
だが、どんな親であろうと人から非難されるのは不快だろう。フレッド自身、
「演奏中のあんたはいい顔して笑ってたぞ」
「え」
「取り澄ました冷たい笑顔でも嘲笑でもなく、心から満たされているのが伝わってくる、いい笑顔だった」
「…………」
「血が繋がっているとはいえ、俺はサスキアにとって他人同然の存在だ。今あんたが苦しんでいる家族問題に救いの手を差し伸べることはできない。それだけは分かってくれ。ただ……」
「ただ??」
「……マクダウェルの家族問題を持ち込まないのであれば、例えば音楽の話をしたいとかなら、たまには家に来てもいい」
今度はサスキアの目が丸くなったが、あえて見ない振りをする。また何を言い出したのやらと、自分自身でも驚きを隠せない。
血は繋がっていなくても、このお節介気質は間違いなくオールドマン家から受け継いだものだろう。思い起こせば、エイミーとの関係が深まったのも唐突なお節介がきっかけだったような。
「しょっちゅうは困るけどな。たまに、たまにだからな。あと来るときは事前に連絡してくれ」
言い訳がましく条件をまくし立てると、運転に集中する振りで押し黙った。
これ以上喋ろうものなら、余計な発言を繰り返しそうだから。
(2)
救急外来の受付でエイミーについて尋ねると、
サスキアと共に受付から続く長い廊下を真っ直ぐ進み、突当たりを右へ。更に奥へ進んで二番目に現れた扉上部の室名を確認し、扉を開ける。
扉を開けるなり、消毒薬の臭いが鼻腔を刺激した。カーテンやパーテーションで区切られた簡易ベッドが奥に数台、医療器具、各検査機器類に囲まれた長椅子にはエイミーの姿はなくジルだけが座っていた。
救急外来を利用しても待機患者の数、もしくは当直医の気分もとい状況次第では余程の緊急性がない限りは何時間も待たされるのはザラである。下手すればトリアージュで一晩過ごす羽目になることも。
今夜は患者の数が少ないのか、当直医の当たりが良かったのか、もしくは――、余り考えたくはないが、緊急を要する程エイミーの容態が悪いのか。
悪い想像が脳裏を過ぎる。扉を閉めたはいいが立ち尽くすフレッドに、ジルはサスキア共々隣に座るよう手招きした。
「この子も連れてきたの」
「あぁ……、エイミーに会わせるつもりで」
「そのエイミーだけど、さっき診察終わって……、一晩入院することになった」
「なんでだよ、そんなに悪いのか?!」
思わず身を乗り出し、掴みかかりそうな勢いでジルを問い詰める。珍しく言い淀むジルだったが、迷う素振りを見せつつも口を開く。
「本当は、本人から直接聞いた方がいいんだろうけど……、あの子、妊娠しているみたい。今四週目の半ばだって」
最近の体調不良はそのせいだったのかと腑に落ちる。悪い想像が外れて安堵の余りに喜びよりも脱力の方が大きかった。
おめでとう、と告げるジルにフレッドは繰り返し頷くだけで精一杯だ。
「ただ……、喜んでばかりもいられないというか……」
「??」
「下腹部痛と軽い出血があって切迫流産かもしれない。本人は生理前の身体の変化の一種と思い込んでたらしいだけど。急激に調子悪くなったのはつわりと下腹部痛我慢して貧血になったからみたい」
脱力した筈の身体が硬直し、顔から血の気が引いていく。途方に暮れたようにジルを仰ぎ見る。
「そんな顔しない。今は不安定でも、しばらく安静に過ごせば症状が安定してくることもあるから。ひとまず病室に顔出してきなよ。あと、暗い顔はしない。まずは喜んであげな。妊娠に気付かなっただけじゃなく、切迫流産って知らされてショック受けてるのはあの子も同じだから」
「……わかってるさ」
舞台裏で叱責された時と同じく、不貞腐れた態度で席を立つ。込み入った二人の様子を横で黙って見守っていたサスキアもつられて立ち上がった。
「折角連れてきてもらったけど、私、やっぱり今日は帰るわ」
「……そうか」
「あの」
「なんだよ」
「……おめでとう。その、きっと、元気に生まれてくる、と思う……って、エイミーさんに伝えておいて!」
フレッドが口を開く前にサスキアはくるりと背を向け、彼より先に廊下へ出て行った。その背中を追うため部屋を出る。フレッドが向かう方向とは逆側、先程通った玄関へと慌ただしげに、且つ、なるべく音を立てないよう静かに歩くサスキアの元へと急ぐ。
「ちょっと待てよ」
「なに、私よりもエイミーさんの傍に早く行ってあげれば……」
「帰るって、どうやって帰るつもりなんだ??生憎、昼間ならともかく夜の病院になんてこちから呼び出さない限りはタクシーは来ないぞ。外へ出て呼び出すにしても若い女一人で街頭に立つなんて危なっかしい」
院内の静寂を乱さないよう小声でぼそぼそとまくしたてれば、サスキアはきょとんと見つめてきた。
「なんだ、その顔」
「……いつになく私に親切なのね」
「強引に連れ出したのは俺だ。帰りに暴漢に襲われでもしたら寝ざめが悪くなる。少し待てるなら、母さんとトリアージュで待って欲し」
待って欲しいと言い切る前にフレッドは言葉を切った。正しくは切らざるを得なかった。
背後の自動ドアが開いて吹き込んだ夜風の冷たさ、静寂を破るべく飛び込んできた声にサスキアも振り返ざるを得なかった。
「サスキア!」
「サスキアさん」
受付の前を素通りして二人に近づいてきたのは、ナンシーとマクダウェル氏だった。
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