第61話 シーズ・ソー・ビューティフル(2)

(1)


 フレッドとエイミーが結婚したのは今から約五ヶ月前――、春から初夏へと季節が移りゆく頃だった。地下鉄爆破事件で負った怪我が完治するのを待って彼女の実家へ挨拶へと赴いたのだ。


 エイミーが兼ねてから懸念していた通り、彼女の両親は二人の結婚に難色を示したし、フレッド自身や彼の家族に向けて侮辱的な発言も口にしたが――、最終的に『エイミーには最早何の期待も抱いていないから、勝手に結婚でもなんでもすればいい』と、結婚の許可らしき言葉(突き放しただけでもあるが)を得るのは成功した。エイミーと両親との間の溝は埋められなかったが。


 少しずつ関係を修復し始めていたアナイスも間に入り、エイミーが両親に向けてこれまで抱えてきた思いの丈をぶつけ、長い時間話し合ったが駄目だった。


 血の繋がり=愛情や理解を得られるとは限らない。フレッドは身を持ってよく知っている。エイミーも、『両親と上手くいかない分、せめてアナイスとは仲良くやっていければいい』という結論に泣く泣く至った。


 細かい経緯はどうあれ許可を得た後の行動は早かった。


 翌日には早速結婚指輪を注文し、役所で入籍届を提出。三ヶ月後には新居へ引っ越した。正しくは、新居ではなく生家に戻った形になる。

 フレッド達は現在、オールドマン家と二軒続きの隣家、かつてアビゲイルとデボラが暮らしていた家に住んでいる。十五年前にデボラが逝去して以来、長らく空き家になっていたのだ。


 当初は別の物件を探していたし(ちなみに物件探しは結婚前から少しずつ始めていた)、かの空き家を思い出した時も『あそこはないな』と新居候補に入れることなく打ち消した。暗い思い出しかない場所にわざわざ戻るなんて、と。


 しかし、他の物件を調べれば調べる程、立地条件といい購入金額といい、フレッドとエイミー、互いの職場との通勤距離といい、皮肉にもかの空き家は一番条件が良かった。加えて、隣近所には家族を含めて見知った者も多い。

 配偶者の実家とは適度に距離を置きたがるものだが、実家と折り合いが悪い分、エイミーはオールドマン家との積極的な交流を望んでいる。

 散々悩んだ末にフレッドが身の内に抱えたものに折り合いをつける形となった。


 以来、過去の夢を見る機会が増えた気がする。さして気に病む程じゃないけれど。











(2)


 ブックトラックを押しながら各本棚を渡り歩き、分類番号を元に手早く且つ要領よく配架していく。自然と歩調も速まるが、消音性の高い床マットのお陰で館内の静寂は保たれている。


 勤続年数が一〇年近いフレッドにとって配架は手慣れた仕事だが、慣れるまでが大変な仕事でもある。分類番号を覚える・いかに速く配架するかの他にも、何冊もの重たい本を抱える体力も必要とされるからだ。古い本や貸出が少ない棚の本だと服を汚すことも。

 図書館員の服装は『男性職員はワイシャツとネクタイ、スラックス着用(ジャケット、ベストは任意)。業務内容に応じてエプロン、アームカバーも着用可とする』と規定されている。

 グレー系か薄い水色のワイシャツにダークグレー、濃紺等のネクタイ、サスペンダー付きのスラックスに規定の黒無地エプロン、アームカバーが勤務時のフレッドの服装だった。エプロンの似合わなさには定評あるものの、服を汚すよりはマシだと思う。

 ちなみに別の地域の図書館では、図書館名のロゴ入りオリジナルトレーナー着用必須だと聞いた。それに比べたら、似合わないエプロンを着用する方が断然マシだと思う。


 服の汚れ云々はともかくとして。配架は着々と進み、ブックトラックの本は三分の一以下まで減っていた。更に奥の本棚に移動すると、本棚の前でよろめきながら脚立に登ろうとする女性の後ろ姿が見えてきた。


「ダーネイさん」


 音量は控えめだがはっきりした声で呼びかける。

 フレッドの存在に気付かずにいた女性は、脚立の一段目に片足を掛けたまま小さく悲鳴を上げた。危うく腕に抱えた本数冊を落としかける有様に目を覆いたくなった。


「驚かせて悪かったね」

「い、いえ……、私になにか??」

 脚立から床に足を戻した女性のネームプレートには『実習生』の文字。彼女は司書資格取得のために数日前から実習を受けている大学生だ。

「カウンターが混雑してきたから至急受付業務に戻って。配架の続きは僕がやっておく。それから」

 眼鏡の奥で目を細め、厳しい口調で告げる。

「配架に時間が掛かり過ぎている。うちではやらないが、配架する時間をタイマーで計るところもあるくらいだ、気を付けるように」

「……すみません」

「まぁ、慣れもあると思うけど。速く正確に配架するコツを自分なりに考えて、わからなければ他の職員に聞いてみてもいい。皆、親切に教えてくれる筈だよ」


 表情と声を和らげ、胸に抱えた本を渡すようにと手を差し出す。実習生は本を受け渡す際、じぃっと結婚指輪に視線を落としてきた。またか、と、少しうんざりする。


 仕事を指示する際、彼女が必ずと言っていい程毎回指輪を注視してくるのは何故なのか。


 結婚指輪を元に結婚生活やエイミーについて質問責めされるのも鬱陶しいが、特に何を聞かれるでもなく、それでいて物言いだけに注視されるだけというのも反応に困ってしまう。せいぜい気付かぬ振りをするしかない。

 フレッドの内心など知る由もなく実習生は慌ててカウンターに戻っていった。遠ざかっていく背中を横目に、気を取り直して配架の続きに取り掛かった。







(3)


 実習生の残りも含め運んできた本の配架は完了した。

 カウンターに戻ろうとブックトラックの持ち手を握りかけた時、複数の子供の騒ぎ声が二架奥――、児童書棚辺りから聞こえてきた。

 騒々しさが一瞬程度であれば見逃そうかと思ったが、声は益々喧しくなる一方。ブックトラックはその場に一旦置いて児童書棚へ急ぐ。


(踏み台使用時の転落防止も含め)児童書棚の一番上段にはあえて本を置いていないにも関わらず、数冊の絵本が無造作に置かれていた。正確にいえば、置いてあるというにはページが開きっ放しだったり、棚から半分以上飛び出て今にも落ちそうだったりと、まるで雑に放り込んだようにも見える。

 その児童書棚の前には一〇歳くらいの少年が三人。その内一人は小柄な東洋系で、残る二人は栗色と暗めの金髪でどちらも大柄だった。


 二人の少年は一冊の本を宙で投げ合っていた。

 東洋系の少年は拙い発音で「返せ!」と叫び、明らかに彼と身長差がある二人の周りをぴょんぴょん飛び跳ねている。


「そこで何をしている」

 足音を立てずに声を掛ければ揃って飛び上がらんばかりに驚き、盛大な悲鳴が上がった。

「図書館では静粛に」


 床に落ちた本を拾い上げ、あえて無表情で少年達を見下ろす。

 淡々としつつも高圧的な口調、刺すような怜悧な視線を受けた少年達は嘘のように大人しくなり、全員無言で項垂れる。

 こういう時に冷たい顔立ちと180㎝近い長身はよく役に立つ。


「あれは君達がやったのか??」

「…………」


 だんまりかよ、と心中で悪態をつき、眼鏡の奥から睨みを利かせる。すると、東洋系の少年が「本を投げた、上に。僕が借りた本。彼らが、投げた」と、必死に訴えかけてきた。


「おい!余計な事は……」

「本は玩具じゃない。大切に扱ってください。万が一本を破損させ、当館で修復不可能と判断した場合は弁償金を支払ってもらいます」


 弁償金という言葉を殊更強調してみせると、「え、カンベンしてよ……」と暗い金髪は不服げに呟き、栗色は唇を尖らせた。反省の色が見られない少年二人に咳ばらいすれば、びくっと肩を大きく震わせる。


「今回は注意だけに留めますが、こんな悪戯は二度としないように。いいですね??」


 消え入りそうな声で不承不承返事をすると、暗い金髪と栗色は脱兎のごとく本棚の影から退散していく。ドタドタと忙しない足音は遠ざかっても尚、静かな館内でよく響いた。

 逃げ足だけはやたらと速い、と呆れて鼻を鳴らせば、一人取り残された東洋系の少年が怯えを含んだ目でフレッドを見上げてくる。


 拾った本の表紙を改めてしげしげと眺めてみれば、対象年齢は少年よりもずっと低く、三、四歳の幼児向け絵本だった。発音の拙さや留学年齢には満たない年頃から推測するに、この国で暮らしてまだ日が浅いのだろう。ひょっとすると絵本で言葉を学ぶつもりかもしれない。


 最上段に投げ入れられた本は踏み台を使用しなくとも、爪先立ちすれば辛うじて手が届いた。

 腰を屈めて「どうぞ」と拾った本と一緒に手渡してやる。少年はぺこぺこと何度も平身低頭に礼を述べて受け取った。


「ちょっと待ちなさい」


 もう一度控えめな声で礼を述べ、この場から去ろうとした少年を呼び止める。少年が振り返ったのを確認すると、フレッドはワイシャツのポケットからメモ用紙とボールペンを取り出した。

 不思議そうな少年の目線を受けながら、痛烈な皮肉を込めたブラックジョークの例文をいくつか箇条書きでさらさらと書き上げる。


「次にあの悪ガキ共に絡まれたら、No!と叫んでこの言葉の内のどれかを言ってやるといい。ただし、いざ口にした時に途中で詰まったり発音を間違えたりしないよう、よく練習しておくこと」


 聞き取りやすくゆっくりと、理解しやすいように一語一語をはっきりと。同じ言葉を二、三度繰り返し言い含め、メモ用紙を差し出す。

 つぶらな瞳を白黒させ、少年はメモ用紙とフレッドを何度か見比べていたが、やがて、上目遣いでフレッドの顔色を窺いながらおどおどと受け取った。


「僕、この言葉、言える??」

「ちゃんと意味を調べて正しい発音で練習すれば、きっとすんなり言えるだろうし、悪ガキ共も見返してやれるさ」

 唇の片端を引き上げてにやりと笑ってみせる。ついでに口調も砕けたものに切り替える。言葉遣いの違いまでは理解できていないだろうが、『怖くて厳しい』と評判の図書館員の意外な表情に少年はあんぐりと大きく口を開けた。

「偶にならいいが、学校はあまりさぼるなよ??クリスマス休暇はまだまだ先なのに、平日の午前中に小学生が図書館にいたらサボりの可能性が高いってことだし」

「う……、ごめん、なさい」

「運悪く、あの悪ガキ共もサボりで図書館来る途中に鉢合わせたか、待ち伏せされていたか」

「なんで!!わかるの?!」


 分かるも何も、少年が置かれている状況はかつてのフレッドが通ってきた道と似ているから。

 少年の問いにあえて答えず、フレッドは更に笑みを深めた。


「さぁ、何でだろう??まぁ、それはともかくとして。今日の所は学校には内緒にしておくから、好きなだけ館内にいるといい」

「いいの?!」

「あくまで今日だけ。今日だけ特別にな」


 おどおどと暗く冴えない様子から一転、少年は年相応の明るく無邪気な笑顔を浮かべた。

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