第28話 マイ・アイロン・ラング(5)

(1) 


 天井から壁、床に至るまで白一色に統一された空間は、二〇帖の広さも相まって写真の撮影スタジオを彷彿させた。ただし、部屋全体を照らすのは撮影用の各照明ではなく一般家庭用の蛍光灯、カメラや三脚ではなくギター、ベースアンプ、ミキサー卓、マイクスタンド、ドラムセット、キーボードスタンド、譜面台、スピーカーが設置されている。

 バンドリーダー宅にある、この防音室に初めて通された時、フレッドは感動すら覚える程に驚いた。下手な音楽スタジオよりも良い機材が完備されていたからだ 

『プロミュージシャンの夢を家族ぐるみで後押しする』とかで、彼の両親は惜しみなく投資してくれるという。上位中流アッパーミドルは金の使い方が違うとある意味感嘆する一方、甘やかされている気もするが。


 平日と、土日のどちらか一日の週二日、六時間のスタジオ練習。

 一月に一度、メンバー四人各自が作った曲を持ち寄って新曲選考。(と言っても、作曲は主にバンドリーダーのギタリストかフレッドのどちらかで、残るベーシストとドラマーはもっぱら曲選びするだけだが)

 新曲が決まればアレンジや歌詞も考えなければならず、ライブが決まれば当日のセットリスト候補の曲の練習もしなければならない。

 このバンドに加入してから一年が経過した現在、バンド活動がフレッドの時間の大半を占めていた。勿論、単位を落とす訳には絶対いかないので大学の勉強も怠らず、その合間を縫ってはアルバイトし、ナンシーと過ごす時間も忘れない。

 フレッドの生活は多忙を極め、良く言えば充実している。だが、時折、肺が鋼鉄と化してしまうかのような息苦しさを感じないでもなかった。


 ソフトケースからギターを取り出す。

 中古楽器屋にて格安で手に入れたエピフォン・カジノ・クーペ。

『いかにも労働者系バンドが好みそう』と、バンドメンバー達からは不評ではあったが、この国の名だたるロックミュージシャン達が愛用しており、音も外観も非常に気に入っていた。

 しかし、チューニングを済ませた後は軽い音合わせに入るでもなくギターをスタンドに立て掛ける。他のメンバーも同様に楽器をスタンドに立て掛け、各々が壁際に重ねて置かれた黒いパイプ椅子を手に、ドラムセットの前に円になって集まった。パイプ椅子を運ぶ途中で、フレッドとバンドリーダーはギターアンプ上に置いたデジタルボイスレコーダーと五線譜を手にしていた。


 エドとリュシアンとのバンドはセッション形式で曲を作っていたので、簡単なコード符さえ書ければ良かったが、今のバンドはDTMで各パートの音を作り込んだ上で五線譜も書かなければならない。

 ナンシーの協力もあり、この一年で音楽理論を随分と理解できたし、今ではどちらの作業も何の苦もなくできるようになった。その知識でこのバンドの方向性、特に発言権が一番強いバンドリーダーが好む曲を大して悩まなくとも作るくらいはできるようにもなった。


 けれど、フレッド自身がそれで楽しいのかと問われれば、『YES』とは決して言い切れない。


 今日提出した楽曲も、バンドメンバーから概ね好評を得た。

『Am―Em―G―Cだと、ちょっと泥臭い気がするよね。フレッドはマイナー進行の曲を作りがち』とは言われたけれど、『一応は及第点』だと結局は新曲に採用されたけれど。

『ロックは労働階級連中だけのものじゃない。僕ら上流に近い者ならではロックを表現したい』

 上流ならではのロックって何だよ、音楽にまで階級持ち込むのかと、鼻白んだのは一度や二度だけではないし、彼らとは本来の自分がやりたい音楽性、そもそもの人間性が合わない。脱退したいと何度考えたことだろうか。

 だが、皮肉にもフレッドのやる気とは裏腹に、彼が加入したことでバンドの人気が上がってしまったため、メンバーは彼を手放したがらない。最近ではデモ音源を片っ端からレコード会社に送っている。

 今のところ、どの会社からも反応はないのがせめてもの救いで、どうせなら全部の会社から相手にされなければいいのに――、などと、我ながら最低で酷い希望を抱いていた。そんな昏い希望を胸に抱くのも訳があってのことだったが。


 新曲選考はフレッドが持ち寄った二曲、リーダーが持ち寄った三曲中一曲に決定した。曲が決まったことでミーティングは終了、パイプ椅子を元の壁際に戻して演奏準備に取り掛かる。

 やっと楽器に触れ、歌い、叫べる。合わない音楽性と人間であっても演奏中は別だから。

 肩に掛けるストラップでギターの高さを調整、チューニングし直すとシールドをアンプに差し込みかけた時、「そうだ、皆に良い報せがある」とリーダーの、幾らか弾んだ声が背中に届いた。


「デモ音源送った会社から連絡が来たんだ!」

 指先でシールドの先端を掴んだまま、自分でも驚く程に素早く振り返る。

「本当か?!」

「どこの会社からだ?!」

 ベーシストとドラマーが、リーダーに食い気味に尋ね、リーダーは二人を宥めるように、それでいて誇らしげに口角を引き上げて答える。数多くの有名ミュージシャンを輩出する、国内最大手のレコード会社だった。

「いいか??まずは、〇月×日に社内オーディションがあるから本社に来て欲しいそうだ。まだ少し先だけど、何があってもその日だけは絶対に空けておくんだぞ??」

「そんなの当たり前だろ!」

「親の不幸があったとしても行くに決まってるさ!」


 抱えた楽器やスティックを放り出しかねない勢いで、興奮して頬を紅潮させるメンバーとは反対にフレッドの顔面は青褪めていく一方だった。









(2)


 籐製のパーテーションで仕切られた個室を照らす照明はフロア席よりも少し薄暗く、すぐ傍の窓からは高層ビルや街一帯が一望できた。ビルとビルの間で夜空を彩る月や星々が瞬いているが、ギラギラと輝くネオンの光で霞んでいる。

 高級ホテル最上階にあるレストランでナンシーと食事をしながら、ふと、あの星々と我が身が重なって見える、気がした。


「何だか浮かない顔ね」

 向かいの席に座るナンシーが、グラスを傾けながら小首を傾げた。

 ハーフアップに結った黄金の巻毛と、グラスの中身と同じシャンパンゴールドのワンピースが照明の光で輝きを増している。

「少し、考え事していて……、ごめん」

「気を悪くした訳じゃないの。ちょっと心配になっただけ」


 ワイングラスをことり、聞こえるか聞こえないかの小さな音を立てて置く。

 まるでそれが合図だったかのように、デザートを運んできたウェイターが空いた皿を取り下げにくる。ナンシーの皿にはまだローストビーフと添えのポテトが四分の一程残っていたが、「下げて頂戴」と告げ、カスタードの海に沈む薄茶色のシナモンプティングの皿と入れ替わった。ナンシーが無言でプティングを食べ始めたのでフレッドも彼女に倣う。


「私で良ければ話を聞くわよ??」


 カスタードの海には一切手を付けず、プティングが四分の一まで減ったところでナンシーは食べるのを止めてフレッドに向き直る。しばらく逡巡した後、フレッドはようやく口を開いた。

 先日のバンド練習での出来事、彼が顔色を失くした理由――、社内オーディションと司書講習の日にちが重なっていることを。


「まさかと思うけど、司書講習のためにオーディション受けないつもりじゃないでしょうね??」


 ナンシーの少しだけ尖った声がフレッドの胸を鋭く突き刺す。

 あくまで笑顔は保たれているが、フレッドが意に添わない言動を口にすると機嫌を傾ける時がしばしばあった。この反応をされる度、フレッドの舌は凍りつき何も言えなくなってしまう。

 彼女に嫌われたくない。

 オールドマン家の家庭事情だけでなく己の複雑な出生を打ち明けても尚、『生まれなんて関係ないわ。私は貴方自身が持つ才能が好きなの』と受け入れてくれたから。 あの女アビゲイルのように誰かの代わりではなく自分自身を――、そう信じていた。


「司書講習は毎年開催されるのだし、何もわざわざ今年受けなくたって……、来年受ければいいじゃない。社内オーディションがきっかけでプロデビューが決まれば、司書の資格なんて必要ないでしょ。ねぇ、フレッド。よーく考えて??司書なんて勉強さえすれば誰だってなれる職業じゃない。限られた人しか持たない才能を存分に発揮させる方が貴方のためだと私は思うの。折角の才能を無駄にするなんて……、絶対駄目よ」


 子供の頃から図書館で働くのが夢であり、そのために大学に進学したことをナンシーは知っている筈なのに。

 この時、フレッドの中でナンシーへの不信感が僅かに芽生えたが、彼はあえて気づかない振りを決め込んだ。

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