第16話 シーズ・ソー・クール(13)

(1)


 クリエイターズショーに向けての準備は着々と進行し、衣装デザインやショーの構成も決まってきた頃。

 街中心部のオフィスビル群の中の一つに設けられた事務所ではその日、ジルを含めた参加モデル達が衣装採寸の打ち合わせに集まっていた。


 天井と床以外の壁全面が鏡張りの室内には集まったモデル達がお喋りする声、互いを値踏みし合う視線が混ざり合い、様々な香水の匂いが充満している。

 二十名近く集まったモデルの他にも各ブランドから派遣された採寸スタッフ、事務所の応援スタッフ、応接セットに座って採寸の様子を見学する上役らしき紳士達数名がこの場にいて、人口密度の高さからか室内の気温も自然と高まっていた。 

 鏡張りの壁面を背に立つモデル達の肩周りからバストサイズ、腰回り、ヒップサイズ……を、スーツ姿の女性達がメジャーで手際よく採寸していく。ジルもスタッフの指示通りに姿勢を正して両腕を上げたりしていると、三十歳前後のラフな服装の男性が彼女に近づいてきた。


「や、ギャラガーさん、調子どう??」

 男が笑顔で話し掛けてくると、多数の視線(主に同業者モデル達)がさりげなくジルに注目した。それもその筈、男はショー企画の中心を担うデザイナーの一人だったから。

「えぇ……、ぼちぼちですね。衣装の完成も今から楽しみですし」

「僕もだよ。特に、僕がデザインした衣装を着た君がランウェイを歩く姿、本当に楽しみなんだ」

「ありがとうございます」

「僕はさ、ディータ・リチャーズが描く君の絵のファンでね。君が着たら似合いそうな服をデザインすることもあって、いわば君は僕のミューズみたいなものかな」

「はぁ……」


 周囲から浴びせられる矢のような視線が肌を突き刺してくるが、とりあえずは『営業用』の笑顔を張りつけて適当に相槌を打つ。彼なりの激励のつもりだろうし、さすがに仕事中に口説くようでは公私混同も甚だしい。

 最後にもう一度ジルに笑いかけると男は他のスタッフの下に行き、軽い打ち合わせを始めた。すぐに離れてくれてホッと胸を撫で下ろし、中断していた採寸を再開した。


 今日は衣装の採寸のみだったので、終わった者から順に個々に解散していく。いつの間にか仲良くなった者達は連れだって帰ったり、室内や事務所内の廊下に残ってお喋りに興じている。

 ジルは挨拶もそこそこにさっさと部屋を出て帰ろうとしたが、ふいに背後から肩を叩かれたので仕方なく足を止める。


「ジルちゃん、お疲れさまー」


 やけに甘ったるい猫なで声で話しかけてきた女を見て、誰だっけ、と、ぼんやりと思い出そうとする。

 ジルより背が高く、零れそうに大きな瞳にぽってりとした厚い唇の華やかな美人かつ、愛くるしい笑顔は人好きする印象だが、その笑顔からはジルへの興味や好奇心――、余りよろしくない意味での――が、透けて見える。

 彼女の隣では、だらっとした姿勢でズボンのポケットに手を突っ込み、くっちゃくっちゃとガムを噛む少女がジルを睨みつけている。


「ねえねぇー、私達、これからカフェでお茶するつもりなんだけどぉ、ジルちゃんも一緒に行かなーい??」

「…………」

「ねぇー、行こうよぉー、ベルちゃんもジルちゃんと仲良くなりたいみたいだしぃ」


『ベルちゃん』と呼ばれた少女は、相変わらず凄みのある顔つきでガムを噛んでいる。躾が行き届いていない不細工な小型犬みたいだな、と失礼な感想が頭を過ぎった。

 何にせよ、どう頑張ってみても彼女達と仲良くなれそうな気がしない、否、なりたいとすらも微塵に思わない。


「他の子達も誘ったらぁ、皆行くって言ってるしぃー、親睦も兼ねて……」

「行かない」

「えぇ??」

「悪いけど、私は遠慮するわ」 

 断った途端に女の笑顔は凍り付き、見る見るうちに口元が歪んでいく。

『ベルちゃん』の目付きが一層鋭くなった気がするが、ジルの知ったことではない。

「じゃあ、お先」


 突き放す形で女から離れ、扉を開ける。

 廊下に出て扉を閉めた瞬間、さっきまでの甲高い猫なで声から一転、『ひゃひゃひゃ、調子こいてんじゃねえよ』と嘲笑混じりの低い声と、『ですよね、何様って感じっすよー』と同調するベルちゃんらしき声が漏れ聞こえてきた。 

 丸聞こえなんだけど。否、わざと聞こえるように言ったに違いない。

 扉から見て向かい側にあるエレベーターの前に立ち、▼のボタンを押す。早く来て欲しい時に限って中々降りてきてくれない。

 苛々している内に、今し方出てきた事務所の扉が開く。あいつらじゃないよね、と再び警戒心が呼び起こされたが、例の二人ではなく別のモデルだった。


「ギャラガーさん、大変だったね」

 やっと降りてきたエレベーターに共に乗り込むなり、気の毒そうに話し掛けられた。

「何が??」

「あの二人よ。パリスは世界の一流ショーでも活躍するプロモデルで、ベル・ブルームは今回のショーの出資者の娘ってことでちょっと扱いが面倒な人達らしいわ」

「へぇ……、要は、肩書とか親の七光りを振りかざして調子づくタイプって訳ね」


 ジルの辛辣な物言いにたじろぐモデル仲間に、図星なんだな、と失笑が漏れてくる。

 ビルの入り口で彼女とは別れ、一人地下鉄の駅へ向かう。一人になるやいなや、鞄からイヤホンを抜き出しMDウォークマンを再生させる。

 まだ日が高い時間帯なのに、陽射しを遮るかのようにそびえ立つ高層ビル群の影が歩道も車道も覆い尽くしている。すれ違う人々も皆スーツ姿で忙しなく歩いている。カジュアルなニットにジーンズで軽快なロックを聴く自分はさぞや異質に見えるだろう。


 そういえば――、子供の頃もクラスメイトの女子でああいうのがいたな、と、ふと思い出す。プロを謳っているなら、あからさまな嫌がらせとかはさすがにしてこないだろうが、面倒なことには変わりない。

 だけでもへりくだって上手くあしらった方がいいのかもしれないが――、こういう時はチェスターなら卒なく躱せるのだろう。


 しかし、アパートに到着したジルを、更なる『面倒』な事態が待ち受けていた。






(2)

 

 ジルのアパートがある区画は、労働者階級や低位中流の単身者が多く住まう地域で、最寄りの地下鉄の駅から一〇分と掛からずに到着できる。

 いくつものアパート群を通り抜けていく内、白い石造りの外壁に、異国の漆器の色に似た黒い屋根とアーチ形の玄関扉、外壁と同じ白い石造りの玄関ポーチに階段のアパートがジルの自宅だ。階段から歩道に続く石畳との境には、細く背の低い黒の鉄柵で仕切られている。

 その鉄柵の前で、右往左往と歩道を行ったり来たりを繰り返す人影が見えた。

 目を凝らして不審人物の動きを注視、やがてアパートに近づくにつれ、それが誰なのか分かってしまった。


「お母さん……??」

「……ジル……」


 振り返った母は顔面蒼白で迷子の子供のように震えていた。

 ジルの顔を見て安心するどころか、泣き出したいのを必死に堪えてさえいる。


「ああぁぁ……、ジル!!何度も電話したのにちっとも出てくれないから、お母さん、ずっとここで待ってたのよ?!」

 母は飛びつくようにジルに詰め寄ってくる。

 さりげなく後ろへ下がり、母との距離を少し開ける。

「そんなこと言われたって……、今日は仕事だったから仕方ないじゃない……。でも、血相変えたりして、一体どうしたのよ。……とりあえず、私の部屋に上がって何があったか話してくれない??」

「あのね、ジル、よく聞いて……、お父さんがね……」


 ――大工仕事の最中、足場から転落して……、病院に運ばれたの!――


 今度はジルの方が母に詰め寄る番だった。


「お母さん……、お父さんは無事なの??怪我ってどの程度なのよ??すぐ病院に向かうから、お母さんも一緒について来て!!」


 緊急事態に関わらず、なぜ病院に直行せずに母は自分の帰りを待ち続けていたのか。

 つい母を責めたくなったが、それどころじゃないので怒りと叱責の言葉を肚に収める。ところが、当然ついてくるものかと思ったのに、母からは信じられない言葉が返ってきた。


「ジルが代わりに病院行ってくれるなら、お母さんは今からうちに帰るわね」


 何を言っているんだ。

 舌打ちした後、今度こそ叱責しようとしたが、これもまた思い止まった。


「……もしかして、一度は病院に寄った上でアパートに来たの??」


 それならば問題はないし、そうであって欲しいと願ったが、次に母の口から飛び出した言葉は予想以上に最悪なものだった。


「違うわ、お母さんは病院なんかに行ってないし、今からでも行く気なんて全然ないの。あんたにお父さんの様子見に行って欲しくて、ここでずっと待っていたのよ」

「……は??……私がいつ帰ってくるかなんて分からないじゃない。たまたま、この時間に帰ったから良かったものを。私なんか待たずに、先に一人で病院行けば良かったじゃない」

「だから……、お母さんは病院に行きたくないのよ……。何度も言うけど、お母さんの代わりにあんたに行ってきて欲しいのよ」

「……何言ってんの。お父さんが怪我して病院運ばれたのよっ!」

 母の勝手極まる言い分にジルは遂に声を荒げた。

 しかし、母は娘に怒鳴られたのが如何にも不服、とばかりに唇を尖らせて反論する。

「……やあねぇ、そんなに怒鳴らないでよ。お母さん、このアパートに来るのだって本当にしんどかったのよ??お母さんは疲れているの」

「…………もういい。この際お母さんは病院に行かなくてもいいから、どこの病院かだけは名前と住所を教えてよ」


 話がまるで噛み合わなければ相互理解も得られない。一向に埒が明かない。

 苛立ちながらも母に病院の名前と場所を教えてもらうと、ジルはすぐさま父が待つ病院へと急いだ。

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