第157話 依存症者の告白(157)

 幼少時、私と近しくなった友達は、なべて「おとなしい」子ども達だった。活発な子とは、私は一線を画していた。よく動く、口も行動も達者な子は、私の自由を奪う気がしたからだと思う。


 しかし女の子とは、活発な子とよく遊んでいた。友達として、男の子はおとなしいのを好み、女の子は男まさりの子を好んでいたようだ。


 大人になっても、基本的にこの「好み」は変わっていないように思える。

 仏教的に考えるなら、前世で活発な男から私は痛い目に遭い、おとなしい女からイヤな思いをしたのかもしれない。


 赤ン坊は、親を選んで生まれてくるという話がある。

〈生まれた時から、知ってるよ〉吟遊詩人の、この言葉も引っ掛かる。

 知らないことは、本人が知っていることを意識していないだけで、ほんとうは、知っているような気がする。

 知るということは、知った自分を知ったから、知ったような気になるのであって、その自分を知らなければ、何も知らない気になるのではないか、と。


 なぜ私に「好み」があるのか、私は知らない。他者との間に、合う・合わないの相性があるのかも、ほんとうには知らない。ただ、自分の好みに反する人とでも、好みの人に対するのと同じように、接せられたらと思う。そうした方が、自分のためになることは、オトナになって知ったつもりでいるのだが。

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