第118話 依存症者の告白(118)

 あなたは、好きなひとに愛情を表現する場合、どのようにそれをするのだろう?

 抱擁、言葉、美味しい食物づくり、いつも笑顔…


 抱擁の場合、あなたは心からそのひとを抱きしめていられるだろうか。私は、できない。できても、数秒で終わる。ほんとうに、相手を愛しいと思っている。しかし、あの性欲がむくむく飛翔増大し、私の気持ちを覆しにかかってくる。


〈ソクラテスもプラトンも、あの欲の前では吹っ飛んでしまう〉


 まるで、そのひとへの愛情は、性欲に取って代わってしまう。悲惨なことだ。

 愛情は、そのひとへ伝わらぬ限り、自己の内にしか留まらない。思いは、何らかによって表象されて、初めて相手に送られる。

 しかし、一体何のために、そうしなければならないのか。


 幼少時、あのオモチャが欲しいと、よく泣いた。好きになったひとに打ち明ける時、あのわがままさと似た心根が、意識できなくもない。

 私の場合、初恋の相手に告白するまで、約1ヵ月を要した。友達だったから、「愛してる」などと言った暁には、もう親交の機会さえ失われてしまうと思った。しかし、打ち明けないと、苦しかった。こちらの気も知らないで(知るわけがないのだ)、無防備にけらけら笑っている彼女に、私はひとりでムッとしたりしたものだ。


「分かってほしい」気持ちがあったと思う。だが、その気持ちを持つ自分自身は、なぜこんな気持ちになるのか、てんで分かっていないのだった。


 その初恋は、成就した。だが、打ち明けた時点で、もう自分の中で、ひと仕事、何か終わった気がした。もう、あとは、知らない。言ってしまった。終わってしまった。それだけだった。


 われわれは恋人どうしになったが、そうなると、また私の胸の内で別の思いが萌芽した。「受け止めてくれた彼女に報いよう」というような思いが45%、「この関係の維持に勤めよう」が55%、そんな割合だったとおもう。


 だが、「自分ひとりでも大変なのに、ふたりになってしまった。自分はこのひとを背負ってやっていけるのか」と、重荷に感じていたのも確かだった。

 人間との関係で、私はうまれて初めて「責任」らしきものを感じていた。


 しかし結局、要は、楽しければいいのではないか。

 もっと、もしかして、単純でいいのではないか。

 少なくとも、相手との関係の上では。

 あとは、私の自分との関係だ。


 今は、そんな感じになっている。


 愛していると言いたいから言う。

 美味しいものを、喜んでほしいから作る。

 憂鬱な顔をしているより、笑っている方がいいと思うから、笑う。


 相手を思う心は、べつに表わそうと努めなくても、自然に形になって現われてしまうものだろう。ただ、抱擁時の、性欲だけが難しい。

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