第88話 依存症者の告白(88)

 しかし、よくぞ死刑制度が続くものだと思う。

「あなたの子どもが殺されたら、あなたも犯人を殺したいと思うでしょう?」

 誰かが私に言った。

 残念だが(自分に言っているのだが)、私はそう思わない。きっと、あなたの言う、考えるところの「人間」から、私は脱落しているのだ。


 自分の子どもが殺されたら。

 悲しむと思う。泣くと思う。苦しむと思う、けれど、そこで私は止まりたい。止まってしまうと思いたい。そして止まると思う。

 つまり、私はいつも自分のことで手一杯で、それがたとえ自分の子どもが殺され、私が相手を殺したい感情に潰されたとしても、私にはそれを覆すほど、自分のことにさらに手一杯にしてのめり込むだろうと思う。

 軽々しく言っているのではない。私はそれほどに、自分が内向、内攻することを知っている。


〈結局人間は攻撃的にできている〉


 その刃は、私に向かう。相手を殺す前に、私は自分を殺すだろう。


 私が死刑に首を振るのは、その殺人犯も、生きているからだ。


〈なぜ罪人を、わざわざ、さっさと安楽のかの地に向かわせるのか〉


 手抜きだと思う。少年院、刑務所は、政治の世界と変わらないのではないか。

 犯罪者は、われわれが生きるこの世界で、歪んでしまった犠牲者ではないか。犠牲者が犠牲者をつくり、怨みが怨みに向かう。なぜそうなってしまうのか。

 なぜ犯罪が起きたのかということにフタをして、手っ取り早くカタをつかせ、済ませるだけの制度ではないか。そして「あんな鬼畜、死刑以外にない」「人間じゃない。さっさと死刑にしろ」と観客どもが言う。

 その鬼のような心、人間じゃない心を持った犯罪者も、あなたや私と同じ、この同時代に生きる、ヒトであるというのに。いつだって、誰だって、鬼になり、人間じゃなくなることができるというのに。

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