第76話 依存症者の告白(76)

 作家の北杜夫は、蚊に刺されて、その箇所を掻く時、「とても気持ちがいい」と言う。つまり蚊は、かれに快感をもたらす媒介になっているのだ。

 そんなふうに、「いやな存在」に対して行けたらいいと思う。いやな思いをしたら、それは、日頃忘れがちな自分の精神を、よくケアするために与えられた、良い機会だというふうに考えられたらいい。


 まったく、何かイヤなことでもない限り、私は空っぽな自分であるような気がする時がある。イヤなことがあって、初めて自分の中に何かが立ち上がり、鎌首をもたげるような動きをみせる時がある。


 思想家のモンテーニュは、困った時に神頼みをしないという。平穏、無事である日常の中にいる場合に、神に心から感謝をするという。困った時は、なぜこうなったのかを自分で考えるのだという。これが、神に対する、正しい姿勢であるように思う。


 手塚治虫のブッダによれば、「この世に必要でない存在はひとつもない」という。すべてが、細かい網の目になって繋がっている。その微妙なバランスによって、この世界は成り立っているのだ、と。


 何年か前、「障害者は社会の何の役にも立たない」という理由で、施設にいた彼らを殺した若者がいた。いかにも正当的な理由を掲げたかれに、「そうではない」と、説得、納得させる言葉を、私は持てそうにない。


〈人間って、助け合うことができると思うんだよね〉


 これは私の、やはり施設で働く友達の言葉である。

 しかし、何もそれは人間に限った話でなく、むしろ人間が知らないだけで、この世界が発生した始まりから、そうなっていたように思う。

 自然は、何も思わず、考えず、補い合い、何の心もなく、助け合ってきたように思う。

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