第58話 依存症者の告白(58)

 むかし、何かのサイトで見たことがある。パチンコ依存症の夫を抱えた妻が、「夫は、怒りっぽくなった」と言うのを。

 自分でも、思い当たる。つまらない、些細なことで、イライラするようになったな、と。

 この心因は、「思い通りにならない」ことへの、子どものようなダダであるに違いない。


 日常生活で、ただでさえ思い通りにならぬことで満たされているのに、パチンコ屋はさらにそれに追い打ちをかける。思い通りにならない時間が凝縮され、濃厚な、何のためにもならない鬱憤ばかりが募る。しかも、何もわざわざ、やらなくてもいいことなのだ。それをやっている自分への苛立ちも、「怒りっぽくなる」性格の強化に惜しみなく加担する。


「パチンコから帰ってくると、顔つきが違う」恋人に言われたことがある。

 どんな場所で、どんな時間を過ごしてきたかは、顔つきなり、雰囲気、その人となりとなって、隠せようもなく表れる。

「前の会社で、ずっとパワハラに遭ってきたんですよ」と言う人が職場にいたが、彼はどこか屈折した目つき、態度だった。毎日、理不尽な上司と同じ空気を吸うには、自分を曲げなければ、変質させなければ、ならなかったろうと思う。


 一流と目される企業で責任を背負い、長い歳月、いかにも真面目に働き、まるで家族を立派に養ってきたかのような自負をもつ人は、家の中で王様気分でいらっしゃる。


 小さくても、まじめにしっかり仕事をこなし、妻や子どもに居丈高になるわけでもなく、誰にでも笑顔で、まるで無理をせずマイペースで歳を取ってきたかのような、個人商店の主人もいる。


 どんな親の元に、どんな環境に生まれるかは、選べないけれど、あるていど生きれば、自由である。

 チベットに行こうが、穴を掘って暮らそうが、自由に選び、決することができる。

 自分の居場所も、やるべきことも、自分で決めることができる。

 自分は、自分によってつくられていく。

 自由、自由であること!

 パチンコ屋に行くことは、星の数ほどある自由選択の1つとして、「行かない」方向へ、私は自分の目先を持って行こうとしている。

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