第49話 依存症者の告白(49)

 今日は、パチンコ屋に行っても不思議ではない。自分の中に、あの自堕落な、堕ちていくような感覚に身を任せたい欲求が、強く息巻いているのが分かる。

 

 暑い。眠い。平日の、昼間の1時半前。世間はお盆休みらしいが、無職の私には同じことだ。

 昼間から、眠いからって、寝てはいけない。そんなの、ナマケモノではないか。寝てはいけない。そう考えて、あの遊技場に向かったことも、数多くあった。


 私は、何がしたいのか。いや、何故するべきことをしないのか。掃除や洗濯は、する。だが、一番すべきは、何を差し置いても、金銭を稼ぐ労働であるはずなのだ。


 ブッダの「ダンマパダ」を読み、人のため、世のために働こうと思った。それで直接、その思いが仕事になるはずの、介護の仕事に就いた。1日1日、入居者さんが気持ち良く過ごせるよう、自分なりに心を込めて、精一杯やったつもりだ。旅館では、皿洗い、トイレ掃除、布団を敷いて、心から、お客様が気持ち良く旅をされるよう、仕事もしたつもりだ。


 心を込めるとは、しかし、何だったのか?

 一生懸命やって、あたかも疲れ果て、長続きできなくなるのなら、何も考えず、心など込めず、機械的に、マシンのように淡々と働き、長く続く人間の方が、よっぽど世のため人のために立つのではないか?


 そして言い訳をしよう。

 この世に、悪があるとして、悪に間接的にも直接的にも関与しない仕事があるのだろうか?

 いや、言い訳はやめよう。物事には常に相反する、表裏がある。裏だけを取り上げるのは、一方的すぎる。


 老人ホームが姥捨て山だろうと、クルマの製造が大気汚染に繋がろうと、観光地が自然破壊後の偽りの景色だろうと、それで助かり、楽しめ、いい思い出づくりになるのなら、それに加担する職業は、きっと悪ではない。


「何もしていないということは、何も悪いことをしていないということだ」

 そんなことを言って、甘やかしてはいけない。悪行、善行の、箸にも棒にも掛からないところに、無職というやつは、いるのだから。


 どうやら、今日はパチンコをしなくて済みそうだ。こんな、こんなことが、自分にとって唯一、ほんとうによかったと思える始末なのだから。

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