第48話 依存症者の告白(48)

 モーツァルトは、その曲の中で、楽器どうしの対話を楽しんでいる。バイオリンとビオラ、フルートとハープ。2台のピアノを対面させて奏でる協奏曲もある。

 交響曲にしても、ひとりひとりの音が、こう言っている。

「はい、どうぞ」「了解」

「おれ、こう思うんだが」「そう。わたしはこうだわ」

「そうか…」「じゃ、もうちょっと」


 パチンコで頭が一杯の、どうしようもない日常の中にあった時、モーツァルトには随分救われた。


 音楽は、いい。自分の中で眠っていたリズムが、そのメロディーに呼び覚まされ、喜び、踊り出す。


 私は、モーツァルトは、「わかる」気がする。

 しかし「わかる」という言葉はあやふやだ。自分が、一体何を「わかる」というのか。「その気持ち、わかる」などと誰かに言いたい時、自分はほんとうにわかっているのかと思う。それでいつも、「わかる気がする」と、「気」を付け加えて言う。


 だが、先日、ベートーベンがわかった気がした。それまで、あの音楽にはムリがある、人を盛り立てようとしてムリに作った不自然さがある、と感じていたけれど、ああ、そうか、こうなって〜こうなるのか、と、その曲調がどうしてそうなるのか、「わかった」気がしたのだ。


 モーツァルトの曲は、その点で、もう「わかって」いた。そしてあの音楽は人間技ではないことも。

 音楽の神様が、モーツァルトという人間を介して、曲を書いたのだ──そう信じる私には、ベートーベンはあまりにも人間的過ぎた。


 けれど、人間はあっちの世界に行けるのだ。あっちの方からこっちに来なくても、こっちからあっちに行けるのだ。そういうことも、わかった気がした。


 ところで、ひどくパチンコがしたい。危ない。

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