第45話 依存症者の告白(45)

 パチンコに頭が囚われていると、家の時計もパチンコを中心に回る。

 朝、10時前になれば、ああ開店だと思う。ガラガラで、台も選び放題だろうな。

 12時になれば、ああ、もうだいぶ埋まっている頃だろう。

 2時には、そろそろ軍資金の尽きた人が帰る頃か。


 4時は、意外と狙い目の時間な気がする。5時過ぎにやって来るサラリーマンに、「おっ、出てるじゃん」と思わせるために…。

 7時も、当たれば続く時間帯のような。

 9時を回ると、「9時過ぎたら、もう打たない方がいいよ」と私に言った、何10年か前の知らない人の言葉を思い出す。


 遊技場に行かなくても、もう心が飛んでいる。

 このような病的な情態になった時、この自分を憂い過ぎるのも、私には病的に思える。


 いつかの朝、近所の家の主婦が玄関から出て、ゴミを出しに行く私とばったり出くわした。それも、彼女が玄関を開けたと同時に、私もそちらの方を見てしまったので、何か気まずさを感じて私は眼を伏せてしまったのだ。


 主婦も、「…おはようございます」と、ぎこちない挨拶をくれ、私も挨拶をしたが、その日以来、私はその主婦の家の前を通る時、あの朝のことを思い出し、悪いことをした気分に苛まれ、ちょっとしたトラウマになっていた。


 だが、先日も、この偶然が繰り返されたのだ。しかし、いつかのような気まずさは両者の間になかった。

「おはようございます」

「おはようございます」

 笑顔で、われわれは気持ち良い挨拶を交わした。この一瞬で、それまでの私のトラウマの霧は晴れたのだった。もしかしたら、主婦も、あの時気持ち良く挨拶ができなかったことを、気にしていたのかもしれない。


 こんなふうに、まったく些細な、ほんの一瞬のことが、致命的にもなり、また、その傷を快癒に向かわすことにもなり得るのだった。


 心は、浅はかだ。アメンボみたいに、1ヵ所に留まり続けることはない。


 私は心の病を信じない。だが、自分のことを「パチンコ依存症」と思わないのはムリがある。

 しかし、依存症である自分を、嘆き、哀れみ、憂うことはやめようと思っている。すでにもう、あの台に向かってお金をイヤというほど投じていた時間に、いっぱい自分を嘆き、哀れみ、憂いていたのだから。

 せめて、もう、自分を苦しませないようにしよう。


 自分を許そう。

 自分を手放そう…

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