第22話 依存症者の告白(22)
「パチンカス」と称せられるくらいだから、パチンコにいそしむ人間は、あまり世間から好意的な眼で見られていないだろう。店員にも、こんな所で働きたくないと思っている気配が見える。
カスの私が他の客に不快を覚えるのは、自分の飲み終えた缶ジュースやペットボトル、タバコの空き箱などを、放置しているのを見る時だ。
自分で出したゴミは自分で処理しろと言いたい。後からそこに座る人のことを考えろ、と。
また、いくら隣りの人がタバコを吸っているからといって、その煙りが隣りの人を直撃するにも関わらず、平然と吸い続けられる精神も分からない。自分が吸うタバコの煙りと、他者の煙りを吸わされるのは大違いである。
だが、この場所においては「ヒトのことなど構っていられない」心持ちになるのも、ムリからぬこととも考える。
ある人が、ずっとやっていた台を捨て、隣りの台に移動する。と、まさにハイエナの如く、その台に座る人がいる。「勝負の世界だから」などという理屈は、勝負の世界に対して失礼だと思う。そんな、パチンコ屋は、たいした場所ではないのだ。
私は、こうした情況でハイエナができない。それまでその台に何万か投じた人が、完全にいなくなったのなら、する。その人がすぐ隣りにいる情況で、よし私に当たりが来ないにしても、それまで自分の打っていた台の動向を、この見知らぬ隣人が気にならないわけがないからだ。当たってしまったら、心底から苦しく感じる。
しかし、どう転んでも、そうして客同士が間接的に金銭を奪い合い、その胴元である店が儲かるシステムである。人の心情を思う気持ちなど捨て去らないと、生きて行けない場所であるかもしれぬ。それは何も、パチンコという狭い世界に限った話ではないとも思う。
〈商売は、合法化された窃盗である〉
打ちながら、床にツバを吐く人もいるし、2台をひとりで占領し、行ったり来たりしている人もいる。いや、もうよそう。私だって、そういう場所に行く、同類なのだ。
ただ、人の気持ちに、想像のカケラも飛ばさない人間を、こんな私は心から嫌悪する。それがどんな見当違いでもいい。他者の気持ちに、気を遣れない人間にだけは、なりたくない。そう思う自分に、悲しい気もするけれど。
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